餅をついて供える
本日は一月四日で、三が日の大般若の祈祷も無事に終えて、祈祷したお札を信者さんのお宅に届けて新年のご挨拶をする日であります。
三が日のお供えに欠かせないのがなんといっても鏡餅であります。
大きな鏡餅で、存在感があり、迫力があるものです。
修行道場では年末にこの餅をつくところから始めています。
そもそも鏡餅とは何だろうかと『広辞苑』で調べてみると、
「平たく円形の鏡のように作った餅。
大小2個を重ね、正月に神仏に供え、または吉例の時などに用いる。
古くは「餅鏡」。」
という解説があります。
いつ頃から鏡餅をお供えするようになったのかというと、平安時代の頃からではないかと言われています。
今のような形で供えられるようになったのは室町の頃からではないかというのです。
年神様へのお供えだと言われます。
年神様というのは、「五穀を守るという神。
また、五穀の豊年を祈る神。」のことを言います。
十二月の二十八日の明け方についていたものですが、円覚寺では近年早くなって二十七日の夜に餅つきをしています。
二升ずつせいろで餅米を蒸して臼に入れてつくのです。
はじめは小さな杵でまず餅米をこねるところから始めます。
いきなりつくと餅米が飛んで散らばってしまうのです。
よくこねてからつくようにしています。
つき手も大事ですが、手返しという役目も重要であります。
餅米の加減をみてつき始め、適度に水を打ちながらついてもらいます。
私はもう三十年にわたりこの餅つきの手返しを務めてきています。
修行道場でつかっている臼は、ケヤキの木をくりぬいた、とても大きなものです。
この臼にも深い思い入れがあります。
これだけのケヤキがそう簡単に手に入るわけではありません。
いまの臼は私が円覚寺の修行道場に来た頃に、出入りの大工さんが作ってくださったものでした。
大工さんは先代の管長足立大進老師への尊崇の思いのとても厚い方で、前管長の依頼でケヤキの大木を探し出して、それをくりぬいて作ってくれたのでした。
これほどの臼はないぞと言わんばかりの思い入れでありました。
私はその方から、手返しの手ほどきを受けました。
臼を大事にして餅をついてもらうのであります。
三十年以上も使っていると愛着が深くなるものです。
なんとか大事に使わないといけないといつも思っているのです。
もっとも諸行は無常ですのでいつか寿命は来るのだと感じています。
小さなひび割れも見えています。
それだけに大事にしてゆこうと思うのです。
前管長もその大工さんもお亡くなりになっていますが、受け継いでゆかないといけません。
前管長からもこの手返しについて教わったものでした。
水を適宜打ってゆくのですが、鏡餅をつく時には極力水を減らします。
水が多いと、鏡餅がぺしゃんこに潰れてしまうのです。
水を打つのがすくないと、つき手はたいへん労力がかかるのですが、それを辛抱してもらってつくのです。
正月に皆でいただくのし餅はほどよく水を打ちながらついてもらいます。
それでも水を入れすぎると柔らかくなり過ぎてしまうので注意が必要です。
それから餅をついている時に皆で食べる餅もあります。
これはその場で食べますので、かなり水を打って柔らかくしていただくのです。
今年入った修行僧の多くは餅をついたことがないと言います。
ほとんどお寺のお子さんなのですが、お寺でももう餅をつくところは少なくなっているのです。
なれないと腰がすわらないのでつくのがたいへんであります。
しかし、すぐにこつを掴んできます。
つく人のすぐそばで手返しをしていると、ついている修行僧の息づかいがよく分かります。
先代の管長はよく、息がすぐに乱れるのに気がつくと、ろくに坐禅をしていないからだと叱っておられました。
こういうところにも普段の修行が現れるものです。
今年入った修行僧達はふだんから熱心に坐禅に取り組んでくれていますので、息も乱れることなくついてくれていました。
今年は初めてZen呼吸の椎名由紀先生もご参加くださいました。
餅米を大きなせいろで薪を使って蒸し上げ、皆でつく餅つきにとても感動してくださっていました。
今年の餅つきはとても順調に終えることができました。
実は餅つきで一番重要な役割は竈に薪をくべる係なのです。
火の番をするのが一番重要であります。
これは決して慣れていない修行僧にはさせません。
もっとも修行を積んだベテランの者が務めます。
火の勢いがないと餅米が蒸し上がらないのです。
円覚寺の修行道場では大きな鍋に、真ん中に小さな穴のあいた鉄板を置いて、その上にせいろを重ねます。
小さな穴から強い蒸気が上に噴き出すように工夫されています。
この蒸気の上がり方をみると、蒸し具合が分かるものです。
竈に上手にしっかり薪をくべると、火力が強くなって蒸気も強くあがります。
それでよく蒸し上がるのです。
これがうまくできないと難しくなります。
今回は、火の番の修行僧がとても熱心に修行している者で、さすがでありました。
餅をつくにもいろんな人の力が合わさってできあがるものです。
まさに和合の結晶でもあります。
そんな鏡餅を供えて五穀豊穣と世界の平和をお祈りするのであります。
よき習慣であります。
横田南嶺