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臨済宗大本山 円覚寺

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2024.02.13
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仏跡巡拝の旅 – その二 –

インド仏跡巡拝の二日目には、インドに入り、まずブッダガヤの大菩提寺にお参りしました。

午前中にタイを出て、午後ガヤの空港に着きました。

三時間ほどのフライトでした。

ガヤの空港は仏跡にお参りする方が多く乗っていました。

タイのお坊さんも何人かいらっしゃいました。

ガヤの空港は、小さな空港ですが、入国審査にはずいぶん時間がかかりました。

人数では、バンコクの空港の何百分の一くらいだと思いますが、ゆったりとしてお仕事をなさるので、時間がかかりました。

旅というのは、こちらの思うようにゆかないのも良いところであります。

それぞれの国民性というものでしょうか。

ガヤの空港から真っ先に向かったのが、大菩提寺の大塔であります。

釈宗演老師が明治三九年(一九〇六)に四八歳の時お参りなされて発願文をお作りになったところでもあります。

お釈迦様成道の地ブダガヤは2002年世界遺産に指定されています。

大菩提寺は、ガヤ市郊外で尼連禅河のほとりにあります。

大菩提寺の大塔は九層からなる五二メートルもの大きな塔であります。

見上げると大迫力なのであります。

最初に建立されたのは紀元前二五四年、アショーカ王の時と伝えられています。

玄奘三蔵は西暦六三五年にここを参拝しています。

『大唐西域記』の記録には、当時の精舎はほぼ現在の大塔に似て正方形の基底の上にピラミット型に聳え立ち、四隅に小塔を控えたものであります。

グプタ王朝のサムドラ・グプタ(西暦三三五~三八五)の頃に建立されたものだそうです。

ところが、13世紀の初めアフガニスタンからイスラムの軍団が、ビハール地方の、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教の全ての聖地を破壊してしまったのでした。

その時に、仏教徒たちはこの精舎一帯に土を盛って丘として隠したのだそうです。

それでブッダガヤの精舎は大破壊から免れ、以後なんと六百年間大塔の九層部を残して、大地の中に埋もれていたというのであります。

建仁寺の老師と、この大塔を仰ぎながら、これだけの高さのものを土で埋めたとは、信じられない、昔の人の信仰心というのは何と偉大だと話をしました。

この大菩提寺が再び世に現れるのは、英国統治時代アレクサンダー カニンガムが、一八六二年にインド考古調査局を設立し、一八八〇年(明治一三年)には、 玄奨三蔵の旅行記や資料に基づいて、 ブッダガヤを調査し発掘した時でありました。

一八八四年、 カニンガムは寺の復旧工事に着手し、昔の位置と想定した所に復元しました。

その後一九五六年の仏滅二五〇〇年大祭を前にしてインド政府考古局の手によって大幅な修理と整理が行われ方形九層の大塔は今日に至っているのであります。

大塔内にあるブッタ像は35才の成道像で九世紀~一〇世紀のパーラ朝時代に黒石で作仏されたものだそうです。

後に仏滅二五〇〇年の頃、ビルマの方々によって今のように金箔が貼られて黄金となったようです。

今回は、大菩提寺のご住職である、ビッグチャリンダー師が、わざわざ門のところまでお出迎えくださり、親しく先導して中をご案内してくださいました。

ですから大塔の内部にも特別お参りさせてもらいました。

大塔の西側には成道の座である金剛宝座があります。

紀元前2~3世紀頃のものらしいのです。

そこには今も大きな菩提樹がございます。

この菩提樹は、お釈迦様のお悟りの時の菩提樹の孫にあたるそうです。

アショカ王の息子マヒンドラは、スリランカに仏教布教のため渡りました。

その際アショカ王の王女サンガ・ミッタもスリランカに同行しました。

サンガ・ミッタはお釈迦様お悟りの菩提樹の枝をもち、 アヌラダプーラの地に植樹しました。

これがしっかり根付き、今日まで枯れる事なく、スリランカの国の宝となっているそうです。

その菩提樹の分け木が、このブダガヤの菩提樹の聖木だそうです。

インドでは古来から修行者が樹の下で瞑想していたようです。

これは原始仏典にもよく出てくることです。

中村元先生の『ブッダ伝 生涯と思想』(角川ソフィア文庫)には次のように書かれています。

「ブッダもブッダガヤーのアシヴァッタ樹の根もとでさとりをひらきました。

このアシヴァッタ樹のもとで瞑想したということは大変な意味があったことのようです。

一般にヒンドゥー語でアシヴァッタと呼ばれる植物は、サンスクリット語ではピッパラ、俗にいうヴァット、また他のヒンドゥー語ではピーバルとも呼ばれています。

インド人によると、ピッパラもニグローダもヴァットも同じバニヤンの一種だといいます。

この樹はインドで古来から尊崇されており、「アタルヴァ・ヴェーダ』 でも「神々の住居」になったり、「不死」を観察する霊樹とされてきました。

それは不死の甘露を意味し、精神的な究極の境地を意味していることばなのです。
この樹は、ウパニシャッドや、ヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』、多くの文芸作品にも、葉や根が広がる点で不思議な霊樹として登場し、仏教だけでなくヒンドゥー教でも霊木として崇められ、やたらに傷つけたり切ったりしてはいけないといわれてきました。

ですから、ブッダがこの霊樹のもとでさとりをひらかれたことは、仏教以前からあったインド古来の民間信仰の伝承を踏襲していたことになります。」

ということなのです。

そのお釈迦様がお悟りをお開きになったその場所で、なんと私たちも坐禅をさせてもらうことができました。

大菩提寺には、世界各地から多くのお坊さんや仏教徒がお参りになっています。

そこかしこで、五体投地したり、読経したり、瞑想したりしています。

そんな中特別にご住職のおはからいで、私たちの為に金剛法座の近くに席を取ってくれていました。

そこで、建仁寺の老師のお隣で、しばし坐禅をさせてもらったのでした。

暑からず、寒からず良い風が吹いてくる中で坐禅をさせてもらえたのは、大感激でありました。

こんな有り難いことはありません

その後、尼連禅河を渡り、スジャータの村を拝観して日本寺にお参りしたのでした。

ブッダガヤは大勢の方々がお参りになってとても混み合っていました。

特に大菩提寺のまわりは、仏教徒であふれていました。

信仰の力を再認識させられました。

かくして大感激の一日となりました。

 
横田南嶺

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