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臨済宗大本山 円覚寺

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2026.07.17
今日の言葉

日日是好日

先日、修行道場で「日日是好日」という禅語について学んでいました。

まず「こうじつ」と読んだり、「こうにち」と読む場合があります。

これは読み癖というもので、それぞれの老師方によって読み方が異なります。

私は円覚寺の先代の管長が「こうにち」と読んでおられましたので、「こうにち」と読んでいます。

そこで「にちにちこれこうにち」と読んでいます。

「にちにちこれこうじつ」と読んでも全く問題はありません。

これは雲門禅師の言葉です。

雲門禅師の語録や『碧巌録』に載っています。

禅文化研究所の『文字からはじめる禅』にも禅語して紹介されています。

『雲門廣録』にあるところを、以下のように現代語訳してくれています。

(雲門文偃が)説法して言った、「十五日以前についてはお前達に問わない。
十五日以後について一句で言ってみよ」と。

(自分で修行僧に)代わって言った、
「毎日が吉日だ」と。

となっています。

これだけの問答です。

まず問題が十五日というのは何かということです。

これは諸説あるようです。

雨安居に入る日であるとか、雨安居のあける日であるとか、布薩の日であるとか、さまざまあります。

山田無文老師は雨安居の終わりの解制の日であるととっておられます。

雨安居の終わりに修行僧たちは、皆で一夏の間、自分たちで懺悔をします。

過ちを懺悔し終わったのだから、もうどんな罪を犯したかは問わない、これから先はどういう気持ちで生きていくのかという問いだというのです。

そして自ら答えられたのが、「日日是好日」なのです。

無文老師は、こんな話を説かれています。

禅文化研究所の『無文全集第一巻』から引用します。

「南禅寺の門前に婆さんがおった。

南禅寺の方丈さんが通るたびに、明けても暮れても泣いておる。

ある日、方丈さんが家へ寄って尋ねた。

「婆さんや、おまえさま、いつも泣いとるが、何がそう悲しゅうて泣くかや」

「方丈さま、聞いておくんなされ。私には倅が二人ござりまして、一人は三条で唐傘屋をしており、もう一人は五条で雪駄屋をしております。

雨が降ると、五条の雪駄は売れんじゃろうと思いますと、つい泣けます。

天気のいい日には、三条の唐傘が売れんじゃろうと思うと、ついかわいそうで泣けます。

泣かずにおれますかいな」

方丈さん、この婆さんの訴えを聞いて、
「婆さん、そりや、おまえさまの受け取り方が悪い。

世の中、そう悪いほうに受け取ったんじゃ駄目だ。

雨の降る日は、三条の唐傘が羽が生えたみたいに売れる、と思って喜びなさい。

天気のいい日には、五条の雪駄が、お客さんが行列を作るほど売れる、そう思って喜びなさい」

そう聞かされて、婆さん、それから泣くのをやめて、毎日喜んで暮らしたという話じゃ」と説かれています。

この話もよく使われるものです。

しかしこのように思いようでどうにかなるという話でもありません。

無文老師も「人生は思いようだ、という譬え話であろうが、思いようぐらいでは、日々是れ好日とは悟れまい。雲門ともあろう者が、そんな婆だましみたいなことを言うはずがない。

空襲じゃあるまいが、空から火の玉が降って来ようが、日々是れ好日と頂かねばしょうがない。目の前で幼稚園に行く子供が車に轢き殺されたら、泣かずにはおれんが、涙の中をそのまま日々是れ好日と頂かねばしょうがない。それができるか、どうじゃ」と説かれているのです。

この「日日是好日」という言葉に、『碧巌録』では圜悟禅師が著語を置かれています。

そのひとつが「誰が家にか明月清風無からん」という言葉です。

こんな言葉が日日是好日を受けとめる手がかかりになろうかと思います。

どこの家に、明るい月や清らかな風が届かないところがあるだろうか。いや、どの家にも等しく月は照り、風は吹いているという意味です。

それからもうひとつ、「海神、貴きことを知りて価を知らず」という言葉もございます。

海の神は、海にある珊瑚や真珠などの宝が尊いことは知っているが、その真の価値までは分かっていないという意味です。

どんな日であろうと、どんな境遇であろうと、日は昇り、お月様は輝いています。

かけがえのない一日だとよく言いますが、ほんとうにこの一日生きていることの尊さを分かってはいないのではないかと思います。

朝比奈宗源老師も「天気にしたって、雨も降れば風も吹く。台風の日もありゃ地震もくる。いわんやわれわれの生活の上においておや。泣いても泣いても泣ききれん。悔しくて悔しくてたまらん日もある。そういうときなお、日々是れ好日底の消息を知らなきゃ、この句は通らん。いいですか。決して、ただ好いことばかりあるから「日々是好日」なんていうことじゃない」と説かれています。

日日是好日に「私が無駄に過ごした今日は、昨日死んだ人が痛切に生きたいと思った一日である」(『私の出会った大切なひと言』より)の言葉を私は思います。

 
横田南嶺

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