今日の言葉
待つこと
毎月東慶寺さまを会場にして、「鎌倉の禅を学ぶ会(通称、鎌禅会)」で仏光国師の語録『仏光録』を講義しています。
その『仏光録』の中で、仏光国師が、当時円覚寺でお説法なされていて、一夏という三月の禁足修行の期間が終わる頃に、
「私は、一夏の間、あなた達が気がつくところがあって、その心境を私が証明してあげることをずっと、待っていた。
四月より待って、五月になり、五月より待って六月になり、六月より待って今に到った。その間、昼間も部屋の戸を閉ざさず、夜も戸を閉めずに待っていた」と仰せになっています。
教育や指導と言いますと、どうしてもあれこれと説明し、更に手を加えて、いろいろ手段を講じることを思いますが、究極は「待つこと」になると思います。
じっと、ただ待つのです。気がついてくれるまで待つのです。
気がつくように仕向けることなどは、かえって不親切になってしまいます。
じっと待つのです。
そして、きっと気がついてくれると信じて待つのです。
仏光国師も、ずっと「風前月下」待ち続けていたと書かれています。
「あなた方が私の部屋まで来られなくても、せめて縁側軒端まででも来てくれたら、身内の者だと認めよう」と仰せになっているのです。
じっと待つ、待ち続けるところに、仏光国師の深い慈愛を思います。
「信じて待つ」これこそ、究極の教育だと思うこの頃であります。
横田南嶺