心が世界を造る
「川は岸に沿って流れているのではない。
川の流れに沿って岸ができるのである。」というのがあります。
この頃の川は、ほとんどしっかりとした堤防ができていて、その間を水が流れているような感じでありましょう。
そうなると岸があって、そこに水が流れているように感じてしまいます。
しかし、岸が先にあったのではありません。
岸も堤防も何もないところに、はじめに水が流れたのです。
水の流れが、両岸を作っていったのです。
水には勢いがあり、力がありました。
それが、氾濫して多くの人が困ったりしたので、しっかりとした堤防を作ったのです。
堤防ができあがると、どうしても水の流れの勢いが弱まってしまうように感じます。
まず水が流れて、そして岸ができたのだということ、これは大事なことです。
四月二日、花園大学の入学式でありました。
昨年の入学式も出席する予定でしたが、ほんの数日前に、京都市内の大学で新型コロナウイルス感染者が出て、急遽入学式は取りやめになったのでした。
入学生には、私も総長としてのメッセージを送りました。
その時に、この東井義雄先生の言葉を紹介したのでした。
あれから一年経ちます。
今年はどうにか入学式は開催できました。
もっとも来賓や保護者の参加はお断りしたようであります。
今年の入学式でも、新入生に伝えたのは、同じ内容のことであります。
花園大学は、来年に創立百五十周年を迎えます。
大学で、百五十年の歴史を持つということはたいへんなことです。
大学としては、かなり古いものであります。
それだけの伝統があるということです。
そんな伝統の中で学べるということは有り難いことであります。
しかし、思えば百五十年前には何もなかったのです。
何もないところから、学びたいという者と大学を作ろうという者が集まって、土地を用意し、校舎を建てて、先生方にお願いして大学を始めたのでした。
始めに学ぼうという心があり、大学を作ろうという思いが結晶して、それで大学ができたのです。
この事を忘れはいけません。
今現在も、もしも誰も学ぼうという人がいなくなれば、いくら建物があり、先生方がいても大学は無いのと同じになります。
そう考えますと、一人一人の学ぼうという思いが、この大学を作っているのであります。
大学というものがはじめにあって、そこに生徒が入って学ぶのではないのです。
学ぼうという思いが大学を作ったのです。
もっと言えば、自分が学ぼうと思うから、この大学があるのだということであります。
こういう気持ちで学べば、きっと大学生活は実りあるものとなります。
そんなことを伝えたのでした。
我々の修行道場も同じなのです。
はじめから修行道場があって、そこに修行僧が来るのではありません。
修行僧が集まって、そこが道場になったのです。
円覚寺の僧堂の隠寮には、「擇木園」という洪川老師の書が掲げられています。
「択木」というのは、木を選ぶという意味です。
大工が良材を選ぶという意味にも取られます。
そうしますと、よい人材を選び出す道場という意味になります。
諸橋轍次先生の『大漢和辞典』には、「臣が主を選んで仕える喩」と説明があります。
以前盛永宗興老師にお目にかかった折りに、これは鳥が木を選んで集まることだと教わったことがあります。
鳥が木を選んで集まるように、修行僧が師家を選んで集まったのが道場になったのだということです。
そうすると、道場の主体は、師家にあるのではなく、修行僧である雲水にあることになります。
主体がどちらにあるのかを忘れはならないぞと盛永老師のお示しいただいたのでした。
盛永宗興老師という方は、花園大学の学長もお務めになられたご立派な老師でありました。
私も建仁寺の僧堂にいた頃に、老師のお寺である大珠院にうかがって、相見して御提唱を拝聴したことがあります。
円覚寺に来てからも、お目にかかったことがあります。
盛永老師は、後藤瑞巌老師のお弟子でありました。
瑞巌老師という方は、円覚寺の釈宗演老師の孫弟子にあたります。
円覚寺と同じ法系の老師でありました。
修行も学問も優れておられ、私も心からご尊敬申し上げる老師でありました。
盛永老師の仰ったことも、「川の流れに沿って岸ができる」というのと同じことであります。
修行僧が集まって道場になるのです。
それがいつの間にか、道場ができあがり、規則ができて、組織化されてしまうと、そこに入っているだけになってしまいがちです。
それでは主体性を失ってしまいます。
学ぼうと思う心が学校を作り、修行しようと思う心が道場を作る、この心が作りだしているのだという、このことを忘れてはなりません。
横田南嶺