分からなくなる
いよいよ、京都へ向けて出立するという前の晩に、師匠の小池心叟老師が、「これを荷物に入れてゆきなさい」と言って、一冊の本をくださったのでした
こんなことはなんでもないようなことと思われるかもしれませんが、実は、私どもの世界ではとても不思議な、そして考えられないようなことなのです。
なんとなれば、臨済宗の修行道場では、文字を見ることは固く禁じられているのです。
よく、修行道場では勉強をするのだと思われていますが、それはしないのであります。
書物を見てはいけないのです。
それは、昔の方は、道場に入る前に、学問的なことは十分に学んだ上で、最後の心の決着をつけるために道場に入門してきたので、道場に入ってから、また文字などを頼りにしてしまうと、心境が開けないとされていたのでした。
もっとも、今日ではそんなに勉強してから道場に来る者は、稀なので、私のところの道場では、勉強もさせるようにしています。
しかしながら、当時は何年も修行した後には、必要に応じて書見も許されるようになりますものの、初めて入門した当初には、「筆硯を弄することを許さず」という規則があって、本を見ることなど御法度なのであります。
小池老師は、長年建仁寺の修行道場で修行されて師家分上となられた方です。
そんなことを知らぬはずはありません。
百も承知の上で、なぜか一冊の本を私にくださったのでした。
どういう訳かもわからずに、密かに荷物の中に入れておいたのでした。
もしも先輩の修行僧に見つかりでもしたら、間違いなく叱責されて、そのうえ没収されるであろうことは目に見えています。
しかし、わざわざ師匠がくださったので、大事にそれこそ隠すように荷物の奥に入れたのでした。
大学卒業までは、自由に本が読める環境にいましたので、本を読めない、文字を見ることができない暮らしというのは想像した以上に苦しい思いがしたものでした。
「文字に飢える」という感覚でした。
修行道場というところは、毎晩夜遅くまで坐禅して、朝も早いのです。日付が替わるくらいまで坐禅してそれでいて、三時頃には起きるのです。
そんなわずかな睡眠時間を更に削って、夜中にかすかな明かりを頼りにして、荷物の奥からこっそり、師匠からいただいた本を取り出して、その文字を眺めていたのでした。
それが、楽しみでもありました。
その書物が『正受老人崇行録』でありました。
正受老人という方の伝記と言葉や漢詩が集められたものです。
正受老人は、白隠禅師の師であり、厳しい指導ぶりであったことなど、師匠からよくうかがっていました。
この本を私に下さったのは、厳しい正受老人のことを思って、修行道場の生活に耐え忍べとの師匠の慈悲心であったのだろうかとも思いました。
はたまた、臨済宗の僧侶として修行するからには、正受老人のような方を目指して修行に励めとのお心だったのであろうかとも思ったりもしました。
しかしながら、小池老師に直接意図を尋ねることもなく、ご遷化になってしまい、今となっては知るよしもありません。
ともあれ、そうして『正受老人崇行録』は爾来三十数年、私の座右にあって、拝読しているのであります。
修行道場の指導者である師家となってからは、是非一度この書物を提唱してみたいと思って、修行僧の為に一通り講義してみたこともあります。
ですから、正受老人にことについては、自分としてはかなり十分知っているつもりでありました。
それが、このたび正受老人の三百年遠諱にあたって、正受老人の地元である飯山市からの依頼で記念講演をすることになっています。
来月なのですが、今その資料作りに追われています。
あれほど、読み込んできたし、講義もして、それから致知出版社から『禅の名僧に学ぶ生き方の知恵』にも正受老人のことを書いたこともあるのに、改めてもう一度調べなおし、いろんな資料にあたっていると、だんだん分からなくなってくるのです。
分かっていたようなつもりでいたのが、だんだん分からなくなってきます。
分からなくなると困るように思われるかもしれませんが、実はこの分からなくなるのがいいのです。
かつて前管長の足立大進老師が、こんなことを仰っていました。
「外国に五日間いると、その国がわかったような気になる。
五ヶ月滞在すると、わからなくなる。
五年間暮らすと、わかった気になっていた自分が恥ずかしくなる」という言葉でした。
たしか、新聞のコラムに書いてあったとか。
そして更に、こんなことを言われました。
「自分も四十代のころは、法話を依頼されると、気軽にかなり遠くにでも出かけたものだ。
その私が五十代になってわからなくなってきた。
しだいに得意になって法話をしていた自分が恥ずかしくなってきた。
以前は法話の後で、良いお話でしたとか、たいへん勉強になりましたなどと褒められると、まんざら悪い気持ちではなかった。
ところがこのごろそんな形で褒められる法話は、まだまだ未熟なものであり、実はそんなにアリガタクナイのだと気がついた。」
というのでした。
分からなくなるというのは、いいことなのです。
分かった気になって、得意になって話すが危険です。
分からなくなって、どうしようもなく、手探りで慎重に進む感じがいいのです。
以前は、分からなくなってくると不安に思ったものですが、この頃は、よし、分からなくなってきたぞ、この感じだと思えるようになってきたものです。
分からないなりに、やっているのが、ワクワクしてくるのであります。
横田南嶺