仏跡巡拝の旅 – その一 –
しばらくは、インド仏跡巡拝の旅について書かせていただきます。
まず初日はというと、タイのバンコクまで行って終わりであります。
今回の旅は、京都の建仁寺さまを中心に集まられた関西の組と、鎌倉を中心に集まった関東の組との二組が一緒に参拝しました。
関西組が二六名と、関東からが二〇名ですから、大所帯の旅であります。
関西からの方も羽田で合流して、羽田空港から、飛行機でタイに向かいました。
六時間ほど乗っていればいいので、なんという事はありません。
バンコクの空港に着くと、大勢の人でいっぱいでした。
入国審査に並ぶのに長蛇の列という言葉で言い表されるものではないほどの、長い長い長い行列でした。
入国審査の受付の場所などがとてもはるか彼方で見ることもできないほどでした。
旅なれた方が、これは三時間くらいかかるかもしれませんよと言われていました。
そんなにかかるのかと、愕然としたものの、ここを通るほかに、入ることはできませんので、あきらめて並んでいました。
そうしましたら、意外に早く人が流れていって、結局一時間ほどで、入国できたのでした。
ああ、早いなと思ったのでした。
これも有り難いことに三時間かかるかもと言われて覚悟していたので、早いなと感じたのであります。
三十分くらいだと言われていれば、なんと倍の一時間も並ばされたと感じるのであります。
何事も感謝であります。
かくして朝早く鎌倉を出て、バンコクについたのは、夕方になりました。
朝は鎌倉四度くらいで寒かったのですが、タイでは三十六度くらいで暑いのでした。
ホテルに入ったのは、現地時間で六時過ぎとなりました。
空港近くの立派なホテルに泊めていただきました。
その後、七時から結団式と晩餐になりました。
まずはじめに建仁寺の小堀泰巌管長さまがお話くださいました。
小堀老師は、二十年ほど前にも一度仏跡巡拝をなされたとのことです。
ただそのときにルンビニだけはお参りできなかったので、今回お参りしようと思われたのだと、私はおうかがいしました。
小堀老師は、お釈迦様が難行苦行の末ブッダガヤで悟りを開かれ、そのあと四十五年もの間、インドの地を歩いて多くの人たちにそれぞれに応じた教えを説かれことを強調されて、その同じ場所にお参りできることが如何に有り難いかとお話くださいました。
それからやはり建仁寺の開山栄西禅師が、二度目に宋の国にはいって、インドに行こうとなされたけれども断念なさったことに触れられていました。
小堀老師のお隣で、老師のお話を拝聴しながら、いろいろのことが思い浮かんでいました。
思えばもう今から三十七年も昔のことであります。
大学を卒業してすぐに私は建仁寺の僧堂に入門したのでした。
大学を出てすぐの新米の修行僧でありました。
それに対して小堀老師は、当時もう僧堂に二十年も在錫して修行なされている方で、新入りの私にとってはまさに雲の上の方でありました。
小堀老師は昭和一八年のお生まれですので私よりも二一歳も年上でいらっしゃいます。
今年還暦の私に対して、もう八十歳なのでいらっしゃいます。
雲の上のような、普通なら声もかけられないようなお方でありましたが、どういうわけか、親子ほども歳も離れた私に、折にふれてお声をかけてくださった有り難い方でありました。
建仁寺には、松の木や槇の木がたくさんあって、それらの葉の剪定の仕方を私の小堀老師から教わりました。
また竹垣を結ぶときのシュロ縄の縛り型なども教えてもらったのでした。
小堀老師は、作務がとてもお好きであって、庭仕事や庭木の剪定などにも実に詳しい方でありました。
そんな老師のお隣に坐っていると、三十七年前のことが一日のように思い起こされました。
また老師は、長年湊素堂老師にお仕えになって、素堂老師がお病気になられてからも長い間介護をなさっておられたのでした。
小堀老師は、まる四十年素堂老師にお仕えなされたと思います。
禅の歴史では、趙州和尚が南泉禅師に四十年お仕えしたという話がございますが、まさにそのようなお方であります。
その素堂老師への孝養の尽くし方たるや、誰も真似できるものではありません。
また老師は十二歳で、東京練馬の広徳寺で小僧生活を始めていらっしゃいます。
今の時代にこんなに早くからお寺で修行始めた老師も少なくなっています。
禅僧の模範たる老大師なのであります。
平成十一年に五六歳で建仁寺の管長になられた方でいらしゃいます。
円覚寺の先代の管長足立老師は、容易に人を認めない方で、京都の儀式に参列されるのもあまり好まれていませんでしたが、小堀老師には一目おいておられて、建仁寺の晋山式には参列なされていました。
というのは、小堀老師ははじめ建長寺で修行されてながらく鎌倉にいらっしゃったというご縁もございます。
私が管長になって勤めた大用国師二百年の大遠諱にもお招きしましたし、また足立老師がお亡くなりになった時には、コロナ禍にもかかわらずわざわざ鎌倉までご焼香にお見えくださったのでした。
あれやこれや長年に亘ってご厚誼をいただいているのであります。
という次第で、長年お世話になってきた老師と共にインド仏跡を回れるというのはこの上ない有り難いことなのです。
小堀老師のあと、私もひとこと、明恵上人のことを申し上げて、皆の無事を祈って乾杯をさせてもらいました。
会食中には、四十六名の方が自己紹介してくださいました。
関東からは私のところで修行した若い僧侶が中心ですが、関西からは小堀老師ご縁の在家の方が大勢でいらっしゃいました。
私が建仁寺にいた頃にお世話になった方もいらっしゃって懐かしく思いました。
皆さんのお話をうかがっていると、みんなそれぞれにインド仏跡に対して熱い思いを抱いていらっしゃることがよく伝わってきました。
いくら便利になったとはいえ、これだけの時間と労力と費用をかけてお参りするのですから並大抵のことではありません。
どうぞ無事四大聖地巡拝の旅を円成できますようにお祈りして一日は終わりました。
横田南嶺