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臨済宗大本山 円覚寺

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2021.10.19
今日の言葉

夢をもつこと

お若い方から、色紙に「夢」と書いて欲しいと頼まれたことがありました。

なんでも頼まれれば快く書いてあげるのですが、その時はためらいました。

たぶんその方は、夢や希望を抱くという意味で、「夢」を書いて欲しいと頼まれたのだと察したからであります。

私たちが、書として「夢」と書くのは、希望の意味ではなく、もろくはかないこととして書きます。

ですから、不祝儀の時に書くことが多いのです。

「夢」を『広辞苑』で調べてみると、

一番目に、「睡眠中に持つ幻覚。ふつう目覚めた後に意識される。多く視覚的な性質を帯びるが、聴覚・味覚・運動感覚に関係するものもある。」と解説されていて、夜に見る夢の説明があります。

それから二番目には、

「はかない、頼みがたいもののたとえ。夢幻。」という説明があります。

私たちが書く「夢」はこの意味であります。

『金剛経』に、

「一切有為の法は夢幻泡影の如く、露の如く電の如し、まさに是の如きの観をなすべし」と説かれているのです。

それから三番目に「空想的な願望。心のまよい。迷夢。」というのがあって、そして四番目に、
「将来実現したい願い。理想。」
という説明がありました。

お若い方が書いて欲しいと頼まれたのは、この四番目の意味の「夢」でありましょう。

十月十二日の毎日新聞の夕刊一面には、

夢「すべてかなえる」という大きな見出しがありました。

「撮影中に脊髄損傷、役者一筋から一変」

「パラ開会式出演、絵本作家デビュー」

という見出しであります。

記事は、

「2017年にドラマ撮影中の事故で脊髄(せきずい)を損傷した滝川英治さん(42)だ。スポーツ万能の俳優として知られた滝川さんは事故直後、「999年分泣いた」というが、今夏はパラ開会式でスポットライトを浴び、さらには「ボッチャの大きなりんごの木」(朝日新聞出版)を出版し絵本作家としてデビューした。」

という話なのであります。

ドラマの撮影中ロードバイク型の自転車で転倒して、脊髄損傷してしまい、首から下は動かない状態になってしまったのでした。

その時の心境は、「999年分泣いた」と表現されています。

記事には、

「人工呼吸器を付けるために気管を切開し、「声」をいったん失った。手術を終えると、病室には心配そうに見守る家族らの姿。その重苦しい雰囲気が嫌で、50音表の「あ」から順に指し示してもらい、目当ての文字でまばたきして夢を語った。「奇跡を起こす」「本を書く」「パラリンピックに関わる」「絵を描く」「声の仕事」「僕の人生の映画化」「歩く」…」

と書かれています。

二ヶ月後に人工呼吸器を外すことができて、声を取り戻すことができたらしいのですが、手足の指は動かないのだそうです。

それでも事故後の生活を追ったドキュメンタリー番組が制作されたり、自伝エッセーが出版されたと書かれていました。

そこで、興味をもった私は早速、『歩ー僕の足はありますか?』を買って読みました。

新聞には、口にペンをくわえている滝川さんの写真が載っていました。

私は、その写真を見て、大石順教尼を思い起こしました。

書架から、『無手の法悦』を取りだして懐かしく開いてみました。

大石順教尼は、大阪の芸妓さんでしたが、舞踊の修業を指導していた養父が狂乱して、一家五人を惨殺、順教尼は巻き添えとなって両腕を失ったのでした。

まだ十七歳でありました。

『無手の法悦』の中にも「夢」の話があります。

「私は必ず夢を見ます。―――いつの時でも、舞いを舞ってる夢を見ます。夢の中の私は決して手のない人間ではなく、ちゃんと両方の腕があります、手も指も手のひらも甲も揃っていて、私は決して手のない夢を見ませんでした。いやその当座ばかりでなく、今でもそうです。夢の中の私は、いつも両方の手で舞を舞っています。私はそれほど私の手と舞に心がのこされ、私の両手を恋しているのです。」

と書かれています。

「絶望」などという簡単な言葉で表現できるようなものではないでしょう。

長唄や地唄を披露して旅の巡業に出て暮らしていたのでした。

それでも順教尼は、ある時、巡業先の旅館でカナリアが嘴で雛に餌をやる光景を見たことをきっかけに、口で字を書くことを思いつきました。

口に筆とりて書けよと教えたる
鳥こそわれの師にてありけれ

と和歌を残されています。

後に高野山で出家して、順教尼となられたのでした。

すばらしい書画を残されているのです。

今の時代にも新たにこうして、順教尼のように画を描かれる方がいらっしゃるのだと感慨深く思って、滝川さんがこの度出版された絵本も購入しました。

「ペンを口にくわえ、タブレットで絵を描いた。最初は納得のいく1本の線を描くのに1時間かかることもあった。」というのであります。

絵本は、『ボッチャの大きなりんごの木』という題であります。

ふと、天台宗の荒了寛さんの言葉を思い起こしました。

「夢をもつんだね、夢で終わってもいいじゃないですか。人生はそれだけ豊かになる。」

新聞記事の最後には、

「仲間と一緒にお芝居がしたい、演じたい。ロードバイクにだってもう一度乗りたい。そんな夢を僕は本当にあきらめていませんよ」と書かれていました。

滝川さんの夢が夢で終わることのないようにお祈りしています。

 
横田南嶺

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