死とは帰ること
もう出版されてから二年経ちます。
二年でまた世の中が大きく変わりました。
『不要不急』に選ばれたお坊さん達十人も今や、それぞれ忙しくはたらいているのではないかと思います。
しかし二年ほど前には、みな「不要不急は自粛」で閑古鳥が鳴いていたのでありました。
その『不要不急』の十人の著者の一番手に選ばれたのが、なんと私でありました。
とうとう「不要不急」の代表になったのかと感慨深いものがありました。
十人の中には、細川晋輔さんや藤田一照さん、阿純章さん、松本紹圭さんなど知り合いが結構いらっしゃいました。
またその中に、白川密成さんも入っていらっしゃったのでした。
『不要不急』の中にある、著者紹介から略歴を参照してみましょう。
「白川密成(しらかわ・みっせい)
愛媛県栄福寺(真言宗)住職。
一九七七年愛媛県生まれ。高校を卒業後、高野山大学文学部密教学科に入学。
二〇〇一年より現職。
「ほぼ日刊イトイ新聞」で、「坊さん。」を二百三十一回にわたって連載。
二〇一〇年に刊行したデビュー作『ボクは坊さん。』(ミシマ社)は、二〇一五年に映画化。
他の著書に『坊さん、父になる。』『坊さん、ぼーっとする。』(以上、ミシマ社)、『空海さんに聞いてみよう。』(徳間文庫カレッジ)などがある。」
と書かれています。
その白川さんにお越しいただいてYouTube対談を行いました。
この三月に白川さんのお寺栄福寺を訪ねたこともご縁となって対談させてもらったのでした。
白川さんのお寺は、四国八十八カ所霊場の第五十七番札所なのであります。
白川さんの前のご住職は、白川さんのおじいさまでいらっしゃるのです。
白川さんのお母様は、そのご住職の長女でいらっしゃったのでした。
白川さんのお父様は学校の教師をなさっていたそうなのです。
松山や新居浜に転勤になって、やがて今治の栄福寺に住まうようになったそうなのです。
小学生の頃からは栄福寺で過ごされていたそうで、小学生の頃の文集には、将来お坊さんになりたいと書かれていたと仰っていました。
高校を卒業して高野山大学に入って僧侶になる修行も修められたのでした。
その後一時期書店で就職されていました。
一年ほど勤務したところで、おじいさまにご病気が見つかってしまい、なんとお亡くなりになってしまいました。
そこで白川さんは書店をやめて、栄福寺のご住職になったのでした。
当時まだ二十四歳だったそうなのです。
二十四歳でご住職というのは、いろいろご苦労もあったと察します。
「ほぼ日刊イトイ新聞」で、「坊さん。」を二百三十一回にわたって連載されたというのであります。
もともと文章をお書きになるのが好きなのだと思いました。
その連載が単行本となって二〇一〇年に『ボクは坊さん。』として刊行されました。
それが更に、二〇一五年に映画化されたのでした。
なかなかご自身の半生が映画になるなど滅多にあることではありません。
これが本格的で良い映画なのであります。
ちょうどその頃は高野山の開創千二百年の年に当たったこともあり、大いに盛り上がったのでした。
白川さんご自身で、同世代の人にとって仏教はどうしても敷居が高い、近寄りがたい印象が強いというので、より日常的なものとして描こうとされたのでした。
日常的であり、親しみやすさがあるのですがそれでいて、深い言葉もあるのです。
対談の時にも話題になった言葉があります。
白川さんの著書『ボクは坊さん』から引用させていただきます。
「若い頃から、何人ものお葬式を拝んでいる時に、生まれる前の感じと、死んだ後の感じって似ているんじゃないかな、と感じることがあるんです。
そして、それが一番、普通の状態かなって思うんです。だから、生きている。というこの時間は、僕たちが感じている以上に、とても短い、すごく特殊な時間のような気がしてしまいます」
ざわざわしていた集まった人の中で沈黙が訪れた。誰かが「そうかもしれんねー」と声を出した。
「僕は、なんだか生きていることはお祭りみたいだと思うんです。だから明日は、お祭りを終えたおばあちゃんに、またね、とか、おつかれさまと手を振ってあげたいと思います」
準備をしていった話ではなかったけれど、そんな言葉がすっと出た。
「起るを生と名づけ、帰るを死と称す」(弘法大師空海『遍照発揮性霊集』巻第四)」
と書かれています。
「起るを生と名づけ、帰るを死と称す」の言葉は、白川さんの著書『空海さんの言葉』にも書かれています。
百九十六ページに引用されています。
“死ぬ”とは何ですか?
帰ること。
起きてくることを生と名づけ、
帰って行くことを死と呼ぶ。
起るを生と名づけ、帰るを死と称す。
弘法大師空海「逼照発揮性霊集』巻第四
更に
「「生死」の新しい感覚
この言葉も、何度も思い出す言葉です。
「生きる」というその時間は、「ある」のが当たり前で、「死ぬ」という先は、未知で特殊な風景のように感じます。
しかし、この言葉に触れてじっくり考えてみると、むくっと朝「起き上がる」ように短い「生」の時間を過ごし、「死」はむしろ元いた場所に帰って行く”ということの「呼び名」だとすると、しっくりくる生死の価値観を知ったような気分になりました。
もしかしたら、「あっ、今までも言葉にはできなかったけれど、そういうふうに感じていたんです」と“思い出すように” 納得した人も少なくはないかもしれません。」
と書かれています。
深い弘法大師の言葉を分りやすく語ってくださっています。
今年白川さんは、『マイ遍路』という新書も出されいます。
お坊さんになると決めた頃のことや、映画の話、最近のことまであれこれとお伺いしました。
楽しい対談でありました。
またYouTubeで公開されますのでお楽しみに。
横田南嶺