流した涙の多さ
こういった仏事を簡略にすることは、お寺の世界でも進んでいます。
かつては、円覚寺派であれば、本山の管長を呼んでお勤めすることがよくございましたが、この頃はコロナ禍の影響もあって、内々ですますことが多くなっています。
そんな中で、丁寧に仏事をお勤めくださるというのは実に有り難いことであります。
しかも法要だけではなく、私の法話も行うというのであります。
これは実に有り難いご縁であります。
元来お寺に檀信徒が集まって戒を守り法話を聞いて食事の供養をするのが齋会の原義なのでした。
三回忌というと、まだ悲しみも深い中での法要であります。
はじめにお釈迦様のお話を少し致しました。
あるときお釈迦様が、
「なんじらは、これを、どう思うだろうか。四つの大海の水と、なんじらが、ながいながい過去のいく生涯のなかで、 愛しい者との別離にそそいだ涙と、どちらが多いであろうか。」
と弟子達に質問されました。
これは、その人一代だけのことではなく、くりかえし、くりかえし、 この世にさまざまの生を受けてきたという考え方に基づいて、ながいながい過去のいく生涯においては、誰しも悲しい別れを経験してきています。
その別れの涙であります。
弟子達は答えました。
「わたしどもは、世尊のつねづね説きたもうた教えによって、わたしどもが、ながいながい過去のいく生涯において、 愛しい者との別離のうえにそそいだ涙の量は、四つの大海の水をもってするも、なおその比ではないと心得ております。」
お釈迦様もその答えに満足されて、
「よいかな、比丘たち。 よいかな、比丘たち。 なんじらは、わたしの説いた教えを、そのように理解しているか。
比丘たちよ、われらは、ながいながい過去のいく生涯において、いくたびか、わが父母の死にあったはずである。
そのたびに流した涙の量は、いくばくとも知れない。
また、われらは、それらのいく生涯において、 いくたびとなく、わが子の死にあったであろう。
わが友の死にもあったであろう。
わが血縁のものの死にもあったにちがいない。
そのたびごとに、わたしどもが、 愛しい者とのわかれの悲しみにそそいだ涙は、思うに、四つの大海の水をもってするも、なおその比にあらずとしなければならない。」
と仰せになったのでした。
円覚寺の朝比奈宗源老師は、四歳で母を亡くされ、七歳で父を亡くされています。
亡くなった両親がどこに行ったのか、少年の朝比奈老師にとっては大きな疑問でありました。
朝比奈老師が八歳の時、お寺の涅槃図をご覧になって、ただ圧倒されたような気分で拝まれたそうです。
和尚さんにこれはどういう絵ですかと聞くと、和尚は、これはお釈迦様がおかくれになったところだと説明されました。
どうしてこんなに大勢の人たちが泣くのですかと問うと、お釈迦様が世界で一番智慧のある、いちばん情け深い方であったから、みんな悲しんでいるのだと言われたそうです。
少年の朝比奈老師は、こんなに人間ばかりでなく、動物にまで慕われるというのは、大した人だと驚かれました。
しかし、よく涅槃図を見てみると、お亡くなりになったというお釈迦様は肉付きがよくて、健康な人がまるでうたた寝でもしたように描かれていて、おかくれになった人のような寂しさがないことに気がつかれました。
そこで朝比奈老師は、お寺の和尚さんに、お釈迦様はおかくれになったというのに、死んだような顔をしていないではありませんかと問いました。
すると和尚さんは、それはお釈迦様がおかくれになっても、本当はおかくれになったのではないから、死んだように描かれていないのだと答えられました。
この和尚が言われた、死んでも本当は死なないという言葉が、朝比奈老師を驚かせました。
朝比奈老師は、お釈迦様は特別にお偉い方だから、死んでも死なないのだろうか、それとも自分の父や母のような者も死んでも死なないのだろうか、これが朝比奈老師の大きな疑問となったのでした。
そこでご縁があって出家して坐禅修行に打ち込まれてこの問題を解決されたのでした。
十八歳で妙心寺の修行道場に入り、二十歳の頃に、大きな体験をなされました。
どういう心境が開かれたというと、朝比奈老師のご著書『仏心』には次のように記されています。
朝比奈老師は、その時に仏心の一端を見たのだと仰せになっています。
仏心とはどういうものかというと、
「仏心は生を超え死を超えた、無始無終のもの、仏心は天地をつつみ、山も川も草も木も、すべての人も自分と一体であること、しかも、それが自己の上にぴちぴちと生きてはたらいて、見たり聞いたり、言ったり動いたりしているのだという、祖師方の言葉が、そのとおりであるということを知ったのであります。」
というのです。
「人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息を引きとるので、その場その場が仏心の真只中であります。
人はその生を超え死を超え、迷いをはなれ、汚れをはなれた仏心の中にいるのだという、人間の尊いことを知らないために、外に向かって神を求め仏を求めて苦しみ、死んだ後のことまで思い悩むのですが、この信心に徹することができたら、立ちどころに一切解消であります。
私の上でいえば、私のおろかな父も母も死後は、釈尊も達磨も、同じく仏心の世界、永遠に静かな、永遠に平和な涅槃の世界にいられるのであって、修行した人も修行しない人も、その場に隔てはないのであります。
これは私が少年の時、両親の死後どうなったであろうという問題が縁となってついに僧侶となり、禅を中心として修行し、また仏教諸宗について研究し、六十余歳の今日になってたどりついた結論であります。」
というのであります。
流した涙もはかりしれないものでありますが、仏心の世界に目覚めることで、大いなる安らぎを得ることもできるのであります。
横田南嶺