一輪の花に学ぶ
拾って、そっと袂に入れました。
拝観券には、いろんな思いがこもっています。
かつては境内の掃除をしていると、よく拝観券が落ちていたものでした。
修行僧の頃には、よく拾っては捨てていました。
落ちていると、それは残念ながら、ゴミでしかありません。
十一年前に管長に就任して、この拝観券がゴミになるのをなんとかできないかと考えました。
拝観券を捨てないでくださいとお願いしても仕方ありません。
では、捨てられないような拝観券を作ろうと思ったのでした。
大切に持って帰ろうと思うようは拝観券にしようと考えました。
幸いに、いろいろと助言くださる方もいて、写真をカラーにしました。
年がら年中同じではおもしろくないので、季節毎に写真を変えるようにしました。
同じ季節であっても数種類作りました。
それから、せっかくお寺にお参りしてくださるのですから、裏面には、短い法話を書くようにしました。
それも何種類も作って用意したのでした。
そのように工夫しますと、拝観券のゴミが激減しました。
持って帰っていただけるようになったのであります。
中には、いろんな種類を集めているという奇特な方もいらっしゃるほどであります。
どうぞ円覚寺にお参りなさる時には、この拝観券にもご注目ください。
最近は、円覚寺の弁天堂にある茶店に行って、その拝観券を見せると飲み物が百円引きになるというサービスも付いているのであります。
さて、私が拾った拝観券にどんな言葉が書かれているのか、自分でも楽しみに思って読んだのでした。
こういう言葉が書かれていました。
一輪の花から学ぶ
お釈迦様の教えを学ぶには
経典からが一番ですが、
大自然からも学ぶことができます。
たとえば一輪の花が咲いている
その姿からも十分に学ぶ
ことができます。
花は無常であり、もろくはかない
ものです。明日にはもう散ってしまうかも知れません。
しかし決して愚痴を言わずに、
与えられたその場所で、
精いっぱいお日様の光を浴びながら、
今のひとときを咲いています。
そして常に明るい方へ、
日の当たる方へと枝を伸ばします。
はかなくてもろいからこそ、
今日一日を精いっぱい生きることを、
一輪の花から学べます。
そんな拝観券を拾って、部屋に持って帰って読みながら、自分の修行の原点を思い起こしていたのでした。
思えば、まだ中学生の頃でした。
松原泰道先生のラジオ『法句経講話』を聞いて感動して、手紙を書いて東京の三田の龍源寺でお目にかかることができたのでした。
その時に、生意気にも
「仏教にはたくさんの経典があって、とても全部を読みきることはできません、仏教の大事な処をこの色紙に書いてください」
とお願いしたのでした。
松原先生は嫌な顔ひとつなさらずに、次の言葉を書いてくれたのでした。
花が咲いている
精いっぱい咲いている
私たちも
精いっぱい生きよう
という詩でありました。
どこかの小学校の花壇に書いていた言葉だというのでした。
一読すると、そんなに深い教えでもないように思うかもしれませんが、実に深いものがあると思います。
この一片の詩が、私の修行時代を支えてくれたのであります。
先日カトリックシスターでいらっしゃる鈴木秀子先生にお目にかかった折りに、聖書の言葉を教わりました。
「栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」という言葉でした。
イエス様は、まるで詩人のようですねと思わず申し上げたのでした。
坂村真民先生には、花を詠った詩は、実にたくさんございます。
真民先生が愛したのは、どこにでも咲いている野の花でした。
こんな詩があります。
野の花
わたしが愛するのは
野の花
黙って咲き
黙って散ってゆく
野の花
野に咲く花でも、とりわけタンポポを愛されたのでした。
タンポポ魂という詩は、多くの人に愛されて、多くの人に生きる力をあたえた詩でもあります。
タンポポ魂
踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする
次の詩などにも真民先生の深い思いが込められています。
ただこれだけ
一輪の花の中に
神宿り給う
教典など
知らなくていいです
これだけでいいです
花が咲く、お日様の光りをいっぱいに浴びて花が咲く、その姿に真理がすべて現れています。
三島の龍沢寺の中川宋淵老師は、
花の世に花のようなる人ばかり
と詠われましたが、なかなか花のように生きるということは難しいことです。
もうひとつ真民先生の詩を紹介します。
ただそれだけ
宗教臭い人間になったら
もうおしまいだ
仏教臭い人間になったら
もうおしまいだ
詩人臭い人間になったら
もうおしまいだ
人を救うんだ
人を助けるんだ
そういうことを
口にする人間になったら
もうおしまいだ
花咲き
花散る
ただそれだけ
それでいいのだ
ただ黙っていても
心が結ばれてゆく
そういう人間にならねばならぬ
花咲き、花散る、ただそれだけ、それだけでいいのです。
真民先生もそういう生き方を目指して、それを全うされたのだと思います。
花に学ぶことは多いものです。
横田南嶺