紀州をあとに
和歌山県新宮市にある臨済宗妙心寺派の清閑院前住職、後藤牧宗和尚の、通夜と密葬の導師を勤めてきました。
小欄にも、記したように私がまだ小学生の頃、このお寺で坐禅を教わったのでした。
通夜でも密葬でも、大導師という役は、
そのほとんどを本堂の中央で、曲彔という椅子に坐ったまま無言で過ごしています。
最後に、法語を一偈唱えるのみであります。
その曲彔に坐って、和尚の遺影と対面していると、小学生の頃に戻った思いでした。
思えば、四十五年前、この本堂のこの場所で、和尚にめぐりあい、禅の教えに触れたことが、私の人生を決めたのでありました。
毎月三回の坐禅会が当時行われていて、休むことはなかったと記憶します。
無門関などの禅籍を講義してくださるのを、楽しみに拝聴していました。
終わった後に、ほんの一言でもお声をかけてくださると、うれしく励みになったものです。
目黒絶海老師がお越しになるから、あなたも独参して公案をいただきなさい と言ってくださいました。
公案なるものが、どのようなものかもよくわからぬままに、独参を始めました。
それから四十年、公案が私に人生の柱になりました。
私の人生のすべてが、この本堂から始まり、和尚との出逢いによって始まったのだと思うと、感慨無量で、読経中には涙がにじみました。
和尚が、坐禅会を行い、お寺の門を開いてくださっていたおかげで、今日の私があるのであります。
毎月三回の坐禅会は、今は一回になっていますが続けてくださっているようで、これも有り難く思いました。
通夜と密葬と、わずか二日間でしたが、何年ぶりかで実家にも立ち寄ることができました。
川原屋の鍛冶職人から始まり鉄工所を立ち上げ、一年三百六十五日休むことなく仕事一筋であった父も、
八十路を越えて、静かにソファに座してテレビを観ていました。閑日月の様子が有り難く思いました。
また、二日間にわたり、和歌山の和尚様方にお世話になりました。
とりわけ、地域で活躍される青年僧の皆様のお姿に接することができました。
在家から清閑院で出家して、今や熊野川沿いの山村の寺に住して地域の為に努力されている和尚や、
過疎化が進むなかで民泊を始め、ネットで海外に方々に地元の良さを知らせてくださっている青年僧にも会いました。
人口減少の問題や、寺院消滅などという言葉も聞かれる中を、彼らなりに工夫して熱意を持って努力してくださっているお姿には、感動しました。
こういう青年がいる限り、まだまだわがふるさと紀州もだいじょうぶだと確信しました。
大自然の猛威を思えば人間の力など弱いものでしょうが、
それでも人間が志を立てて、思いを実現させようという意志の力は侮ることはできません。すばらしきかな人間です。
田辺以南の紀南地方では、まだコロナウィルス感染者が出ていないということで、あまり感染を心配することなく過ごすことができました。
神奈川に戻れば、またコロナウィルスを意識しながら過ごすことになります。
二日ほど留守にしている間にも、感染は拡大しているようです。
それでもきっとお互い乗り越えていけると信じています。
横田南嶺