禅とジブリ 円覚寺写真展終わる
本日の午後三時で終わります。
円覚寺写真展というように、この展示は、主に円覚寺の修行道場の様子を写した写真を展示しています。
十月三日から京都の京セラ美術館で、『禅とジブリ』展が開催されます。
それに展示をするために、円覚寺の修行道場の暮らしを写真で撮ってもらったのでした。
昨年の十二月に、二日間にわたって朝の四時の勤行から朝の坐禅、禅問答、朝のお粥をいただくところ、掃除、托鉢、薪割り、畑の作業などを撮影してもらったのでした。
その写真を撮ってくださったのが、タイのカンヤダさんであります。
ジブリの鈴木俊夫さんとご縁が深い方であります。
この方の写真が素晴らしいのであります。
写真が素晴らしいと言いましても、私には写真のことは分かりません。
写真を撮るのが素晴らしいのでした。
写真を撮っているという気配を感じさせないのであります。
ですから撮られているという思いが起こらないのです。
気がついたら撮られていたのであります。
私も人の気配などには敏感な方だと自分では思っています。
思っているだけかもしれません。
ところがこの方はどこからともなく現れて、何ということもなくその場にいて、何をしているのか、写真を撮られるのかと意識する間もなく、撮られていたという感じでありました。
坐禅堂の写真や禅問答の写真なども十二月の午前五時頃ですから真っ暗なのですが、蝋燭の明かりだけでずいぶん明るく写っているのでした。
そんな写真をたくさん展示してもらっています。
ジブリについては、ジブリの絵を鈴木俊夫さんが描かれて、それに細川晋輔老師が禅語の讃を書かれている書画をいくつも出してくださっていました。
それから鈴木俊夫さんの書もございます。
ジブリ作品のキャッチコピーを書かれたものです。
「このへんないきものは まだ日本にいるのです。たぶん。」というのは「となりのトトロ」です。
「生きろ」は「もののけ姫」です。
「見えぬものこそ」は「ゲド戦記」、「生まれてきてよかった」は「崖の上のポニョ」であります。
それぞれ短い言葉ですが、深い意味があります。
それから鈴木俊夫さんが書かれた子供の絵に、黄檗宗の当時の管長であった近藤博道老師、曹洞宗の青山俊董老師、そして私の三人が讃を書いたものが出ています。
青山老師は「私が変われば世界が変わる」と書かれています。
近藤老師は、「明」という一文字、私は慈しみの風で、「慈風」と書かせてもらっています。
今日本の禅は、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三つの宗がありますので、それぞれの宗から代表して揮毫してもらっているのです。
期間中は大勢の方にご覧いただいたようであります。
その間に特別御朱印で、「禅とジブリ」という判を押して、「行雲流水」と書いて用意していました。
こちらも多くの方がお求めくださったようであります。
この展示をご覧になったという方にもお目にかかってお話をうかがいました。
山梨からお見えになった方もいらっしゃいました。
俳優というご職業だそうです。
お話をしていて、毎日私の管長日記をVoicyで聞いてくださっているというので驚きました。
よくあんな退屈な話を聞いてくださるものです。
毎朝起きて聞く習慣になっているのだそうです。
俳優というご職業の方に知り合いがいないので、あまりよく分からないのですが、いろんな話をさせてもらいました。
坐禅もなさるそうで、熱心な方だと思いました。
それからホトカミの吉田亮さんもご覧くださったようであります。
吉田さんは、その感想をnoteに書かれていますので、ご覧いただければと思います。
吉田さんは「ジブリ作品は、映画館や金曜ロードショーで何回も見ていますし、
高校3年生のときは、千と千尋の神隠しの劇をやりました。ハウルに憧れて、卵を片手で割れます。」と書かれていますので、熱心なファンのようであります。
ジブリの作品は、日本はもとより、世界の多くの方々に影響を与えたのだと思います。
修行道場の写真についても「3時に起きる、薪で火を起こす、坐禅をする。
そんな生活をしている人たちが本当にいるのかと、フィクションのようでありながら、現実世界をうつす写真が不思議に見えました。
やはり文字で読むのと、写真で見るのは違いがあります。」と書いてくださっていました。
吉田さんとお話をさせていただいて、最近富士山に登ったとうかがいました。
十二年前にも登られたそうですが、その時は強風のために八合目までしか登れなかったそうです。
今回は無事にご来光も拝めたということでした。
有り難いことに、私が工夫してきた階段の登り降り、特に膝を痛めない方法を教えてあげたことがありましたので、そのおかげもあってあまり筋肉痛にならなかったと仰っていました。
膝に負担をかけないように股関節を中心にして登り降りする方法です。
私は今年、金比羅さんにお参りした時に自分で実証してみたのですが、富士登山でも応用できたとは有り難いことであります。
もっともそれ以外にもストレッチなどもよく行っていたからだと思います。
禅の修行は特別なことではありません。
ご飯を炊いていただく、歩く、立つ、坐る、その日常を丁寧に生きることであります。
禅の暮らしをしている私たちは、今の時代では「へんないきもの」なのかもしれません。
そんな「へんないきもの」が、まだ日本にいるということも、多少の意味があるのかと思っています。
横田南嶺