三年ぶりの…
先日の日曜説教では、実に三年ぶりにみんなで読経を致しました。
それまでみんなでお経をあげることなど、なんでもない、あたりまえのように思っていましたが、実に二〇二〇年の二月に日曜説教で読経して以来、みんなでお経を読むということができなくなっていたのでした。
コロナ禍三年という歳月の長さを改めて思います。
日曜説教は、朝比奈宗源老師がおはじめになったものです。
朝比奈老師が、第一日曜日と第三日曜日に法話をなさるようにされたのでした。
先代の足立大進老師は、これを第二日曜日と第四日曜日に変更されました。
そして足立老師は、第二日曜のみ法話をなされ、第四日曜日には、円覚寺派の和尚様が交替で法話をなされるようになりました。
私が引き継いで既に十三年になります。
これを欠かしてはいけないと思って、二〇二〇年三月からみんなが集まることが出来なくなりましたが、動画配信という方法を用いるようになったのでした。
今から思えば、誰もいない大方丈で一人話をするということを始めたのでした。
コロナ禍の前には五百名ほどの方が集まってくださっていたのでした。
それが一変して無人となったのでした。
そうして、第二日曜日の午前九時には、ライブ配信を続けてきたのでした。
これが思いがけずも多くの方にご視聴いただくようになったのでした。
最近は、申し込み制にして、人数を限定してお入りいただくようにしていました。
はじめは五十人くらいからにしたのでした。
それも恐る恐るでありました。
みんなで声を出してお経をあげるというのは、なかなか難しい状況が続いてきました。
ご承知の通り、このたびコロナ感染症が、第二類感染症から第五類に引き下げられたことを受けて、読経を再開しました。
読経は、担当の和尚さんが礼讃文を読み上げて始まります。
生死事大、無常迅速、光陰惜しむべし、時人を待たず。
人身受け難し、今已に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く。
此の身今生に向って度せずんば、
更に何れの処に向ってか此の身を度せん。
大衆もろともに至心に三宝に帰依し奉るべし
と唱えます。
その間皆は合掌して聞いています。
それから、
自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道を体解して、無上心を発さん。
自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵に入って、智慧海のごとくならん。
自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理して、一切無礙ならん。
と三帰依文を唱えます。
一句毎に礼拝を致します。
そのあと「開経偈」を読みます。
無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭い遇うこと難し。我いま見聞し受持することを得たり。願わくは如来の真実義を解したてまつらんことを。
そうして般若心経を唱和します。
そのあと回向文を和尚さんが読み上げて、三分ほどの坐禅を致します。
腰骨を立てて背筋を伸ばし、静かに呼吸を見つめましょうと言ってしばし坐るのです。
それから坐禅和讃を唱えます。
その間に、私は説教の台へと移動します。
更に延命十句観音経を三回となえて、法話が始まります。
そこまで約十五分かかります。
こうしている間に心が調えられてくるものです。
そのあと法話のはじまりには、私が、手を合わせて、生まれたことの不思議、今日まで生きて来られたことの不思議、そして今日ここでお互いにめぐりあうことが出来たご縁の不思議に手を合わせますと感謝をしますので、更に三分ほどかかります。
午前九時から午前十時までの日曜説教ですが、実際に話をするのは約四十分ほどであります。
先日の日曜説教では、朝比奈老師の本がこの春に三冊復刊されましたので、その話をしました。
昭和三四年に初版が出された『仏心』もこの度新装版として復刊されています。
『仏心』にはお釈迦様の教えを分かりやすく説いてくださっていますので、一部引用して紹介します。
まずお釈迦様以前のインドの宗教を次のようにまとめてくださっています。
それは「梵天という最高の知恵と権力とをそなえた神があり、人間はその神の保護や恵みによって生きているもので、人間の生命も運命も、その神の意志によって、長くも短くも、良くも悪くもなるとされ、民衆は直接神をまつり、神に仕える宗教者にたのんで、いけにえを供えたり、讃歌をうたったり、荘厳な儀式をしてもらったりして、神の意志をむかえ、御機嫌をとって、神の恵みの自己に厚からんことを願うのでした。」
それに対して、
「釈尊は宇宙のものごとをくわしく観察し、すべてのものごとは、できるにはできる条件(因縁)がそろってでき、続くには続く条件がそろって続き、変化したり滅びたりするには、またそれぞれに必要な条件がそろってそうなるもの、決して特別の造物主のような超越的な人格者があって支配するものではないと判断し、そうした神の存在を否定し、それらをまつって人間の長生きや幸福を祈ることは意義がないと考えられ、従来の宗教には満足できませんでした。」
と説かれているように、それまでのバラモン教の教えには満足出来なかったのがお釈迦様でした。
そして「それではそうした見解をとったら、人間の悩みである生に対する執着や、死に対する恐怖がのぞかれたかといいますと、そうはいきません。
同じように宇宙の間に、前に述べたような条件によって生まれていながら、木の葉は繁っては落ち、花は咲いては散っても、いささかも悲しみも憂いも示しませんが、人間には意志や感情があって、生まれたり生きたりすることには喜び、死んだり衰えたりすることには悲しみ、自分もまた宇宙の万物と同じ法則の前にあるのだという理解とは別に、いいかえれば、知的には、いくらもがいてもその法則の外に出ることはできないとわかっていながら、ただ理由なく、盲目的に、死は不安であり、死はいやだともだえるのであります。」
とありますように合理的に物事を見るだけでは、人の悩みや苦しみは解決しません。
すべては変化する、人はやがて死を迎えるといくら理解していても、人の死は悲しく、自分は死にたくないと思うのが人間です。
そこで「ここまできて釈尊は、その探究の眼をこの人間の盲目的な意志、普通お互いが「私」とか、「自分」とかよんでいる、見たり聞いたり、話したりしているものの上にそそがれることになりました。いったいこの見たり聞いたりしているものは何であるか、本当にそんなものがあるのか、それとも仮りのものか、ということの究明にかかられました。これがいわゆる坐禅の修行であります。」
という修行を行ってついに悟りを開かれました。
その悟りについて朝比奈老師は
「つねにお互いがたよりにし、お互いの生活の根抵としている、意識そのものには実体はなく、その意識のつきたところに、永遠に変わらない、始めもなく終りもなく、つねに浄らかに、つねに安らかに、つねに静かな光明にみたされている仏心があるということを悟られたのであります。
しかもその仏心は悟られた釈尊だけでなく、人間という人間、いや人間ばかりでなく、あらゆる生ある者はみなこの仏心をそなえていると、悟られたのであります。」と説かれています。
実に明解な教えであります。
この仏心の世界を朝比奈老師は縦横無尽に説かれました。
朝比奈老師の法話を集めて「法雨」という冊子が出されたこともありました。
雨が乾いた大地を潤すように、教えが人の心を潤すというのです。
法話の終了と同時に雨が降り出したのも不思議なご縁と思ったのでした。
横田南嶺