四年ぶりの…
東京の神田祭が四年ぶりに開催されたという報道がありました。
京都の葵祭も四年ぶりに開催ということであります。
円覚寺でも四年ぶりという行事がございます。
それが修行道場の講中齋という行事であります。
円覚寺などは、もとは北条家のお寺であり、鎌倉時代には鎌倉幕府によって手厚く守られてきました。
勅額をいただいている寺などで大切にしてもらってきたのでした。
いろんな処に寺領があって、そこから年貢米などもおさめられていました。
経済的に苦労することはなかったのでした。
室町時代も江戸時代も幕府によって守られてきていたのでした。
それが明治維新となって、経済的な基盤を失いました。
明治のはじめには、神仏分離令が出されて、神道を中心にするようになって、各地で寺院や仏像などが壊され僧侶の還俗が強制されるようなことも起ったのでした。
そんなか円覚寺でも大きな打撃を受けたのでしたが、明治八年には今北洪川老師が円覚寺の管長になられて、多くの信者さんを得ることができるようになりました。
洪川老師は、いち早く円覚寺で一般の方も坐禅参禅ができるようになさって、洪川老師のもとには、当時の学者、政治家、財界の方などが参禅されたのでした。
そのようにして新しい信者さんを得ることができました。
洪川老師のもとには、山岡鉄舟、鳥尾得庵、北条時敬、奥宮慥斎など錚々たる人が参禅されていたのでした。
そしてそういう方々が円覚寺を経済的にもささえてくれたのでした。
洪川老師のあと釈宗演老師が円覚寺の管長になって、宗演老師に参禅される方は一層増えました。
洪川老師の時に一時途絶えていた円覚寺の修行道場も再開されました。
修行道場では、畑で野菜を作っていますものの、お米を作ってはいません。
信者さんたちにお米をいただきに廻るようにしました。
これを日供といいます。
また日供合米などと言います。
毎日食事をするときに、ほんのひとつかみのお米を升にとっておいてもらいます。
そうして集まったお米を月に一度、修行僧がそのお宅を訪ねて、玄関先でお経をあげて一月集めたお米をいただいてくるのです。
日供は『広辞苑』にも出ている言葉です。
『広辞苑』には「毎日神仏に供物をすること。また、その供物。」とありますが、毎日お供えされたものをいただいてくるというのが、日供合米なのです。
だんだんとこのお米がお金に代ってきて今はお金をいただくことがほとんどであります。
なかには、この日供の精神を生かして、毎日小銭をすこしずつ供えて、その一月供えた小銭を下さる方もいらっしゃいました。
今は月に一度まとめてくださる方がほとんどであります。
お釈迦様のお言葉に
花びらの色と香を
そこなわず
ただ蜜味のみをたずさえて
かの蜂のとび去るごとく
人々の住む村落(むら)に
かく牟尼は歩めかし
とあります。法句経の四十九番です。
講談社学術文庫の友松円諦先生の訳であります。
信者さんたちのご負担にならないように、ご迷惑とならないように、傷つけることがないように、お志を頂戴するというのが日供の精神なのであります。
そういう信者さんのお宅では、修行僧が托鉢に行くと、休憩して茶菓の接待をしていただくことがあります。
またお昼のご飯を頂戴することもございます。
修行僧にとってはこれが大きな楽しみでありました。
そういう信者さん達の集まりを育英講と言っています。
その信者さんたちを年に一度円覚寺にお招きしてご先祖のご供養をさせていただくのが講中齋であります。
コロナ禍の前までは、修行僧達の手作りのお昼ご飯を差し上げていたのでしたが、今回は食事の提供は無しにして、法話と施餓鬼の法要のみをさせてもらいました。
終わったあとには、国宝舎利殿を拝観していただくというものであります。
もっとも修行僧としては信者さん達のご供養にお答えするには、毎日しっかり修行することにほかならないのですが、年に一度感謝の行事なのであります。
こういう行事も毎年行っていると何でもないのですが、四年ぶりとなるとあれこれ戸惑うことが多いものであります。
修行道場を既に出て行った和尚さんも何名か手伝ってくださってようやく無事に勤めることができました。
私の講中齋での法話も実に四年ぶりとなったのでした。
毎年行っていると、昨年の話とかぶらないように気をつけますが、四年ぶりとなると覚えている方も稀かとおもいます。
しかしながら、法話の前には一応四年前にどんな法話をしたか調べてみました。
「予防医療で長寿にそなえ 健康診断などで日頃から健康状態を把握し病気を予防する予防医療が広がっています。
年に一度検診し病になるまえに予防して健康長寿を実現したいものです。
平素の習慣が健康を維持します。
それには毎日よき習慣を身につけることです。」
思考が言葉となって現われ、言葉が行動につながり、行動はやがて習慣になり、毎日の習慣がいつか性格となり、その性格が運命となってゆきます。」
という話から始まっていました。
今回はちょうど雨が降っていましたので妙好人の源左さんの話から始めました。
お寺にお参りするのに途中で土砂降りになってずぶ濡れになってしまいました。
いつも何があってもようこそ、ようこそと感謝している源左さんですが、こういうときには困っているだろうと思ってお寺の和尚が、雨に濡れてたいへんだったろうと言うと、源左さんはこう言いました。
「ありがとうござんす、鼻の穴が下に向いとるで有り難いぞなあ。」と。
たしかに鼻の穴が上を向いていたなら、降ってくる雨が鼻に入ってたいへんです。
鼻の穴が下向きであることを有り難いと思う心はたいへんなものです。
鮫島純子先生は、何があってもありがとうとよく仰せになっていましたが、何事も感謝するという心から話を始めさせてもらいました。
感謝する心というのは、仏さまの心です。
そしてその仏様の心は誰しも生まれながらに具わっているのだとお話したのでした。
横田南嶺