一人のために
この本のはじめに登場するのは、木村拓哉さんでした。
そして二人目に登場するのは、元NHKアナウンサーの中西龍さんであります。
中西さんと村上さんとの出会いについては何度かおうかがいしたことがあります。
「喜びを倍に、悲しみを半分に」という題であります。
村上さんがまだ大学三年の頃に、学生新聞の「先輩を訪ねる」という企画で訪ねられたのでした。
村上さんは「この出会い、このことばを聞いていなければ、アナウンサーの道を選ばなかっただろう」とまで書かれているのです。
そして「ことばは、力を持っている。嬉しい気持ちにしてくれることもあれば、気持ちを和らげてくれることもある。
中西さんの言いたかったことは、「ことばで人の喜びを倍にして、ことばで人の哀しみを半分にするのがアナウンサーの仕事」ということではなかろうか。
中西節にひたっているうちに、私もすっかりそのとりこになってしまったようだ。
いつの間にか「喜びを倍に、哀しみを半分に」が、私の金科玉条のようになった。」
と書かれています。
私もよく法話などで、嬉しいことを人に話して聞いてもらうと、喜びは倍になり、悲しいことを聞いてもらえば、悲しみは半分になると話をさせてもらっています。
村上さんの本には、中西龍さんについて次のように書かれていますので引用します。
「昭和三年の辰年生まれ。
名前も「龍(りょう)」。
昭和二十八年にNHKに入り、北は旭川、南は鹿児島まで全国あちこちを転勤してきた。
東京勤務になってからは、大河ドラマ『国盗り物語』をはじめ、主にナレーションで活躍していた。その独特の節回しは、中西節と呼ばれていた。
中西さんは、文章を書くことをこよなく愛している。
放送で話すことばは、推敲に推敲を重ねて、自分で書いている。
親友との往復書簡をまとめた本を何冊も執筆している。」
という方だそうなのです。
中西さんの言葉も綴られています。
「僕はネ、一日に原稿用紙三枚書くことを自分のノルマにしているんです。 子どもの成長とか、自分のカミさんがちっとも言うこと聞かないとかネ。風がそよいだとか、凧が電線にひっかかっているとかネ。そういうことを、僕の心の地図を見せた親友に書き送るわけです。ものを書くっていうのは、一番いいなぁ。 万年筆と紙と小さな辞書があればいいんだもん」とあります。
こういうのは、小さな感動を大切にする生き方に通じると思います。
「たった一人だけ幸せに出来た」という女優の沢村貞子さんについて書かれた一章もまた素晴らしいものでした。
読んで大きな感動でありました。
「マンションの八階にあるリビングルームからは、湘南の海が一望できた」という葉山のお宅を訪ねられたのでした。
沢村さんの夫は大橋恭彦(やすひこ)さんで、「新聞記者でもあったし、名うての映画評論家でもあり、文章は得意としていた」という方だったそうです。
「海の見えるところで暮らしたい」という大橋さんの提案を受け入れて、葉山に引っ越したそうなのです。
そのあとに、村上さんは次のように書かれていました。
「沢村さんの女優としての仕事は、全て夫のためだった。
夫の映画雑誌の経営を支えるためだった。
せりふ覚えがいいと言われたのも、一刻も早く家に帰って夫に食事を作るためだった。
「女房に働かせている」ことでプライドを傷つけているであろう夫に、家では徹底していばってもらったという。
せっかく舞い込んだ主役の話も断った。
遠出の仕事も断った。時間を取られるのが嫌だったからだ。
何かにつけて、夫第一にしてきても、生前、夫は何ひとつお礼らしいことばは口にしなかった。
夫の死後、書斎の戸棚から日記風に書かれた原稿用紙を見つけた。
そこには、沢村さんへの感謝の思いが書き連ねてあった。
「「こんな楽しい老後があるとは思ってなかった。やさしくて聡明な貞子という女性に巡り会えて幸せだった。ありがとう」と書いてあったんです。
私は、若いころ、人々が幸せになる運動に関わったこともあったけど、誰も幸せに出来なかった。
でも一人だけ幸せに出来たんだと、この時思いました」
沢村さんはインタビューの間、ハンカチを握り締めていたが、この時はじめて、目ににじんだものを拭うために使った。」
というのであります。
その九ヶ月後に沢村さんはお亡くなりになったのでした。
最期の様子についても、村上さんが
「沢村さんは、注射も点滴も拒み、自宅でその生涯を閉じた。
意識がなくなる直前まで、自分でトイレに立ったという。
「世話をかける」ことを潔しとしなかった。
その死もしばらく伏せられた。「迷惑をかけたくない」という沢村さんの遺志に沿ったものだった。」
と書かれていました。
一人を幸せにするという言葉に胸打たれました。
一人のために捧げる暮らしというのも美しいと感じました。
安積得也さんの『一人のために』という本にある詩を思います。
最大多数の最大幸福に
すべての視線が集中するとき
迷える羊一頭を索めて
夜も眠らざる大教師をなつかしむ
一人を徹底的に愛し得ぬ者が
なんで万人を愛し得るか
親に完全に捧げ得ぬ若者が
なんで社会に捧げ得るか
老人に席をゆずり得ぬ女学生が
なんで貧民全体をすくい得るか
個に徹せざる全は無力なり
具体に活現せざる抽象は空虚なり
我等いま縁の下の一隅に生く
光栄の縁の下よ
縁の下の一隅に
お前はなにを捧ぐるか
横田南嶺