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臨済宗大本山 円覚寺

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2023.12.07
今日の言葉

真の出家とは?

臘八の摂心も第七日目となりました。

いよいよ今晩から明日の未明にかけて、終わりを迎えます。

白隠禅師に『臘八示衆』という法語がございます。

第一日の夜の示衆から第七夜まで続いています。

第六夜の示衆には、奥州の文溟和尚の話が出ています。

この和尚は、なんとか白隠禅師に参じたいと思ってあれこれ方策を練ること六年かけて、ようやく白隠禅師のもとにやってきたのでした。

掛搭を求めてきた和尚に白隠禅師は、たとえ紫の法衣を着ける大和尚であっても悟りの眼が開けていなければ、私のところでは小僧と同じだと言いました。

もしも世間の儀礼をまだ残していて、心に尊大な思いを抱いていては、なんにもならないと言いました。

和尚の方も、「私は仏法を求めてやってきた新参者ですので、どうぞ慈悲を惜しまずにご指導願います。雷のように一喝され、雨のように棒で打たれても命を惜しむものではありません」と言ってお願いしたのでした。

そこで一夏九十日白隠禅師のもとで修行され、白隠禅師の棒を喫すること数えきれないほどでありました。

そしてとうとう禅の宗旨を明らかにしたという話であります。

それから更に第七夜の示衆のはじめに、「一子出家すれば、九族天に生ず」という言葉が説かれています。

これは、子が一人出家すればその九族が天に生まれかわることができるという意味です。

「九族」はどういう意味かというと、『広辞苑』には、

「高祖父・曽祖父・祖父・父・自己・子・孫・曽孫・玄孫にわたる9代の親族。」と説明されています。

またほかの辞典を調べると、この意味の他に、

「異姓を含む九代の親族として、父族四、母族三、妻族二のこと。」という説もあるようです。

白隠禅師は、この言葉を紹介した上で、播州のある夫人の話をしています。

その夫人は、当に子を授かるときに、この子が男の子であったら、必ず出家させようと思いました。

その夜に、夢に一人の老人が現れました。

その老人が告げていいました。

自分は、この家の九代前の先祖だというのです。

死んで冥府に落ちて、無量の苦しみを受けたのだが、あなたのその殊勝な願力によって、地獄の苦しみから脱することができたと言ったという話です。

わが子を出家させようと思うだけでもこれほどの功徳があるというのです。

そこから更に甲州の良山和尚の話をなされています。

この和尚はまじめな和尚だったようで、弟子達を指導していて、臘八になると例年のように坐禅に励んでいました。

ところがある晩のこと、亡くなった母が現れて、なんと刀を持ってきて、和尚の脇を刺したのでした。

和尚は、大きな叫び声をあげて、血を吐いて悶絶したのでした。

和尚は、しばらくして、ようやく気がつきました。

次の日に、修行に来ていた僧達と別れて行脚をしました。

一鉢三衣という出で立ちで、野宿をしながら、優れた師を訪ねて真実の道を求めて旅に出たのでした。

そのように年を経てようやく禅定も熟してきて、三昧に入ろうしたところで、亡くなった母がまた現れました。

母だと思って目をあげると母はすぐに隠れてしまいました。

更に深く三昧に入って、あたかも海がゆったり湛えているような心境になっていると、亡くなった母がまた現れたのでした。

母が言うには、

はじめ冥府に入った時には、地獄の鬼達も、この人は出家の母だと思っていたら、なんという俗人の母ではないかといって、鉄の棒や鉄の架せで苦しめられたというのです。

その苦しみは言葉では表現できないほどでした。

その怨みが骨に徹して、そこであなたを刀で刺したのだということです。

ところが、そのあとあなたは寺を出て行脚されました。

途中であなたを見ると、まだ生滅の念が消えていませんでした。

それですぐに隠れたのです。

今や禅定も智慧も明らかになりました。

おかげで私の苦しみも尽きました。

天に生まれることができましたと言って、お礼を述べたという話なのです。

こんな話を白隠禅師はとりあげて、修行僧達に向かって、

あなた方にもそれぞれ父母があり、兄弟があり、親族があるはずだ。

生まれ変わり死に変わりの間の眷属を思うとはかりしれない。

千人万人ではないだろう、みな六道輪廻して無量の苦しみを受けてきたのだ。

あなた方が道を成就するのを待つのは、大旱に雲霓をみるほどである。

「大旱の雲霓」とは、「「雲霓」は雲と虹で、雨の前後に現れるもの。日照りのときに雨を待ちこがれるように、ある物事の到来を切望することをいう。」という意味です。

どうして悠々としていられようか、大願を起さないでどうするのかと白隠禅師は説かれています。

そこで最後に「光陰惜しむべし、時人を待たず、つとめよ、つとめよ」と説かれています。

こういう因縁話は、今の若者にはどれほど響くのか分かりません。

私などは、これはいけない、こんなことではダメだと身震いするような思いで、読んだものです。

読んでいて、また今年もこんなことではまだまだだと思っているのであります。

私の部屋には、いつも足立大進老師が書かれた良寛さんの和歌をかけています。

何故に家を出しと折りふしは
心に愧じよ、墨染めの袖

という和歌であります。

いよいよ明日は成道会であります。

午前十時より、円覚寺仏殿で行います。

一般の方もお参りできるようになっていますので、お時間のある方はどうぞお参りくだされば幸いであります。

 
横田南嶺

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