手紙
郵便局がお休みでない限りは、毎日手紙が届きます。
封を開けて、手紙を読んで、それぞれに応じて返事を書きます。
毎月、滋賀県の県立高校の教師をなさっている方からは、『虹天』という冊子を送っていただいています。
この先生とは、森信三先生の教えを学ぶ会を通じてのご縁だと思いました。
直接にお目にかかったことはないのですが、毎月勉強会をしては、その講演をまとめた冊子を送ってくださるのです。
毎月、学ぶ事が多くて、感想をこめた礼状を書いています。
毎月の『虹天』の巻末に、便りの紹介欄があって、毎回のように鍵山秀三郎先生と私の手紙の一部を紹介してくださっています。
今月も、なるほどと学ばせていただいたのですが、
裏表紙に書かれていた詩が特に目にとまりました。
「手紙」という題の、鈴木敏史さんという方の詩です。
手紙
ゆうびんやさんが こない日でも
あなたに とどけられる
手紙はあるのです
ゆっくり 過ぎる
雲のかげ
庭にまいおちる
たんぽぽの わた毛
おなかをすかした
のらねこの声も
ごみ集めをしている人の
ひたいの汗も……
みんな 手紙なのです
読もうとさえすれば
という詩です。
森信三先生は、
「われわれ人間は、お互いに「天の封書」をいただいてこの世に生まれております。
そこにはそれぞれ自分がこの世に派遣せられた使命の内容が書きこまれております。
少なくとも四十歳までに、天から拝戴した封書をみずから開封し、しっかり読み取らねばなりません。」と仰せになっています。
天からの封書というと、何か特別なものという気がしますが、
もっと身近なところで、それこそ毎日のように、封書は届いているのでしょう。
郵便ポストに入ってくる手紙だけを手紙だと思わないで、
もっとたくさん、天からのお手紙を頂戴しているのだと気がつくようにならねければならないと思いました。
昨日と変わらない庭のたたずまいだと思っていても、
今日のお庭には、すでに今日の手紙が入っているのでしょう。
「天何をか言うや。四時行なわれ、百物生ず。」(『論語』)
横田南嶺