お茶、いろいろ
茶礼といって、修行道場でも毎日何度か行われます。
点呼の意味もありますし、その日の打ち合わせや、明日の予定を確認するにもお茶を飲みながら行っています。
お客様が見えてもお茶を出すのは当然であります。
誰かがお見えになれば必ずお茶を出す習慣であります。
私などもよそのお寺に参りますと、まずお茶をいただくのであります。
お茶というのがいつどこで飲まれ始めたのか、中国であろうと言われています。
中国の伝説の帝王である神農が、毒消しとして茶を用いていたとも言われます。
中国唐代の文人陸羽 (りくう) (?―804)が、上元初年(760)ごろに書いたのが『茶経』といわれる書物です。
唐代に飲まれた団茶 (だんちゃ) の製法、煮方、飲み方などが書かれているそうです。
団茶というのは、茶の葉を蒸して茶臼でついてかたまりにしたものです。
これを削って使用するそうです。
平安時代の永忠(743―816)というお坊さんが、嵯峨天皇にお茶を煎じて奉ったという記録があります。
日本ではなんといっても栄西禅師がよく知られています。
建仁寺の開山である栄西禅師を茶祖として尊ばれています。
『喫茶養生記』を著してお茶の功用を説かれています。
中国の唐の時代には、かなりお茶も普及していたようです。
語録の中にも潙山禅師と仰山禅師とが茶畑で問答していることが伝わっています。
趙州和尚が修行に来た僧に対して「喫茶去」と言ったのも、禅寺でもお茶を飲む習慣があったことをうかがわせます。
小川隆先生の『中国禅宗史』には趙州和尚と僧の問答を次のように訳されています。以下引用します。
新しくやってきた二人の行脚僧に、趙州禅師が問われた。
「貴公、前にもここへ来たことがあるか?」
「いいえ、ございません」
「うむ、下がってお茶を飲みなさい」
もう一人にも、問うた、
「前にもここへ来たことがあるか?」
「はい、ございます」
「うむ、下がってお茶を飲みなさい」
院主(寺の寺務局長)が趙州禅師にたずねた。
「初めての者に茶を飲みに行けと仰せられるのはよいとして、前にも来たことのある者にも、なぜ、茶を飲みに行けと仰せられるのですか?」
すると、趙州、
「院主どの!」
院主「ハイ!」
趙州「うむ、茶を飲みに行きなさい」
というものです。
唐の時代の禅院では、和尚が修行僧と対面するお堂とは別に、茶堂とか茶寮というお茶を飲むところがあったようです。
そこへ行ってお茶を飲んだのです。
お茶は、竈(かまど)に大きな釜を据えて水を沸騰させ、沸かしたお湯に団茶を入れて、細かい茶葉が沈んだあとのうわずみを柄杓で茶碗にすくって飲んだようです。
禅寺では眠気を醒ます為という要素が強かったのでした。
小川先生は「「茶を喫みに去け」ー「喫茶去」ーということばは、初めてやって来た僧にいうのがふつうのようである。」と指摘されています。
ですから初めて来た僧に対してお茶を飲みに行けというのは分かりますが、来たことのある僧にも同じことを言うのを、院主が不審に思ったのでした。
そこで趙州和尚に聞いたのですが、趙州和尚はいきなり「院主どの」とよびかけました。
「ハイ」と答えると、「あなたも茶を飲みに行きなさい」と言ったのです。
小川先生は、ここで、「この問答の勘所は、「院主どの!」「ハイ!」、この一瞬の上にある。」と指摘されています。
そこに、心がそのまま仏であるという真実がありありと現れているのに気がつかないといけません。
それが気づいていないようなので、あなたもお茶を飲みに行きなさい、お茶を飲んで出直しなさいとなるのです。
このように同じ問答でもその背景を学んでいくと深みが増すものです。
『広説佛教語辞典』には「喫茶去」を「お茶でも飲んで出直してこい、という意。」と解説されています。
入矢義高先生が、「このころは「茶堂」とか「茶療」と呼ばれた一棟が禅院のなかにありました。そこへ行って茶を飲んでから出直してこいというのです。
今の日本語で言いますと「頭を冷やして出直せ」という叱責ですね。」(『増補自己と超越禪・人・ことば』岩波現代文庫)と解説されている通りです。
確かに五祖禅師の語録を学んでいたときに「帰堂喫茶去」という言葉が出ていたことを思い出します。
堂に帰って茶を喫せよということです。
お茶を飲むお堂に行って、お茶を飲んで目を醒まして出直して来いという意味あいです。
また仏光国師の語録には、「漆桶喫茶去」という言葉が二度出ています。
漆桶は、漆を入れた桶で真っ黒でわけがわからぬことを言い、更に仏法のわからぬ僧を罵る言葉として用いられます。
そうなると「漆桶喫茶去」は明らかに、叱責の言葉です。
何も分からぬ者め、お茶を飲んで出直して来いということでしょう。
お茶もいろいろです。
薬用に服する時もあり、眠気を覚ます為のときもあります。
一碗の茶をお互いにいただき合うという茶道の文化は日本で発達したものなのです。
横田南嶺