講義拝聴
それを終えて、二十七日に花園大学に出向して、神戸の祥福寺僧堂師家の岩村宗昂老師のご講義を拝聴してきました。
私が、毎月担当している禅とこころという授業に、老師がご講義下さったのでした。
鎌倉で朝のお経や坐禅を終えた後、新幹線で京都に向かい、山陰線に乗り換えて円町で下車して大学まで歩きました。
歩いていると、少し先に法衣姿の僧の姿が見えました。
同じ電車に乗ってきた岩村老師でありました。
老師も神戸から京都まで出て見えて、山陰線に乗られたのだと分りました。
同じ電車でしたが、私は駅のお手洗いで用を足していましたので、少し遅れたのでした。
途中どうにか追いついてご挨拶させてもらいました。
すぐに総長室にご案内してお茶を差し上げました。
円町から大学まではわずかな距離ですが、さすが京都は蒸し暑くて、かなりの汗をかいたのでした。
岩村老師は、「禅とわたし」と題して講義してくださいました。
禅とこころは、はじめに皆で般若心経を唱和します。
そのあと、五分ほどのイス坐禅を行ってから講義となります。
老師は、昭和四十五年(一九七○)のお生まれですので、私よりも六歳ほどお若いことになります。
埼玉県のお生まれであります。
今回は、老師の生い立ちから話をしてくださいました。
ご尊父は臨済宗の僧侶であるとうかがっていましたが、お生まれは埼玉県岩槻なのだそうです。
お生まれになった時には、お寺ではなく、一般のご家庭だったとのことでした。
お父様は、岐阜県の正眼寺の修行道場で修行されながらも還俗して会社員をなさっていたのでした。
それが、老師が小学生の頃に、岐阜のお寺にお入りになったということでした。
埼玉にいらっしゃった頃にも御尊父は、都内の秋月龍珉老師のところに参禅に通っていたと仰っていました。
求道心の厚い方でいらっしゃるのだと分りました。
かくして岩村老師は、小学生の時にお寺の子になったのだと仰っていました。
御尊父はお寺に入って、正眼寺の短大で教鞭も執られるようになったのでした。
お入りになったお寺は山の中腹にあるお寺で、いつ出かけていつ帰るのかも地元の方に皆見られている暮らしになったのでした。
そこで幼い岩村老師は、いつもまわりの眼を気になさるようになったのでした。
そんな話からご自身がどのようにして禅と出会い、何を感じてきたかをお話くださいました。
老師ご自身が、大学の講義を聴いてきて、やはりこころに残った講義というのは、その先生がどうしてその学問を研究するようになったのか、学生たちに何を伝えたいかがはっきりしている場合だと仰っていました。
そこで今回老師は、ご自身がなぜこの道を目指したのか赤裸々に語ってくださったのでした。
岐阜のお寺に入って周囲から見られている暮らしとなって、老師は品行方正な寺の子を演じるようになったと仰せになっていました。
そうすると、自分の本心と演じている自分と別れてしまって苦しい時期を過ごされるようになりました。
分裂した自分のあり方から本当の自分を取り戻したいと願うようになったのでした。
その思いは大学時代まで続きます。
学校では、先入観で人を見てはいけない、色眼鏡をかけて人を見てはいけないことを学ばれたのでした。
しかし、先入観を持たずに色眼鏡をかけずに人を見るということは難しいのです。
中学に入って老師は、小学生の頃に比べて寺の子として見られることが少なくなったと仰っていました。
正しさとは何かについて考えるようになったというのでした。
何が正しく、何がよくないのかを考えるのですが、正しさの正体が分らないのでした。
普段の暮らしではなんと無しにまわりの雰囲気に合わせているのですが、合わせる自分と合わせられない自分とがいてどちらが本当なのかと悩むようになりました。
やがて老師は、埼玉大学に進学されました。
自分を知らない人たちの中で生きたいと思われたのでした。
そこで自由な学生生活を送られました。
ちょうどバブルの華やかな頃だったのでした。
毎日どこかで楽しいことがあって、やりたいことをただやって暮らしていました。
ところが、そんな暮らしをしていると、肝心の大学の単位を取れていないことに気がつかれて毎日大学に行くようになったのでした。
そんな学生生活で出会ったのが、宮台真司先生だと仰っていました。
当時はまだ三十代の先生だったそうです。
宮台先生の学問の仕方には大いに学ばれたそうです。
更に浅田彰先生や中沢新一先生などの書物にも学ばれたのでした。
こういう本を読むと世の中が読み解ける気がしたと仰っていました。
大学を出て老師は家庭教師や塾の講師をなさっていたそうです。
しかし、そんな暮らしの中で自分はいったい何をしているのか悩まれました。
本当の自分とは何かを求めるようになったのでした。
日本の思想や仏教や禅の書物も学ばれるようになりました。
岩崎武雄先生の西洋哲学史の本にはこころ惹かれてその本を書き写したと仰っていました。
哲学の世界に惹かれていった老師は、現象学を学ばれました。
中央大学の哲学科にお入りになってフッサールやハイデガーを学ばれました。
ある時に老師は、今まで抱えていた問題がポトリと落ちて一切が解決したような思いをなされました。
朝日が昇り、日の光を浴びているだけで幸せな気持ちになり、部屋を出て一人一人の人を抱いてあげたいような気持ちになったというのです。
哲学の問題を突き詰めていって何か超越されたのだと思いました。
禅の語録も読まれて、「黄檗の仏法多子無し」という言葉に触れて自分の心境を言い当てていると感じられたのでした。
悟ったかと思うような高揚感に包まれました。
しかし、高揚感はやがて薄れてきます。
また落ち込んでしまうようになったのでした。
かくして自分に起きたことを振り返ると、人のものさしを持って生きてきたことに気がつきました。
善と悪、正と邪、二項対立の中で一喜一憂してきたことに気がついたのでした。
『無門関』を読まれて、そこに不思善不思悪、善も思わず悪も思わない本来の自己とは何かという問いに触れて、参禅してみたいと思うようになって哲学科を卒業されて修行道場にお入りになったということでした。
今回は、そこまでで話が終わりました。
そんな体験を持って修行道場に入って老師は、十年以上の修行を積まれたのです。
その後の話を後期になさってくれることを期待したのでした。
ご講義のあとは総長室で、学長を交えてご一緒に食事をさせてもらいました。
よいご講義を拝聴することができました。
横田南嶺