花火は好きになれない
円覚寺の本山では、雨安居の結制が五月十五日で、八月十五日が解制になります。
もっとも今では形式的に読経するだけで、昔のように安居の禁制が守られているわけではありません。
八月十五日までが安居の期間なので、その安居の終わったあとの十六日に施餓鬼の法要を行っているのであります。
昔からの決まりの通りの日程なのであります。
例年ですと、午前十時から管長の法話があり、そのあと十一時から施餓鬼法要が、十二時過ぎまで続きます。
ただコロナ禍ということで、法要を簡略化して、法話は省略、お経も短くするので、例年の三分の一ほどの時間で終わります。
コロナ禍で仕方ないとはいえ、三年もこうして簡略して行っていると、楽に流れてしまう気も致します。
なにぶんにも法話がないと、こんなに楽なことはないのです。
法話をお聴きになる方もたいへんだと思いますが、法話を行うのもけっこうたいへんであります。
特に施餓鬼の法話となると、毎年似たような話になってしまいます。
昨年の法話がなんであったか調べて、いろいろの資料を集めて構成を練って、頭に入れておかねばなりません。
それが無いと、お経を読めばいいだけなので、こんなに楽なことはないのです。
多分参列の皆様もこの方が時間も短くていいと思っているのではないと察します。
和尚様方も例年は大勢御出頭いただくのですが、大勢集まるのはよろしくないということなので、本山の事務所の和尚さんと僧堂の修行僧数名で行ったのでした。
さて来年はどうなることでしょうか。
その日の夕方からは円覚寺の総門を出たところに、修行中に亡くなった僧侶が埋葬されている墓地があり、そこで施餓鬼の法要を行います。
これも今年は僧堂の修行僧のみで行いました。
屋外での施餓鬼は、なにか施餓鬼の原点を思い起こさせてくれます。
それらの行事が終わるとお盆も一通り終えることになるのであります。
一通り終えて部屋に戻って、届いた郵便を拝見していました。
先だってとある方から個人の詩誌を送っていただいて、その中に、
戦争を体験された方が花火は好きになれないと言ったという言葉があって、その一言が印象に残ってお礼状を出しておいたのでした。
するとご丁寧なお手紙と共に、「花火は好きになれない」という言葉の出典を教えてくださったのでした。
『戦争というもの』という半藤一利さんの本でありました。
半藤さんの本はいくつも拝読しています。
半藤さんならばと思う言葉であります。
早速この『戦争というもの』という本を取り寄せて読んでみました。
巻頭に、
「人間の眼は、歴史を学ぶことではじめて開くものである」という言葉が書かれいます。
まえがきには、
「その戦争の残虐さ、空しさに、どんな衝撃を受けたとしても、受けすぎるということはありません。
破壊力の無制限の大きさ、非情さについて、いくらでも語りつづけたほうがいい。いまはそう思うのです。
戦争によって人間は被害者になるが、同時に傍観者にもなりうるし、加害者になることもある。そこに戦争の恐ろしさがあるのです。
太平洋戦争では、のべ一千万人の日本人が兵士あるいは軍属として戦い、戦死二百四十万人(うち七十パーセントが広義の餓死でした)。
原爆や空襲や沖縄などで死んだ民間人は七十万人を超えます。
戦火で焼かれた家屋は、日本中で合わせて二百四十万戸以上。まさしく本土全体が焼野原となり、万骨の空しく枯れたのち、昭和二十年八月十五日に戦争はやっと終結することができたのです。」
と書かれています。
改めて戦禍の大きさを思います。
本の解説は半藤さんの奥様(半藤末理子さん)が書かれています。
奥様は新潟県の長岡に疎開されたそうです。
昭和二十年の八月一日長岡で空襲があったのだそうです。
「地上からはメラメラと燃えたつ巨大な炎の柱が天を射るようにそびえ立ち、闇夜を真っ赤に染め上げた。街全体が炎に包まれるのを私は初めて見た。」
と書かれています。
そんな体験をなさっているので、
花火で有名な「 長岡まつりの季節になると、私は花火よりも先に、大空襲の夜の悲しい美しさを思い起こしてしまいます。
それが悲惨な戦争を経験した者の、辛い性ということなのでありましょうか。
亡き夫も花火は大嫌いでした。
花火を見ると、よく二人で不機嫌になったものです。」
というのであります。
同じ花火を見てもきれいだとみる人もいれば、空襲の炎や音を思い起こしてしまう人もいるのであります。
ただこのような花火で空襲を思い起こす人がいてくれるからこそ、平和が保たれるような気がします。
奥様の解説は、
「天災と違って、戦争は人間の叡智で防げるものです。
戦争は悪であると、私は心から憎んでいます。
あの恐ろしい体験をする者も、それを目撃する者も、二度と、決して生みだしてはならない。それが私たち戦争体験者の願いなのです。」
という一文で結ばれています。
心に刻むべき言葉であります。
戦争を体験していない私ですが、花火はどういうわけか好きになれず、鎌倉の花火も一度も見にいくことはありません。
しかし、どこか華やかなお祭りには、生の傲りのようなものを感じてしまって楽しむことができないのです。
お釈迦様のお弟子の舎利弗と目連尊者が出家する前にこんな逸話が残されています。
『ブッダとその弟子89の物語』から引用します。
舎利弗と目連がまだ出家する前に二人で村の祭りを見に行った話であります。
「あるとき、ラージャグリハ(ラージャガハ)の近くの山に祭礼があり、二人連れだって見物に出かけた。
さまざまな地方から何千何万という人々が象や馬車に乗ったり歩いたりして集まり、楽器に合わせて大声で歌ったり踊ったりしていた。
祭りはいまやたけなわというなかにあって、よろこびたわむれている人々を見てサーリプッタは思った。
「これらの人々は、いまは晴やかな顔をして笑いあっているが、百年経ったときには、生きている人は一人もいないのではないか」
コーリタ少年(後の目連)も一人の大道芸人のざれごとを聞いて、人びとが大口をあいて笑っているのを見て思った。
「百年経ったとき、 いま口を開いて笑っている人々の上あごと下あごが合わさっているだろうか」
このように思ったとき、二人とも祭を見てはいられなくなり、静かな場所へ行って、一日も早く出家して真実の道を求めようと誓いあった。」
という話なのです。
華やかなお祭りに、華やかであるが故にこそ、無常を感じるのであります。
こんな気持ちは私にはよく分かります。
私は二歳の時から人は死ぬものだと思うようになりましたので、祭りをみてもやがて死を迎えるのに何が楽しいのだろうと思ってしまいます。
そんなわけで、半藤一利さん夫婦とは異なりますものの、私もまた花火は好きになれないのであります。
横田南嶺