『傘のさし方がわからない』
岸田さんは、今年の円覚寺夏期講座でもお話いただいています。
題名が、『傘のさし方がわからない』というのであります。
初めて出された本が『家族だから愛したんじゃなくて愛したのが家族だった』でありました。
昨年の九月の出版でした。
それから二冊目が、今年に出た『もうあかんわ日記』でした。
この本をいただいた時のことは、かつて書いたことがありますのでご参照ください。
岸田奈美さんとの出逢いは、お母さまである岸田ひろ実さんの講演会に行った時が始まりでした。
岸田ひろ実さんが、致知出版社から『ママ、死にたいなら死んでもいいよ』という衝撃的な題の本を出されて、その講演会を拝聴にいったのでした。
この本の帯には、
27歳で長男を出産。知的障害のある子だった。
37歳、最愛の夫が突然死。心の支えを失う。
40歳、生存率20%の大手術。無事生還するも下半身麻痺となり、車椅子生活に。
50歳、(現在)これまでの経験をもとに年間180回の講演、人々に生きる勇気を与えている。
と書かれていますように、岸田さんは壮絶な体験をなされた方です。
本を読んで感銘を受けて、講演会があると知って出かけたのでした。
都内の会場で、一般の皆さまと共に、受付で並んで順番を待っていると、お若い女性の方が、私を見つけてサッと控え室に案内してくださって、岸田ひろ実さんにご挨拶させてもらえたのでした。
このお若い女性が、岸田奈美さんでした。
なんとよく気がつく方だなと思ったのでありました。
岸田奈美さんの人生経験もまた、私などには及ばないほど深くて濃いものです。
中学二年生の時に、お父さまが心筋梗塞で突然死されてしまいました。
ちょうど反抗期で、口げんかして別れたその明くる日に亡くなったのでした。
悔やんでも悔やみきれない思いだったことでしょう。
そのあとは、お母さまが懸命に働かれます。
子供たちを養ってゆかなければならないのです。
高校一年の時にお母さまが、過労で倒れてしまい、突発性の大動脈解離で、下半身麻痺となってしまったのであります。
今まで元気だった母が急に倒れて入院、医師からは、手術しても手術中に亡くなる確率は八十%を超えますと告げられました。
そう言われて手術の同意書にサインして手術をお願いしました。
結果一命をとりとめたものの、下半身麻痺の身体となったのでした。
皆の前では明るく気丈に振る舞われていても、生きる希望を失ってしまう母を支えて頑張ってこられたのでした。
岸田奈美さんは「ママが、生きててよかったって思えるように、なんとかするから」
と言って、大学で福祉を学び、新しい会社を立ち上げ、お母さんを雇い、講演をしてもらうようになったのでした。
初めて講演をしたお母さんが、多くの方から感謝されて、
「奈美ちゃん、ほんまにありがとう、わたし生きててよかった」
と言われるようにまでなったのです。
これだけ書くと、実に悲劇でもめげずに、健気に勤める方という印象がありますが、ご本人は、底抜けに明るい方です。
もちろんのこと、そのかげにはたくさんの涙があったろうと思います。
さて、このたびの新刊『傘のさし方がわからない』を読んで、感動したのは何と言っても題名であります。
この「傘のさし方がわからない」という一語を選らんで題にされた岸田さんの感性には、敬服します。
これがどういう意味なのかは、解説してしまうと申し訳ないので、どうぞ本書を読み下さい。
それから、この本には、「サンダルを手放す日」という章があって、そこで私のことを書いてくれています。
ほんの一部だけを紹介させていただきます。
「横田さんと出会ったのは、わたしの母が本を出版したとき。老師も同じ出版社から本を何冊も出されていて、そのご縁で母と横田さんが対談したり、同じイベントに出演したりすることが年数回あった。
その母の後ろに、ひょこひょことついていったのが、このわたし。
「仏教の教えをもっと多くの人に知ってもらいたいね」という老師に、わたしが「横田老師の着ぐるみを作るのはどうでしょうか。なんれい君という具合に」と言ったら、老師は大笑いして「そうはいいですなあ」といたく喜んでくださった。
周りにいた修行僧さんが青ざめながら「老師、それはちょっと」と、慌てて止めに入ってくれたことを覚えている。そのあと修行僧さんたちからものすごく遠慮がちに、仏道のなんたるかをしこたま教えられ、わたしは平謝りしたのだった。老師の御心の広さに盛大に包まれたわたしは、人生に迷うといつも、円覚寺に足を運ばせてもらっている。」
という書き出しであります。
それから数年後最も信頼していた同僚との人間関係に悩まれて会社を休職してしまったのでした。
そんな頃岸田ひろ実さんとの対談があって、久しぶりに岸田奈美さんともお目にかかったのでした。
悩んだ末に休職するに到った経緯について、
「かくかくしかじかと話している間、横田さんは黙って、何度も何度もうなずきながらわたしの話を聞いてくれた。
「それはね、ひどい雨や風と同じですよ」
横田さんは静かに口を開いた。
「自然にはあらがえません。台風みたいに吹く風や降る雨を前にして、人は無力です。そんなときは、家に入って、雨戸を閉じて、布団をかぶって、過ぎ去るまでジィッとしている。そうしていたらいいんですよ」
おどろいた。わたしは、会社に行けないことは悪いことであるから、憂鬱にあらがうためにも、どうにかして自分のメンタルを持ち直す必要があると思っていた。」
と書かれています。
それから、この一章の最後には、
「また迷った時には、横田さんのもとへ行きたいと思っている。」と書いてくれていてうれしくなりました。
そのあと、今年の六月に『もうあかんわ日記』が上梓された時に、本の扉にサインをお願いすると、
「雨戸をあけたら
やーっと
晴れてました」
と書いてくれたのでした。
わずか一年ほどの間に三冊もの本を出されるとは、たいへんなことであります。
この三冊目もまた、思いっきり笑いながら、そして時に泣きながら読んでしまいます。
読み終わったら、心が温まって、生きる力が湧いてきます。
是非お勧めします。
横田南嶺