小さきままに
少し以前になりますが、七月四日には、「どうする環境格差」という題で書かれていました。
「遊歩道に小さなスペースが作られ花が植えられている」のだそうです。
保育園の園児たちがヒマワリの種を植えて育てていたそうです。
そのスペースは二カ所あるというのです。
五~六メートルほど離れているのです。
芽が出た時には、同じような様子でした。
ところが、六月に入ると、一つの場所のヒマワリは、もう腰くらいまでの高さに伸びているのに、もう一つの場所のは、まだ数センチだというのです。
海原先生は「二つの場所は見たところ大きな違いは何もないように見える。日当たりも風通しも同じように見える。でも何か条件が違うのだろう。」と言います。
そして
「これを見て考え込んでしまった。ヒマワリの種は同じものだ。でも置かれた場所でこんなにも成長が違ってしまう」のはなぜかとお考えになります。
そこで
「環境の条件というのは、こんなにも差を生むものなのだ。」
というのでありました。
その話を引用して、七月十日の管長日記には、「人皆に種有り」と題して、
安積得也さんの詩集『一人のために』のはじめにある、
はきだめに
えんど豆咲き
泥池から
蓮の花が育つ
人皆に美しき種子あり
明日何が咲くか
という詩を紹介したのでした。
どんな環境にあっても、それにめげずに生きようという話をしたのでした。
さて、七月十八日の「新・心のサプリ」は、「ヒマワリ後日談」という題でした。
ああ、あのヒマワリはどうなったのかなと、私も楽しみにして拝読しました。
海原先生は、
「しばらく見に行けなかったが、先週行ってみると、1カ所の茎はすでに私の背丈ほどの高さのあるものもあり、緑色の小さなつぼみをつけているものが数本見られた。
一方、もう1カ所のヒマワリは相変わらず茎の丈は私の膝までないくらいの高さだ。」と書かれていましたので、ああやはり、環境の悪いところでは大きくならないのだなと思ってしまいました。
ところが、
「やはり成長が遅れているのだろうか、と思いながら近づいてみてちょっと驚いた。葉の中にかなり大きなつぼみができていてすでに鮮やかな黄色の花びらを予感させる気配があるのだ。それも1本や2本ではなく、多くの葉の中から元気なつぼみが顔を出していることが分かった。
背丈が伸びないヒマワリたちは茎の高さを高くするということにエネルギーを使うのをやめて花を大きく育てるという方針を採用したのだろうか、とおもった。」
というのであります。
環境の悪い中でも、やはりそれなりに環境に応じてヒマワリも頑張っていたのだと嬉しくなりました。
更に読んでみると、
「ところがそれから数日後、もう一度ヒマワリを見に行き驚愕(きょうがく)した。小さなヒマワリたちは、均一に同じように花を開かせているのだ。そのあまりにも整然とした状態を見てこれは、違う種類の種が蒔かれたのではないか、と思った。」
なんと、「背丈の低いヒマワリはミニヒマワリの種を蒔いたのだろう。」ということでありました。
同じ種ではなかったのでした。
ミニヒマワリというのは、存じ上げないのですが、品種改良してそのように小さいままに咲くようになっているのだそうです。
同じヒマワリの種が植えられて成長してゆく課程を海原先生が御覧になって、環境の差を感じて、それでも与えられた環境でそれなりに咲こうとしている姿を感じて、そうして、よくみてみたら、別の種類の種だったという話なのでした。
ひとつのものを眺めても、こちらの心の変化がよく分かる話でありました。
いろんな思い込みをしてしまうのがお互い人間なのだと改めて思いました。
ヒマワリというと思い起こすことがございます。
紀伊半島を襲った大水害から、この秋で十年になります。
もう多くの方の記憶からは薄らいでいるかと思いますが、私には、忘れることができません。
その年の春に東日本大震災が起きて、その秋に、私の故郷が、水害に遭って多くの方が亡くなったのでした。
私の故郷新宮市でもお亡くなりになった方がいらっしゃいました。
そのなかでも、救助活動をしていたご主人を亡くされた方がいらっしゃいました。
その方とは、今もご縁が続いています。
水害から三年が経つ夏にお手紙をいただいたのでした。
その二年前の一周忌の慰霊祭でお目にかかって、私は延命十句観音経をお勧めしたのでした。
そこで、「感謝の心で仏さまを朝晩拝み延命十句観音経を唱えるようになったあの日から、毎日よいことばかり続いているように思います。」と書かれていたのでした。
今までは、テレビで台風や雨の被害で亡くなった方のニュースを見ても他人事にように思っていたのが、「ご家族の悲しみを思う事が出来るようになりました」というのです。
そして、「また今回の事がきっかけに新しい絆がうまれたり、昔の絆が復活してお互いに支え合い思い合うつながりの中で生活の質がより深くより豊かになっていく不思議に驚いています。
支えていただいた私どもが他の方の支えになれるように足元からゆっくり観音さまのこころを広げていけるように暮らしていきたいと願っています。」
と書かれていたのでした。
この中にある、「支え合い思い合うつながりの中で」という言葉に心打たれました。
そこから、
「ささえあい おもいあい つながりの中に 生きる」
という言葉をよく使わせていただいて法話をしてきました。
更に、お手紙には、
「今年は主人が作っていた田んぼにひまわりを植えお米も息子や地元の方々の協力を得て少し作ってみました。毎朝夕稲穂に声をかけながら穂頭が垂れてくるのを心待ちにしています。」
と書かれていて、たくさんのヒマワリの咲いた写真を同封していただいたのでした。
そんなヒマワリを思い出したりしました。
そのヒマワリも、田んぼで咲くのは、大きく背丈も高いものでしょう。
背の低いミニヒマワリもあるのでしょう。
こんな和歌を思い出しました。
小さきは小さきままに花咲きぬ 野辺の小草の安けきを見よ (高田保馬)
さて梅雨もあけまして、今年も、またそれぞれの夏を迎えます。
横田南嶺