「いい加減」な修行
昨日ご紹介した『お寺の掲示板』は、読み応えのあるいい本であります。
私の寺の掲示板は紹介されていないのですが、
記事の中で私が登場しています。
私が載っているのは、「いい加減」な修行という章です。
なにかいい加減な修行をした僧の代表のように思われるかもしれませんが、
よく書いてくださっていますので、ご関心のある方は是非おもとめください。
その章では、都内のお寺の
風呂は湯加減
医者は匙加減
人生は手加減
わたしゃ いい加減
さとりとは
という掲示板が紹介されています。
最後のさとりとは、という話から展開して、
私が小出遥子さんのインタビューを受けた書物が紹介されているのです。
『教えてお坊さん!「さとり」ってなんですか』で私が語ったことが載っています。
「いい加減」という言葉は、発音のしかた次第で、
じつにいいかげんにもなりますし、とても良い加減にもなります。
「いい加減」は難しいものです。
私がいいなと思った掲示板は、いくつもあるのですが、
ほとけさまに
圏外なし
というのがございます。
その掲示板を取り上げて著者の江田智昭師が、
福岡にある実家のお寺から上京するときに、
近所のお寺のご住職が餞別をくださって、
その袋の中に「どこでもお慈悲の中」と書かれてあったという話が書かれていました。
私が、「いい加減」のところで紹介されている言葉も、
みんな仏心の中なのだと気づくことが大切だと書かれています。
あまり修行だ、悟りを求めるのだと力まずに、
みんな仏心の中に抱かれてあるというおおらかな気持ちで、
「いい加減」に務めてゆくことが大事だと思っています。
十月三日は、円覚寺の開山仏光国師の毎歳忌法要です。
一年の儀式の中でもっとも大切な法要です。
二日の夕刻には、前の晩の法要を勤めました。写真はそのときのものです。