信じて待つ
日曜説教にお越しくださっているという方から、ご丁寧なお手紙を頂戴しました。
その方は、もともと知的障害児の学級担任を長らくなさっていたらしいのですが、そのような生徒さんは卒業してからの方が長く支援が必要だと気がついて、社会福祉法人を立ち上げられたとか。
必要に応じた就労支援、親亡き後のためのグループホーム、十八歳未満の子供達の発達支援と、二十年間で職員も二百名を越え、利用者も六百名と越えたというのですから、たいへんなお仕事をなさっていることが分かります。
お忙しいお仕事のなか、やりくりをして第二日曜の説教に来て下さっているというのでした。
その方が、ある中学校の特別支援学級の担任をなさっていたとき、小学生の頃から万引癖のある少女がいたそうです。
中学に入っても何回も万引きを繰り返し、警察にも捕まってしまったといいます。
少女は、そのたびに泣いて「もうしません」と言います。
しかし何度も同じことの繰り返しで、母親も「また、おなじことを言って、どうせ、またやるんでしょ」というのが口癖になっていました。
しかし、その先生は、泣いている少女の手をとって「もうやらないよね、信じているよ」と言い続けてきました。
でも、また少女は同じことを繰りかえしてしまいました。中学校三年間で十回以上も繰りかえされたといいます。
卒業後も、同じことの繰り返しで、その先生の世話するグループホームに引き取られてきました。
しかしながら、だんだんと万引きをしなくなってきて、勉強にも励んでやがて就職することができたそうです。
今では、結婚もして幸せな家庭を持っているのだとか。
その少女は、先生に「先生が信じてくれたから、こうなれた」と言ってくれたそうで、先生は「信じていてよかった」としみじみ思ったと書かれていました。
そんな人たちと、さまざまな葛藤を繰りかえすうちに、「信じて待つ」ことを教わったといいます。
知的障がいと呼ばれている人たちから「信じて待つ」というすばらしいプレゼントをもらった、そのことを誇りに思うと綴られていました。
「信じて待つ」、かつて小欄にも「信じて待つ」これこそ、究極の教育だと思うと書いたことがあります。
さらに「待つことを楽しむ、信じて待つ、楽しんで待つ、教え導く者の理想であり、慈悲の究極だと思います。」と、「待つこと その2」も書いたことがありました。
「信じて待つ」、すばらしいことです。
坂村真民先生の詩を思い起こします。
たんぽぽのうた
みんな
寒い寒いと
言っているが
何だか
ぽかぽか
してくるね
どうして
こんなに
俺たちだけが
ぽかぽかしてくるのかね
待っているからだよ
希望があるからだよ
そうだね
まったくそうだね
これは、真民先生四十七歳の時の詩です。
信じて待つ、希望をもって待つのです。
寒い日が続きますが、やがて春が来ると希望を失わず、信じて待っていれば、ぽかぽかしてきます。
横田南嶺