五体投地と坐禅断食
『般若心経』にも、観自在菩薩が深般若波羅蜜多を行じる時とあります。
しかも、『般若心経』には、行を行じつつある時というのが原文に忠実な訳であります。
行は実践し続けるものであります。
我々禅宗でも行を大事にしていますが、残念なことにほとんどが過去のことになっています。
確かに僧堂、修行道場で厳しい修行をしますが、数年修行すれば、それで住職になる資格が取れてしまいますので、あとは過去の話になってしまっています。
自分たちは、僧堂で何年修行した、たいへんな修行をしたんだということで終わってしまうのです。
そんな中で、ただいまも変わることなく行の実践をひたすら続けておられる方がにい日本らっしゃいます。
それが野口法蔵先生であります。
私も野口先生のご著書を拝読して尊敬していました。
ちょうど昨年の九月に松本の神宮寺に法話に行った折に、わざわざ私の拙い話を聞きに来てくださったのでした。
そこで初めてお目にかかることができました。
今回また松本市のお寺に行くことになったので、少し早めに出掛けて野口先生にお目にかかりいろいろとお話を伺ってきました。
松本市の郊外にある、梓川のほとりにお住まいでした。
清らかな土地に、聖者がお住まいになっているという感じであります。
野口先生は、私よりも五歳年上でいらっしゃいますが、お元気で身のこなしも軽やかであります。
野口先生は、もともとは、中学時代からの夢であったという新聞社のカメラマンをなさっていました。
それがご著書『断食坐禅のススメ』(七つ森書館)によると
「インドのカルカッタには貧しい人や病人の救済活動を行っているマザー・テレサがいて、彼女のそばで写真を撮りたいと考えたのです。
カルカッタは、貧困とハンセン病などの病気で死にかけている路上生活者であふれていました。
インドの路上生活者は「不可触賎民」というカースト制度の最下層にいる人たちです。
そういう人たちのいるところには水道もありません。
地面を伝わってくる飲めるとは思えないような水を飲んでいました。
マザー・テレサはそういう人たちを収容していましたが、施設の収容能力はたった男女五〇人ずつ、一〇〇人分しかありませんでした。
それに対して路上生活をおくる人は七〇万、八〇万にものぼります。入った人は天国です。
そのため施設に入れてもらえるようわざと病気になったり、指を切る人などがいるほどでした。
そういう方々の写真を撮り、だんだん言葉がわかってくると、死んでいく人の顔に不思議が見えてくるようになりました。
ハンセン病で指が溶けたり、顔が溶けたり、筋肉が溶けたりすると、非常に痛いのだそうです。
しかし彼らの顔をアップで撮っていくと、崩れた顔の人が笑うことがあります。
痛くて、苦しくて、悲惨で、それなのになぜ笑えるのだろうという疑問が頭の中を占めるようになっていきました。
やがて、その理由が宗教にあるのだということがわかってきました。
インド人の中にある「輪廻転生 生まれ変わる」という信仰が、苦しい状態でも人に笑って返せるような余裕を生んでいるということがわかってきたのです。
はじめは、生きていくのに必要だから宗教があるのだろう、貧しいからだろう、生きていくのが困難だからだろうくらいにしか思わなかったのですが、それにしてもこんな状態でも笑顔を返せる余裕というのはすごい、と思うようになりました。
そのため、この信仰の中身を知ればもっと深い写真が撮れるだろうと考えて、チベットに行きました。」
というのであります。
そのチベットで二十三歳で僧になったのでした。
ラダックの僧院や、スリランカで修行され、更にインドのタゴール大学でも学ばれたのでした。
日本では臨済宗の僧堂でも修行されています。
野口先生の御修行の特色は、五体投地と、坐禅断食であります。
今回おうかがいして、その五体投地のことや断食について教わってきました。
野口先生の五体投地を実際に拝見し、ご指導いただきました。
膝を痛めないように工夫されていて、とても勉強になりました。
毎日まず百八回行うといいと教えていただき、早速毎日実践してます。
野口先生は、一日千回も行っていて、もう七百万回を超える五体投地を続けておられるのであります。
やはり本で読んで理解するのと、実際にお目にかかって教わるのとでは天地の違いがあります。
ゆったりと無理のないペースで五体投地をなさっていることがよく分かりました。
仏道は礼拝行だと思っていますので、野口先生のご縁を大事に毎日実践しようと思っています。
野口先生の坐禅断食会というのは、二泊三日で行われいるものです。
藤田一照さんが参加されて話を聞いたのでした。
二泊三日で一回二十分の坐禅を16回にわたって行うのです。
自律神経が整うには二十分の時間が必要とのことでした。
これを一回毎に三十分ほどの休憩を入れながら繰り返しているとのことです。
三日目の回復食が特徴的でこれで宿便を出すようにするとのことでした。
もっとも断食には危険な一面もあるとのことで、いろいろ教わりましたが、私たちの修行道場では、摂心中に一日断食するのみですので、四十八時間以内の断食であれば、全く危険性は無いと教えてもらいました。
野口先生は、大学の医学部の方たちと断食坐禅をなさっていたこともあり、とても医学的であり合理的に考えられていました。
呼吸も十秒吐いて五秒くらいで吸うのが基本で、それより遅くなるのはよく、それより速い呼吸ではよくないのだということでした。
二時間ほどお世話になりましたが、まだまだ教わりたいことがあるという思いでした。
優れた方にお目にかかって学べることは有り難いことです。
横田南嶺