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臨済宗大本山 円覚寺

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2022.09.09
今日の言葉

再び花火に思う

私のこの毎日の配信も全国いろんなところでお聴きくださっているようで、いろんな方からお便りを頂戴します。

このたびも、新潟の方からご丁寧なお便りを頂戴しました。

その方も有り難いことに毎日「管長日記」を聴いてくださっているのだそうです。

遠いところで聞いてくださり感謝します。

先月八月二十二日の「花火は好きになれない」という話についてお便りをくださったのでした。

その「花火は好きになれない」というのは、他の毎日の配信よりもずっと再生回数が多いものでした。

その数の多さに驚きながらも、やはり広い世の中には、花火を喜べない人もいるのだなと思ったのでした。

さて新潟の方からのお便りには長岡花火について思うところあり、「ご存じのこととは思いましたが、お伝えしたく書かせて頂きました」

ということなのであります。

私は半藤一利さんの本で知っただけのことなので、長岡花火について、全く「ご存じなこと」ではないと思って拝読させてもらいました。

その方のお便りによれば

「八月一日は、現在は平和祭となり、空襲で亡くなった方々への慰霊、復興に向けて尽力した先人への感謝、恒久平和への願いを込めて長岡空襲の始まった午後十時三十分にあわせて、白一色の尺珠三発が打ち上がり、市内寺院の慰霊の鐘が打ち鳴らされます」

のだそうです。

そのあとに『この空の花 -長岡花火物語』のホームページにも書かれいてることが記されていました。

『この空の花 -長岡花火物語』とうのは、2012年4月7日に公開された大林宣彦監督の日本映画作品で、1945年の長岡空襲とその後の長岡花火への流れを描いたセミドキュメンタリー映画なのだそうです。

こちらの映画のことも存じ上げませんでした。

『この空の花 -長岡花火物語』のホームページに書かれていることをそのまま引用させてもらいます。

「昭和20年8月1日午後10時30分、米軍の爆撃を受けた長岡の空は赤く染まり、街は一夜にして灰塵と化し、1,470余名の命が奪われました。
 
その二年後、地獄の底から立ち上がった市民は、戦災復興と平和への祈りを込めて、長岡の空に花火を捧げました。戦中の中断を経て、再び「長岡花火」は祈りの花火として復活。喜び、悲しみ、感謝、鎮魂、人々は時代を越え、毎年惜しみなく夜空を染め上げる華麗な一瞬の花々に、さまざまな思いを託し続けてきました。」

というのであります。

それからお便りにも書かれていたのがあの裸の大将、山下清画伯の言葉です。

山下画伯には「長岡の花火」という名作があります。
 
昭和24年の夏、山下清は長岡を訪れたそうです。

それは放浪中の旅ではなく、日本一の花火を見るためだったそうです。

その翌年、脳裏に焼き付けた記憶だけで生まれたのが、あの「長岡の花火」なのだそうです。

記憶のすごさには驚きます。

その山下画伯の言葉に

「みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりをつくっていたらきっと戦争なんか起きなかったんだな」

というのがあるそうです。

単純なことですが、これが真理であります。

そして更にお便りには、長岡花火の立役者嘉瀬誠次さんの言葉も書かれていました。

山下画伯の描いた「長岡の花火」をいまも家宝として大切に所蔵しているのだそうです。

嘉瀬さんは今年百歳を迎えたそうです。

その嘉瀬さんが、

「全ての爆弾を花火に換えたいねー。

二度と爆弾が空から落ちてこない、平和な世の中であってほしいんだよ。

破壊のための火薬を楽しみのために使うんさ」

というのであります。

いろんな思いが長岡の花火に込められているのだと学ぶことができました。

そして同じ『この空の花 -長岡花火物語』のホームページには、花火が好きになれない方の言葉も書かれていました。

こちらもホームページから引用させてもらいます。

「しかしその一方で、嘉瀬とは違った思いで長岡花火を見てきた老女がいます。

「花火は嫌いなんですよ、あの音も光も。あの日を思い出すから」

あの日とは、昭和20年8月1日、焼夷弾で長岡が焼失した大空襲の日です。

まだ乳飲み子だった娘を空襲で亡くした老女にとって、花火は胸が締めつけられるような辛い記憶を呼び起こすものでしかなかったのです。

長い間、あの空襲の日の忌まわしい記憶を封印して生きてきた彼女とその夫は、毎年長岡が花火大会で賑わう最中、家中の窓を閉め切り「いやだねー、花火は」と言いながらやるせない思いで過ごしてきたそうです。」

というのであります。

半藤さんと同じような思いをされているのであります。

映画のホームページには、

「長岡の夜空に、パッと見事な大輪を咲かせ、一瞬のうちに消えてしまう花火。

パッと咲いてパッと散る花火にもそれぞれ咲き方や散り方があるように、長岡花火にもまたそれぞれの思いや人生があります。

そして、この夏も人々は信濃川河畔に集い、復興を願い、平和を祈って、花火を上げます。

そこには、還らぬ人に思いを馳せ、この空の花にそっと手を合わせる人がいます。

そのはかない美しさに、遠い日の懐かしい記憶をたどる人がいます。

大切な人と一緒に眺めるこの空を、いつまでも心に焼き付けておきたいと願う

長岡花火はそれぞれの思いをのせて打上げる、特別な花火なのです。」

と書かれていました。

心にしみいる文章であります。

映画を見る機会はありませんが、こういう映画があったということ、そして長岡の方たちの花火への温かい思いを知ることができて感謝します。

これからは私も花火の音が遠くから聞こえてきたならば、恒久の平和を祈りたいと思います。

その方のお便りの最後には、「テーマ音楽にいやされます」と書かれていました。

 
横田南嶺

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