小さな感動を
添えられたお手紙には、「二十五年前に出した処女作」とありました。
著者の肩書きも「NHKアナウンサー」となっています。
1999年、村上さん四十六歳の時の本であります。
初めて出版する本というのは、その著者にとって特別思い入れの深いものであります。
私などもこの度の般若心経の本で、何冊目の本か分からなくなったのですが、やはり初めての本というのは一番思いを込めて作ったと思います。
初めての本は、春秋社の『祈りの延命十句観音経』でありました。
この本は今も版を重ねて出版してもらっています。
村上さんもきっと思いのこもった本なのだろうと察します。
いろんな方にインタビューされた本であります。
素晴らしい言葉がたくさん鏤められています。
本を開くと、一番はじめに木村拓哉さんの「小さな感動をエネルギーにしてます」という章が目に入りました。
これには驚きました。
昨年の暮れに村上さんと話をしていた時に村上さんが若き日の木村拓哉さんにインタビューされて、木村さんが「小さな感動をエネルギーにしている」と言われたという話を聞いていたのでした。
私は、さすが素晴らしいことを言われるのだなと思っていました。
その時にしっかり確認しておけばよかったのですが、この言葉が、木村さんがおいくつくらいの時に、どんな状況で出た言葉なのかを知りたいと思っていました。
というのは、この言葉を何か法話の折にでも紹介しようと思うと、もっとこの言葉が生まれた背景を知っておきたいと思ったのでした。
こんどお目にかかったおりにちゃんと聞いておこうと思っていたのでした。
そんな思いがまさにかなえられたのでした。
心に思い願っていると、なにか不思議とその本なり、言葉なりに出会うことがあります。
早速「小さな感動をエネルギーにしてます」という一章を読んでみました。
はじめに村上さんが、
「『感動』などということばは、いい年をして口に出来ないと思っていた。
だから、今をときめく人気者の木村拓哉さんが、さりげなく口にしたときは驚いた。
そしてその時思った。
一人一人の生き方、考え方にふれることは、まさに感動のシャワーを浴びることだと…..。
自分の仕事は、まさに感動を率直に伝える仕事だと……。」
と書き出されています。
この書き出しも素晴らしいものです。
読む者を引きつけます。
そして、木村拓哉さんにインタビューされた時のことを書かれていました。
その頃の木村さんというと、「テレビのチャンネルをひねれば顔を出していた」頃だったそうですが、村上さんは「SMAPのことも、木村拓哉という名前すら、よくは知らなかったのである」と書かれています。
あまり流行にはご関心がなかったようなのです。
そこで村上さんは「一時的な人気者にすぎないだろうと、あまり期待もせずに会いにいった。」というのであります。
しかし、「だが実際は違った。いままでの出会いの中でも、記憶から消えないとても印象に残るものになった。」
と書かれています。
このように書かれると、なんとしても読み進めたい衝動に駆られます。
「映画で特攻隊の青年を演じたばかりだった」と書かれていますので、木村拓哉さんが二十三歳のころでしょう。
「初の映画主演作についても、戦争中の若者たちについても、いろいろ聞いたし、いいことを答えてくれた。
だが、彼は、もっともっと印象に残ることを口にした。」
と書かれています。
そして件の言葉が現れます。
村上さんが「忙しすぎてエネルギーを消耗しませんか」と聞いたところ、
「木村さんは「そんなことないっすよ」
とややぶっきらぼうに答えた。
陳腐な質問に飽き飽きしていたのかも知れない。
だが、ニヤリと微笑んで続けた。
「小さな感動をエネルギーにしていますから…」
「小さな感動・・・・・・」と念を押すと、彼は遠くのほうを見つめるような目をして「何でもいいんですよ。
道端の花が、昨日より花びらを開いたとか、何げない小さなことで感動出来る自分でいたいんですよ」と続けた。なるほどと、私は深く聞き入ってしまった。」
というのであります。
これは私もさすがだと感じ入りました。
きっとご両親がご立派だったのか、育った環境がよかったのか、それとも木村さんご自身の天性のものなのか、分かりませんが、二十三歳にしてこんなことを言えるのは素晴らしいと思いました。
この章の最後に村上さんは、
「それにしても教えてもらうことばかりだった。
自分こそ時間に追われて消耗するばかりで、感動を蓄えることをしていなかった。
いや感動することすら忘れていたかも知れない。
出会いこそ感動の極致だ。珠玉のことばにふれ、それを自分の引き出しに蓄え、人に伝えていく。
感動を伝える仕事をしているんだということを、改めて教えてもらった気がする。
自分の感動を率直に伝えることで、それを聞いた人が感動してくれたら、さらに感動の輪が広がっていく。」と書かれています。
二十三歳の青年が語る「感動」の一語に感動していました。
「感動」というと、私は恩師の松原泰道先生を思い起こしました。
松原先生は晩年3Kということを仰っていました。
3Kというのは、きつい、汚い、危険な、労働条件の悪い仕事を言います。
1980年代末頃から使われた言葉です。
その3Kを松原先生は、「感動、希望、そしてエ夫。」と置き換えられていました。
この3Kについては『日本人への遺言』(マガジンハウス)に書かれています。
この本は、松原先生が百二歳でお亡くなりになる歳に出版された本であります。
「感動、希望、そしてエ夫。これが私の「3K」です。」と書かれています。
そして
「生きることにつまずいた人にちょっとお話ししましょう。
私が人生を歩むときに、どういうことを「心の軸」としているかということを。
まず、何より大切にしているのが「感動」するということです。
人間は、いつ何時でも感動することを忘れてはいけません。
何でもない事柄の中にも感動は潜んでいるはずで、常に教えてもらおう、学ぼうという姿勢でいるならば、あなたの周りにある物、周りにいる人は必ずあなたに何かを問いかけてくれています。
感動をすることによって物事を考えるきっかけにもなりますから、とても大事なことだと思ってください。
感動をすることによって物事を考えるきっかけにもなりますから、とても大事なことだと思ってください。
そして、感動することによって今度はそこに「希望」が生まれてきます。
希望があると、辛いことや悲しいことがあっても人間は生きていけますね。」
と書いてくださっています。
二十三歳の青年と百二歳の禅僧が同じことを語っているのが興味深いものです。
村上さんの本には、そのほかにも素晴らしい方々の言葉が綴られています。
私もこれはいつも傍に置いておきたい本だと思いました。
いい本を送っていただいて小さな感動ならぬ大きな感動をいただくことができました。
横田南嶺