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臨済宗大本山 円覚寺

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2025.01.03
今日の言葉

大般若祈祷

正月三が日の朝、円覚寺では大方丈で大般若経の祈祷を行っています。

大般若経は六百巻もある大部な経典です。

『広辞苑』にも解説されています。

「大般若経」とは

「最大の仏典。

玄奘の訳。600巻。

詳しくは「大般若波羅蜜多経」。

般若波羅蜜(智慧・到彼岸)の義を説く諸経典を集大成したもの。

般若(智慧)の立場から一切の存在はすべて空であるという空思想を説く。」

と説かれています。

この大般若経を読んで祈祷するのが大般若経会であります。

これも『広辞苑』に

「大般若経会」

「大般若経を真読または転読して除災招福や護国を祈る法会。般若会。大般若供養。」

と書かれています。

更に詳しく岩波書店の『仏教辞典』で調べてみましょう。

「大般若経」についても丁寧に書かれています。

引用します。

「大般若経」

「詳しくは大般若波羅蜜多経。

玄奘(げんじょう)がその最晩年に完訳して間もなく没した。

いわば般若経典群の集大成であり、全600巻から成り、<大正新脩大蔵経>の計3巻を占めて、字数は約500万字。

あらゆる仏典中で最大、それも桁外れに大きい。

全体は16会(え)に分かれ、第11会-第16会を除いて、いずれも他に別の原典からの異訳があり、またそのなかの計6会にはサンスクリット本とチベット訳本がある。

各会はそれぞれ独立して別々に成立し発展してきたものが、玄奘のインド旅行(629ー645)当時には、この編集がなされていたのであろう。

今日も日本の各寺院で、この600巻を各巻ごと数秒間ひろげる間に一言だけ呪(じゅ)を唱えて全巻読誦に代える転読(てんどく)という儀礼がしばしば行われる。」

と書かれています。

「大般若会」も解説されています。

「大般若経600巻を読誦する法会で、古代には主として国家安寧や除災招福を祈願するために催された。

経典の読誦には全文を読む真読と、経題や経典の一部のみを読む転読とがあったが、同経は大部のため、通例後者の場合が多い。

我が国では703年(大宝3)に藤原京の四大寺で修したのが記録に残る最古の例で、その後も諸寺や宮中でしばしば催された。

当初は臨時の行事であったが、次第に諸寺では恒例仏事として定着し、とくに大安寺では737年(天平9)に勅会となって以後、毎年4月6、7日の2日間、僧150人を請じて行われた。

中世以降も諸宗で広く行われ、とくに地方では、虫送りのような農耕儀礼と結びついた村落行事になるところもあった。」

という解説であります。

もともと仏教は、修行をして悟りを開くこと、輪廻からの解脱を求めた教えであります。

出家者が修行して解脱を目指す教えでありました。

それと同じく、お釈迦様に対する信仰もございました。

この信仰は出家も在家も両方にございました。

お釈迦様がお亡くなりになってからは仏塔を崇拝することがなされていました。

仏塔の信仰であります。

その後に経典そのもの、経巻を信仰の対象とするようになりました。

これは経典を文字に書くことによって起こってきたものです。

それまではお経は口伝でありました。

覚えている人に出会って、その人から口伝で教えられてきたのでした。

それが紀元前後あたりから文字にして書くようになったのです。

すると口伝の時とは違って目に見える形として経巻が現れたのです。

お釈迦様の教えを信仰の対象としていったのでした。

仏塔の信仰も素晴らしいものですが、仏塔を動かすことはできません。

その場に行かないと拝むことができませんが、経巻になりますと、いろんなところに持って移動できるようになりました。

仏教が広く弘まるようになったのです。

そこで経巻を受持し読誦し、解説し供養することに大きな功徳があると説かれるようになりました。

経典そのものをお祀りしてお花やお香をお供えして功徳に預かるという教えなのです。

これが大乗仏教の大きな特徴でもあります。

大乗仏教の起こった頃は、在家の信者が多かったと推察されますので、出家者のような修行をして解脱を目指すことは難しく、教理を理解するよりも、経巻を信仰し、祈ることで救いを願ったのでした。

大般若経の供養がいつから始まったか、その最初は、玄奘が大般若経を訳し終わった西暦六六三年のことであります。

齋を設けて供養し講読したことが始まりです。

玄奘は六六〇年から足かけ四年かけて大般若経を訳し終えたのでした。

『大慈恩寺三蔵法師伝』には次のように書かれています。

春秋社の『般若経大全』にある渡辺省悟先生の現代語訳を引用します。

「竜朔三(六六三)年冬の一〇月二三日、功は畢り筆を終え、併せて六百巻を完成し、大般若経と称する。

合掌して喜んで衆徒に告げられた。

この経は漢地に縁がある。玄奘がこの玉華(寺)に来たのは経典の力である。

先に都に在ったときには、さまざまな条件が錯乱しており、はたして終了のときがあろうかと思っていた。

今、訳し終えることができたのは、皆、諸仏の冥加、龍天の擁護と助けのおかげである。

これはつまりは国家を鎮める経典、人天の大きな宝である。衆徒はそれぞれ躍り上がり慶ぶのがよい 。

そのときに玉華寺の都維那である寂照は、翻訳の功が終わったことをお祝いし、斎を設けて供養を行った。この日、経典を請うて粛誠殿から嘉寿殿に行き、その斎所にて(大般若経を)講読した。」

というのです。

大般若経六百巻を四年もかけて訳し終えてその喜びと感動で開かれたのが、大般若経会の始まりなのです。

日本ではその四十年後に行われています。

『仏教辞典』にある通り、七〇三年に行われているのです。

天平七年西暦七三五年には、大安寺、薬師寺、元興寺、興福寺の四つの寺で大般若経を転読して災害を消除し国家が安穏になることを祈っているのです。

『禅学大辞典』にも「大般若転読」とは「毎巻の初・中・後の数行を読み経巻を転ずること」であり、「祝聖国威宣揚、また病気平癒・五穀豊穣・火防等の祈禱のために行う」と解説されています。

転読している間には、よく唱えられるのが、「羯帝羯帝波羅羯帝 波羅僧羯帝菩提僧莎訶」という般若心経のおわりにある呪であります。

円覚寺では

「諸法是因縁生

因縁生故無自性、

無自性故無去来、

無去来故無所得、

無所得故畢竟空、

畢竟空故、是名般若波羅蜜」

という偈文を唱えるように、私などは前管長から教わって行っています。

かくして一心に大般若経六百巻を転読して世の中の平和と皆の幸せをお祈りするのであります。

 
横田南嶺

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