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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.01.07
今日の言葉

一切は空

年末に、書架の整理をしていると、一冊の古い本が目にとまりました。

懐かしいなと思ってその本を開いてみると、昔の記憶もよみがえってきてつい読みふけってしまうものです。

そんなことがありますので、なかなか仕事が進まなくなります。

これもまた悪いことではないと思っています。

古い本に出会うのは、旧友にでも会ったような気持ちになるものです。

ふと手にした本というのは、集英社から出版された『一切は空』というタイトルの本です。

これは「仏教を読む」というシリーズで、般若心経と金剛般若経を説かれた本です。

著者は、天龍寺師家 平田精耕老師となっています。

一九八三年の出版ですから、平田老師が五九歳の時の本です。

私は当時十九歳でありました。

学生として白山道場の小池心叟老師に参禅していた頃であります。

集英社からこういうシリーズ本が出されていたことも懐かしいものであります。

第一巻が『生とはなにか  阿含経』で執筆は東洋大学教授の金岡秀友先生。

第二巻が『宇宙観を開く [華厳経]』で執筆は龍源寺住職の松原哲明先生。

第三巻が』一切は空 般若心経 金剛般若経』で平田老師が執筆。

第四巻が『ほんとうの道 [法華経]』で、立正大学学長の中村瑞隆先生の執筆。

第五巻が『自在に生きる [涅槃経]』で早稲田大学教授の平川 彰先生が執筆。

第六巻が『迷いを超える [法句経] 』で執筆は松原泰道先生。

第七巻が『秘密の庫を開く [密教経典]』で高野山大学学長の松長有慶先生の執筆。

第八巻が『捨ててこそ得る[浄土三部経]』で武蔵野女子大学教授の花山勝友先生。

第九巻が『沈黙の教え[維摩経]』で東京大学教授の鎌田茂雄先生の執筆。

第十巻が『こころの開眼 [仏語仏戒]』で松原泰道先生が執筆されています。

当時の錚々たる先生方が執筆されたシリーズでありました。

編集員が松原泰道先生と平川彰先生となっています。

有り難いことに、これらの執筆者の中で法華経を担当された中村先生以外の方には、ご生前にお目にかかっています。

当時の仏教界を代表する方々であります。

巻末の松原泰道先生の解説にはこんな一節があります。

「今日も旅先で岐阜日日新聞を読んでいると、奈良の大仏さんで外人にもなじまれている東大寺長老の清水公照師のエッセイが目に入った。

清水師が、ドイツの青年から「無とか空とかいう思想があるようだが、それは一体どういう意味なのか?」と問われたという。

日本人でも理解が困難な問いを、無も空も考えたことのない外人に納得させるのは容易ではないであろう。

ところが清水長老の答えがじつにすばらしいのである。

長老自身の言葉で語ってもらうと、

「『腹がへったら、何でもうまい』という言葉でした。そう言ったら、そのドイツの青年はどうやら理解できたようです。

”無”とか”空”を形而上学的には、心だとか、肉体だとか難しいことを言う。

ずばり言えば『腹がへったら、何でもうまい』でしょう。

自分が何かを持っていると喜びがわいてきません。

無我になると、世界は一変するものです(後略)」

なるほど。これなら、現代の日本人にも外人にも、腹の底まで “空” “無”が、すとんと落ちるであろう。」

と書かれています。

そのあとに書かれている松原先生の言葉を読み進めましょう。

「清水長老の上記のエッセイにめぐりあった数日後に、私は平田老師の労作について空の思想を学ぶ機を得た。

この書は著者の講演の速記に著者自身が修正加筆されて編集されたものであるから読みやすい。

著者は、本書講義の流れについて

「何もないところを、さも何かあるかのごとく話して、最後にやっぱり何もないという結論にして、この講義を締めたい」(本書2ページ)

という。私は著者のこの一言に、本書の生命の躍動がじかに感じられると思う。」

と書かれています。

「何もないところを、さも何かあるかのごとく話して、最後にやっぱり何もないという結論に」するというのはお見事な表現であります。

平田老師にもご生前何度かお目にかかったことがあります。

しかし、まだ私が修行時代のことでありましたので、そのお姿を拝見していたというだけで会話したことはありません。

著書はたくさん読ませていただきました。

平田老師は京都大学で哲学を学ばれた方であります。

久松真一先生にも学んでおられます。

四七歳で天龍寺僧堂の師家となられ、長らく関牧翁管長のもとで僧堂の師家をおつとめでありました。

牧翁老師がお亡くなりになって六七歳で天龍寺の管長にご就任であります。

禅文化研究所の理事長、所長もおつとめでありました。

私が禅を学び始めた頃は、なんといっても山田無文老師がご高名であり、大森曹玄老師、そして平田老師がいらっしゃいました。

この三人の老師はみな天龍寺で修行された老師方であります。

先の清水公照長老も天龍寺の僧堂で修行された経験をお持ちでいらっしゃいます。

私が修行僧の頃、なにかの行事で何度か平田老師にお目にかかりました。

かつて学生時代に本を読んでいた老師が、目の前にいらっしゃるのに感動したものでした。

天龍寺の管長に就任なされて、一度円覚寺の夏期講座にもお越しいただいたことがありました。

私が北鎌倉の駅までお迎えに行き、平田老師を夢窓国師の塔所である黄梅院までご案内したことがありました。

当時黄梅院は足立大進老師がご住職でありましたので、足立老師が応対なされ、私はお茶を出していました。

私が円覚寺の僧堂の師家になって初めて大きな法要に出頭したのが、天龍寺の夢窓国師六百五十年の大遠諱でした。

天龍寺の管長として大導師をお勤めになっていたのが平田老師でした。

それから平田老師は二〇〇八年八三歳でお亡くなりになっています。

そのお葬儀にも私は円覚寺の僧堂師家として焼香させてもらいました。

平田老師が本書の中で久松先生について語っているところがあります。

「私が長いあいだ、京都大学で指導を受けました久松真一先生は、永年妙心寺僧堂の柏巌窟について参禅されていた。

私は、この先生がおられたからお坊さんになったようなものでありますが、三年前、九十一歳で亡くなりました。

生涯独身を通され、晩年は病を得て、岐阜の弟さん夫婦の実家へお帰りになっていたのです。

生前、「私が死んでも葬式をだしてはなりません。私が死んでもお墓を作ってはいけません。私が死んでも追悼論文をだしてもいけません。追悼講演などしてはなりません」という遺言がありました。

それゆえ、我われは葬式もできず、お墓も作れず、論文集もだせず、追悼講演会もできずにおったのです。

生前、その遺言を聞いて、私は先生に、なぜですかと尋ねたことがあります。

そのとき、先生は「だって、私は死にませんから」とお答えになりました。

私はとても強烈な印象でそれを思いだします。

不生不滅です。

人生六十年、七十年、仮にこの世に生きて死ぬだけであって、本当の私は死にません。

仏のお生命というのは、この不生不滅の生命なのです。」

という言葉であります。

懐かしく手にとって紐解いていた『一切は空』であります。

平田老師のお姿を思い起こしながら拝読していました。

 
横田南嶺

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