弱い心にうち勝つ
煩悩の
ままに
生きたい
という
煩悩が
すでに
あった」
という、これは『晴れてよし、降ってよし、今を生きる~京都佛光寺の八行標語~』にある言葉です。
私たちの人間の心をよく表現しています。
できれば煩悩のままに生きていたい、その方が楽のように思われるのであります。
しかし、煩悩の中でも食欲ひとつとってみても、その食欲のままに貪っていたならば、必ず成人病になってしまうことでしょう。
眠りたいという欲望のままに流されていては、何もできなくなってしまいます。
人間の欲望は飽くことを知りません。
お釈迦様はたとえヒマラヤ山を黄金にしてそれを二倍にしても、一人の人の欲望を満たすこともできないと仰せになっています。
天台大師は、煩悩に身を任せてしまうことの危うさを、早い川の流れを用いて喩えています。
煩悩の流れに身をまかせてしまえば、迷い苦しみの海に入りこんでしまいます。
この流れを妨げようとすると、はじめにそこで激しさを知るというのです。
ただ流れに任せていると、早いとも、激流だとも気がつかないのです。まずは気づくことです。
天台大師は、修行しようとして、欲望に逆らえば、煩悩がそびえ立つようにして起こると説かれています。
心があらがうのであります。
修行道場に修行に来ても同じようなことがあります。
修行しようと思ってくるのですが、長年欲望のままに暮らしていた習慣が身についているので、はじめの頃には激しく煩悩が起こって、心があらがうのです。
いやだなと思ったり、やめたいと思ったり、不満を誰かのせいにしたりして心があらがいます。
このようにして、修行を妨げようとするはたらきを、「魔」と言います。
これを克服しなければなりません。
お釈迦様ですら、自らの心に向き合って、魔を降していったのです。
仏典には
「汝の第一の軍隊は欲望であり、第二の軍隊は嫌悪であり、第三の軍隊は飢渇であり、第四の軍隊は妄執といわれる。 。
汝の第五の軍隊はものうさ、睡眠であり、第六の軍隊は恐怖(他人に恐怖感を起こさせる)といわれる。汝の第七の軍隊は疑惑であり、汝の第八の軍隊はみせかけと強情と、誤って得られた(誤って得た場合にはまちがいを起こす)利得と名声と尊敬と名誉と、また自己をほめたたえて他人を軽蔑することである。…これらは汝の軍隊である。黒き魔の攻撃軍である。
勇者でなければ、かれにうち勝つことができない。勇者はこれらにうち勝って楽しみを得る。」
と書かれています。中村元先生の『原始仏典』(ちくま学芸文庫)からの引用です。
天台大師の教えでは、「対治の冶」といって、貪りの強い者、怒りの感情が強い者、愚かさの強い者など、それぞれの性質によって、どのようにして煩悩を克服してゆくかを説いて下さっています。
たとえば貪欲が強い人には、「不浄観」といって、身体を不浄であると観察するのです。
昔の仏教ではあえて、死体が腐敗してゆく様子を観察して、人間の身体が不浄であると知って、欲望を離れるようにしたのであります。
怒りの強い人には、「慈悲観」といって、すべての人々に対して、幸せであるようにと慈悲の心で念じて怒りを抑えてゆくのです。
愚癡の多い人には、十二因縁という道理を観察してゆくというのです。
また、あれこれ考えが多い人には、呼吸を数える数息観がいいと説かれています。
また経典には、そのように自らの心をかき乱す煩悩を静めるには、戒の条文を読むのがよいということも説かれています。
五戒や十善戒を諳んじていると、心が静まってきます。
十善戒とは、
第一不殺生(ふせっしょう)すべてのものを慈しみ、はぐくみ育て
第二不偸盗(ふちゅうとう)人のものを奪わず、壊さず
第三不邪婬(ふじゃいん)すべての尊さを侵さず、男女の道を乱すことなく
第四不妄語(ふもうご)偽りを語らず、才知や徳を騙(たばか)ることなく
第五不綺語(ふきご)誠無く言葉を飾り立てて、人に諂(へつら)い迷わさず
第六不悪口(ふあっく)人を見下し、驕(おご)りて悪口や陰口を言うことなく
第七不両舌(ふりょうぜつ)筋の通らぬことを言って親しき仲を乱さず
第八不慳貪(ふけんどん)仏のみこころを忘れ、貪りの心にふけらず
第九不瞋恚(ふしんに)不都合なるをよく耐え忍び怒りを露わにせず
第十不邪見(ふじゃけん)すべては変化する理を知り心を正しく調えん
と唱えていると心が静まってくるものです。
そしてもっと重要なことは、そのように心をかき乱す自らの煩悩に対して、強く叱りつけて退けるというのであります。
箕輪顕量先生の『瞑想でたどる仏教 心と身体を観察する』には、叱りつけること、詳しく観察すること、強い心で拒むことが説かれています。
自分の心をよく観察することは大事であります。
しかし観察だけでは、煩悩の流れが強いので流されてしまう怖れがあります。
お釈迦様が「勇者でなければ、かれにうち勝つことができない。勇者はこれらにうち勝って楽しみを得る」と仰せになっているように強く魔を退ける気迫が必要であります。
強い心を持つには、やはりしっかりと腰を立てること、腹に気を満たすことが必要であります。
また、規則や作法に則って修行することも大きな意味を持ってきます。
決めた時間に起きて、決めた時間を坐る。坐るにしても作法通りに坐ることです。
集団で行動することもひとつです。
規則や作法にとらわれるのも考えものですが、自分の弱さを克服するには、一定の決まり事を守り、作法を忠実に行うことも効果があります。
自分の心の弱さにうち勝ってゆく修行、これも大切なのであります。
横田南嶺