訃報
私のふるさと和歌山県新宮市にある臨済宗妙心寺派清閑院の前住職、後藤牧宗和尚がお亡くなりになりました。
思えば、私が初めて坐禅をし、禅に触れたのが、この清閑院での坐禅会でした。
私の手元に残っている坐禅会の写真は、昭和五十年の八月のものですから、当時私は小学五年生、満十歳のことでありました。
以来実に四十五年の歳月が流れました。
毎月の坐禅会の他に、夏の八月には、由良町の興国寺から目黒絶海老師をお招きして、提唱や独参も催してくれていました。
牧宗和尚のお導きで、私は中学生の時から、清閑院で興国寺の目黒絶海老師に独参をさせてもらいました。
更に、和尚のご紹介で、由良の興国寺まで行って参禅もさせてもらいました。
ことある毎に、お声をかけてくださったり、書物をくださったりしていました。
和尚のお導きのおかげで、私はこの道に入ったようなものです。
和尚は、臨済宗妙心寺派の和歌山教区の重鎮であり、教区の所長も長らくお勤めになられ、
所長会の会長もなさっていました。
その後、妙心寺派の総務部長にもなられ、更に花園高校の校長も務められていました。
私が、僧堂の師家になった折りにも、一番喜んでくださいました。
管長になってからは、私の晋山式を楽しみにしてくださっていました。
晋山式とは、管長になったことを正式に披露する式典であります。
晩年お目にかかると、晋山式はいつかとよく聞かれました。
残念なことに、諸事情があって、私の管長晋山式は行われることはなく、とうとう忘れ去られてしまいました。
和尚を晋山式にお招き出来なかったことは、申し訳ないことをしたと思っています。
一昨年には、車椅子ながらも、新宮市の寺院の檀信徒を率いて円覚寺に参拝に来てくださっていました。
生前から、自分の葬儀の導師は、私が勤めるようにと言われていました。
通夜が二十九日、密葬が三十日、どちらも予定が空いていましたので、出掛けてお勤めすることができます。
この道に導いてくださった、私の大恩師の葬儀を勤めるため、久しぶりに故郷に帰ります。
横田南嶺