流れに沿って岸ができる – 真の自由とは –
「川は岸に沿って流れているのではない。
川の流れに沿って岸ができるのである。」というのがあります。
以前にも紹介したことがあります。
この言葉にはいろんなことを考えさせられます。
私などは修行道場にいますので、修行道場の様々な問題を考えるうえにおいても大切なことを教えてくれます。
先日もこの言葉を紹介して修行僧たちと話し合いをしていました。
まず、「川は岸に沿って流れているのではない。
川の流れに沿って岸ができるのである。」
という言葉を紹介して、この言葉の意味が分かりますかと問いました。
この頃の川を見ると、どこの川にも立派な堤防ができていて、その岸に沿って水が流れていると思われます。
堤防の無かった頃の川というのは、自由に流れていたのでした。
それだけに、川のそばに住む人は絶えず災害に見舞われてしまいます。
かの白河法皇は、自らの意のままにならない「天下三不如意」として、「鴨川の水に山法師、さいの目」と言われたのはよく知られています。
何ごとも思うままにすることができたように思っても、鴨川の流れはどうしようもなかったのでした。
それだけに、政を司る者にとって治水は大きな課題だったのです。
現代は、なんといっても土木工事が発達しました。
コンクリートで頑丈な堤防を作ることができるようになりました。
そのおかげで、川の氾濫はかなり防ぐことができるようになりました。
それでも近年の大雨では、堤防が決壊することもあるのです。
ただしっかりとしたコンクリートの堤防が出来ると、そのための弊害もあるようです。
川の流れの勢いが弱まりますし、生態系にも影響がでます。
人間の都合で、人間が住みやすいようにと作っただけに、他の生物などにとっては必ずしもよいことではありません。
時に氾濫し、暴れるような川の方が勢いがあったと言えましょう。
さてこの東井先生の「川は岸に沿って流れているのではない。
川の流れに沿って岸ができるのである」という言葉、かつて花園大学で紹介したのでした。
この言葉を学校に当てはめてみると、学校という建物や組織があって、そこで自分たちが学ぶのではなく、自分たちが学ぼうと思って学校ができたのだということになりましょう。
今はすでに学校という建物や組織ができあがっていますので、そこに入って学ぶという感覚でありましょうが、もともとを考えると何もなかったのでした。
なにも無かったところに、勉強しようと思う人たちが、校舎を建てて、先生にお願いして講義をしてもらい、そうして学校が出来ていったのです。
学校があるから学ぶのか、学ぼうと思って学校を作るのか、この違いは大きなものです。
川にあまりに頑丈な堤防ができあがってしまうと、水の勢いが無くなってしまうように、あまりに組織ができあがってしまうと、いろんな弊害も出てきているのが昨今の現状でありましょう。
へたをすると、組織や建物を維持することが目的のようになってしまうこともあり得ます。
修行道場にも同じようなことが言えるのであります。
円覚寺の今の修行道場は江戸時代の終わりに大用国師誠拙禅師を中心にしてできあがったものでした。
はじめは舎利殿しかないところに修行し始めたのでした。
せめて修行僧が寝起きし、ご飯を炊くところを作ろうというので、今の宿龍殿という建物が出来たのでした。
そして坐禅堂ができ、老師のお住まいである一撃亭ができあがったのでした。
はじめに修行しようという強い思いがあって、できあがっていったのでした。
まさに、水の流れに沿って岸ができたのです。
水の流れというのは、意欲であります。
ところが、建物ができあがり、組織もしっかりすると、意欲が弱くなることもあります。
形式にとらわれてしまって、その組織を維持することに重きがおかれるようになりがちなのです。
修行道場でも草創期にすぐれた人材が出ていることが多いのです。
やはり強い意欲があって、それぞれいろんな工夫しながら行うところに、すぐれた人材も出るのでしょう。
また、修行道場にはさまざまな規則があります。
この規則というのも、修行しようという意欲が先にあって、その時々でどうしたらよいかを話し合って決めていったものでしょう。
先に意欲があって、水の流れに岸ができるように、規則もできていったのです。
ところが規則がしっかりでき過ぎてしまうと、今度は規則を守ることに汲々としてしまい、肝心の意欲が減退してしまいかねません
では規則を無くせばいいかというとそうでもありません。
堤防を壊してしまえば、勢いがでるかもしれませんし、原点回帰にはなるでしょうが、やはり災害が増えてしまいます。
そんなことを考えていると、松本市の神宮寺の谷川光昭和尚から神宮寺の寺報『山河』が届きました。
いつもながら、神宮寺様の寺報は、内容も装丁も素晴らしいものです。
そのなかに、谷川和尚が「わたしたちの自由」と題して書かれていました。
「「禅ヒッピー」という小説がある。カウンター・カルチャーを代表する作家、ジャック・ケルアックの著作である。
彼の代表作「路上」とともに大学生時代に読んだまま本棚にしまわれていたものを、この隔離期間中(谷川和尚がコロナ感染の濃厚接触者になった為)に引っ張り出してきた。
ジャック・ケルアックといえば、あの鈴木大拙先生との逸話がある。
二人がニューヨークで対面した時、大拙はケルアックに対して、「君たちは自由をはき違えている」と言ったと言います。
肘は外に曲がらない。肘が外に曲がったら痛い。肘は外に曲がらないから自由なのだとケルアックに伝えたといいます。
そしてケルアックはその時、自由の本当の意味を理解したという。」
という文章であります。
肘というのは腕のことであります。
たしかに腕は内側には曲がりますが、外側には曲がりません。
自由というのは、その腕を外に曲げることではないというのです。
そのことについて谷川和尚が、
「もし、肘が外に曲がったらどうでしょう。 それが自由だと言えるのでしょうか。間違いなく痛いことはわかる。
当時のアメリカのカウンター・カルチャーはベトナム戦争への反対や環境破壊への抗議など理由は山ほどあれ、現状への反発であり、そんな社会からの自由をえるための活動だったのでしょう。
しかし、この時代を見た鈴木大拙先生は「君たちは自由をはき違えている」と言ったのだ。
社会や制度から離れよう離れようと自由になろうとして、むしろ社会や制度、活動に惑わされ、縛られている。
大拙先生の目にはそう見えたに違いない。
自由とは「自ずから由る」と書く。」
と谷川和尚が書かれていて、大拙先生の
「自由はその字の如く、「自」が主になっている、
抑圧も牽制もなにもない、「自(おのずか)ら」または「自(みずか)ら」出てくるので、他から手の出しようのないとの義である」
という『東洋的な見方』からの一文を引用されています。
この『東洋的な見方』からの引用の文章の前には、
「西洋のリバティやフリーダムには、自由の義はなくて、消極性をもった束縛または牽制から解放せられるの義だけである。それは否定性をもっていて、東洋的の自由の義と大いに相違する」と大拙先生は述べています。
そして「ものがその本来の性分から湧き出るのを自由という」と明言されています。
実に川の流れに沿って岸ができるのが「自由」なのです。
そうかといって、岸を壊せばいいというのではありません。
腕は外に曲がらない、それが自由なのであります。
規則のままのようで、そこに学ぼうという主体性がはたらくのが自由なのでありましょう。
自由をはき違えるといけません。
横田南嶺