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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.11.28
今日の言葉

坐禅のコツ – 比べないで坐る –

僧堂の修行僧達と共に、『坐禅儀』という書物を学んでいます。

私自身は何度も読んで来たものですが、読むたびに新しい発見があり、学びが深まります。

およその意訳を紹介します。

筑摩書房『禅の語録16』にある現代語訳を参考にしながら、私なりに補足して紹介します。

「坐禅しようとするときは、静かな場所で、厚く座布団を敷き、着物の帯など体を締め付けるものはゆるやかにし、姿勢をきちんと整えます。

そこではじめて結跏趺坐にとりかかります。

まず右の足を左の腿の上にのせて、左の足を右の腿の上にのせます。場合によっては半跏趺坐でよろしい。

それはただ左の足で右の足をおさえるだけです。

次に右の手を左の足の上におき、左の掌を右の掌の上において、両手の親指のおもてを互いに支えるように合わせ、ゆっくりと上体を起こして、前にのばし、さらに左右にくり返し動かしてから、はじめて身体を真っ直ぐにして端坐します。」

というところがございます。

結跏趺坐や半跏趺坐という坐法が説明されて、手の組み方が説かれています。

結跏趺坐の「跏」というのは、「足の甲をももにのせてあぐらをかく。また、足を組んですわること。」という意味です。

「趺」は足の甲のことで、「趺坐」というと「僧が足を組み、足の甲を反対側のももの上に乗せてすわること。片足の場合を「半跏趺坐」または「半跏坐」といい、両足の場合を「結跏趺坐」または「全跏坐」という。」と漢和辞典にも説明があります。

要は、足の甲で、両方の腿を押さえて安定させる坐り方です。

そうして体を揺り動かしてから坐ることが説かれています。

『天台小止観』という書物にも

「まずその体ならびに手足や手足の関節をゆり動かすことを七八回ぐらいするがよい。『按摩』のやり方のようにして、手足にしこりを残さないようにする。」と書かれています。

『天台小止観』には、更に

「次に、口を開き、胸中のけがれの気を吐き出す。そのとき体のなかの具合の悪いものをことごとく放ち、それが吐く息にしたがって出ていくと観想する。出し尽くしたら口を閉じ、鼻から清気を入れる。このようにして三度ほど繰り返す。もし身息が調和しさえすれば、一度だけでも良い。」

と呼吸を調えることも説かれているのです。

筑摩書房『禅の語録16』にある訳文では、

「ゆっくりと上体を起こして、前にのばし、さらに左右にくり返し動かしてから、はじめて身体を真っ直ぐにして端坐するのである」と説かれていますが、このところが問題であります。

今私たちが目にする流布本では、
「徐徐に身を挙げて、前後反復し左右揺振す」と書かれているのです。

しかし『禅の語録16』が底本としているのは、東洋文庫所蔵宋版の『禅苑清規』にある『坐禅儀』であって、そこには、

「徐徐に身を挙げ前に欠(のば)し、復た左右揺振して」となっているのです。

「徐徐挙身前欠復左右揺振」となっていたのが、流布本では
「徐徐挙身前後反復左右揺振」となったのでした。

「前にのばし」というのは抜け落ちて、前後に反復するになったのです。

この「前にのばす」というところに、私は大いに注目しました。

この度禅文化研究所から発行した『新 坐禅のすすめ』の中で佐々木奘堂さんが、姿勢の調え方を写真入りで詳しく説明してくれています。

その中に、「掌を前方へ差し出す」ところが写真入りで説明されています。

奘堂さんは、この掌を前に差し出すのが、「自分を丸ごと差し上げる」「仏の御いのちを頂戴する」という礼拝の心が具体的な形となった姿勢だと説いてくれています。

この手を前に差し出す、体を前に伸ばすということによって、自然に腰が立つのであります。

宋版の『坐禅儀』には、この「前にのばす」というところが含まれていたというのが大きな発見でありました。

体を起こす時に、奘堂さんの説かれるように、両手を前に差し出して、仏の御いのちをいただく気持ちで体を前に伸ばして、腰を立てるのであります。

そして「左右に傾いたり、前にかがまったり、後に反りすぎたりしてはなりません。
腰と背筋と頭と頸とをそれぞれが骨節が互いにささえて、その形を塔のようにせよ。」

と説かれています。

五輪の塔というのは、下から地水火風空と五つが積み重なっています。

地が、腰や下腹です。水が、お腹と胸とそれを貫く背骨です。火が肩と首、風が頭となって、その全体が空なのです。

そのように足を組んで、腰をしっかりすえて、その上に背骨を立てて、その上に肩と首を乗せて、その上に頭が乗っかるのです。

そのあとに、目を少し開いて坐禅することが説かれています。

目を閉じて坐っていると、目を閉じて禅定に入ったとしても、目を開くと禅定が失われてしまうというのです。

それから「坐相が安定し、呼吸が落ちついたら、こんどは下腹をゆったりとさせて、およそ善悪というものを思量しないこと」と説かれています。

善悪というと、何かを比べて善悪という評価をつけることです。

他人の坐禅と自分の坐禅を比べてしまうこともあるかもしれません。

あの人はちゃんと坐れているのに、自分は駄目だとか思ってしまうこともあるのでしょうが、そんなことを考える必要はないのです。

また他人と比べなくても、自分自身の中で、前はよく坐れたのに、今度はうまくゆかなかったと思ったりします。

さっきはうまく呼吸できたのに、今度はできないなどと考えてしまいます。

これもいらないのです。

前の坐禅などは、どこにも残っていないのです。

今の坐禅は今しかないと徹底すれば比べようがないのです。

善だ悪だと点数を付けたり評価することがないのです。

強いていえば常に百点満点の坐禅であり、百点満点の呼吸なのです。

そう思って坐ることであります。

どうしても比べたり、点数をつける習慣が残っているのですが、それを一切やめることが坐禅のコツであります。

この姿勢が生きることにも通じます。比べないで、いつも今日ただ今すばらしいと感謝して生きるのであります。

 
横田南嶺

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