平四郎の話
禅門で平四郎というと、鎌倉時代の真壁の平四郎と、江戸時代の庵原の平四郎とがよく知られています。
ここでは庵原の平四郎の話であります。
第五夜の示衆も長いので一部ずつ読みながら解説してゆきます。
「臘八示衆第五夜
第五夜示衆曰。所謂接心は長期百二十日。中期九十日。下期八十日也。
剋期決定して大事を明らめんと欲す。
故に一衆、戸外に出ず。況んや雜談をや。
參禪は只だ但だ勇猛一機のみ。」
と説かれています。
摂心という修行は長いと百二十日、中期が九十日、短期が八十日とあります。
これは今の安居に相当するのではないかと思います。
元来は、安居の期間は、禁則で外にも出ることはなかったのでした。
今では、安居の間でも、托鉢に出たり、外に出ることもあるようになっています。
かつては、戸外に出ることなく、中で雑談することもなかったというのです。
さて、このあと平四郎の話となります。
「汝等聞かずや、近頃菴原に平四郎という者有り。
不動尊の石像を彫刻して、以って吉原山中瀑布の處に安置す。
忽ち瀑水漲落するを覧る。」
山梨平四郎は、了徹居士とも申します。
宝永四年一七〇七年のお生まれであります。
寛保三年一七四三年家督を継いで平四郎と名乗ります。
四女二男に恵まれましたものの、長男が夭逝してしまいます。
父は、延享三年に七十四歳で亡くなっています。
白隠禅師のもとに参じるのは、その二年後の延享五年一七四八年であります。
この父が七十四歳という、江戸時代においては長生きされていて、そして自分の長男が早く亡くなるという体験が、平四郎の参禅の機縁となっています。
平四郎は、不動尊の石像を彫刻して吉原山中の滝のところに安置しました。
そこで滝から水が流れ落ちるのを見ていました。
すると水の泡が次々と浮かんでは消えてゆく様子が目に入ります。
「水泡、珠を跳して、前泡後泡、或流るること一尺にして消え去り、或いは二尺三尺にして消え去り、乃至二間三間にして消え盡くす。
宿縁の感ずる所、竟に世間の無常、都て水泡の如くなるを覺知す。」
泡を見ていると、浮かんだと思うとすぐに消えてしまうものもあれば、一メートル二メートルと流れてから消えるものもあるのです。
その泡の浮かんで消える様子を見て、この世の中が無常であることは、この水の泡のようなものだと悟ります。
「殆んど一身に逼って安處するに堪えず。
偶、人の澤水法語を読むを聴く。」
もういたたまれない思いに駆られました。
たまたまある人が沢水法語を読んでいるのを耳にしました。
沢水法語というのは、沢水長茂禅師という方の法語です。
生年ははっきりしないのですが、一七四〇年にお亡くなりになっています。
『禅学大辞典』によると、世寿百八十ばかり(一説に延享年中(一七四四、一七四七)示寂、世寿百六十余)とあります。
その沢水法語に「曰く。
勇猛の衆生の為には成佛、一念に在り。
懈怠の衆生の為には涅槃、三祇に亘ると。」
とありました。
勇猛に修行する者にとっては、成仏は一念にあるし、怠けている者には、涅槃は三阿僧祇劫もかかってしまうというのです。
「因て忽ち大憤志を発して、獨り浴室に入り、堅く戸牖を鎖ず。
脊梁骨を竪起し、兩拳を握り、雙眼を瞪し、純一に坐禪す。」
というのです。
そこで大憤志を起こして、一人で浴室に入って中から戸を閉めて、自分なりに坐禅したのでした。
その坐禅のやり方が、背骨を立てて両手の拳を握り、両方の眼を見開いて純一に坐禅したのです。
「瞪」という字は、音読みが「トウ」で、「みつめる。黒目を上にあげてみつめる」という意味です。
仁王禅のような独自の坐禅です。
そうして坐っていると、
「妄想魔境、蜂午紛起す」とあります。
様々な雑念妄想などが、次から次へと湧いてきました。
そこで「法戰一場して斷命根を得て、深く無相定に入る。」と書かれています。
その雑念妄想と戦って勝って、煩悩妄想の根を断ち切って深い坐禅三昧に入ったのでした。
「天明に及んで鳥雀の舍を繞って啼くを聞いて、自ら全身を求むるに竟に得べからず。
唯、兩眼脱出して地上に在るを看る。
須臾にして忽ち爪際の痛むを覚ゆ。
而して兩眼位に帰る。
四支起つことを獲る。」
明け方になって雀の鳴くのを聞いて、気がついたのですが、両方の眼が抜け出て地上に落ちていると感じました。
しばらくして爪の生え際が痛いと感じました。
両目はもとに戻り、手も足も立つことができるようになりました。
「是の如く三夜。坐起すれば一えに前の如し。」
そのようにして三晩坐りました。
坐って立とうすると、以前のように立ち上がることでできるようになっていました。
「第三日の朝に及んで、面を洗って庭樹を視るに、大いに平日の所見と異なり。
甚だ奇異と為す。仍って隣僧に問うも總に弁ぜず。」
三日目になって、顔を洗って庭の木を眺めてみると、いつものと大きく異なっていました。
これは珍しいことだと思って、近くの和尚さんに聞いても分かってくれませんでした。
「因って鵠林に見えんと欲す。轎(かご)を舁(か)いで、薩埵嶺を踰え、眺かに子浦の風景を眺望して、始めて知る、先に得る所は草木國土悉皆成佛底の端的なることを。」
そこで白隠禅師にお目にかかろうと駕籠に乗って薩埵峠を越えました。
はるかに田子の浦の風景を見ると、今までみたのとは違って見えたのです。
今得たところは、経典にある「草も木も国土も皆悉く成仏する」という端的だと気づいたのでした。
「徑ちに鵠林に見えて、爐鞴に入る。
數段の因縁を透過す。」
白隠禅師にお目にかかり、その室内に入って問答して、いくつかの公案を透過することができたのです。
白隠禅師は、
「彼は是れ一介の凡夫なり。
未だ曾て參學の事を知らず。然るに纔かに兩三夜にして是の如き事を証す。」
平四郎は、まだ参禅ということも知らない凡夫であるが、わずか三日三晩で、このような悟りの体験を得ることができたのです。
それは「唯だ、勇猛一機、妄想と相戰って勝を得たる者なり。
汝等何んぞ勇猛の憤志を発起せざるや。」
ただ勇猛果敢に修行に挑む志が、妄想と戦って勝ちを得たのだというのです。
白隠禅師は、修行僧たちに向かって、あなたがたも奮起しなさいと激励されたのです。
玄峰老師も
『然れども纔に両三夜にして』たつた三晩にして『是の如きの事を証す。唯々勇猛の一機、妄想と戦って勝つ事を得たる者なり』
ここなんじゃ。
皆こうして坐っておっても妄想かいておる者がある。
戦いどころじゃない。
妄想に叩きまわされてブラツとしている。
わずかに三夜にしてかくのごとく勇猛の一機じや。
だから勇猛精進、これがなければいかん。
懈怠の者はやはりいつまでも
あすありと思う心にひかされて
今日も空しく入合のの鐘
で今日を失う。
ただ妄想と戦って勝つのみじゃ」
と示されています。
平四郎の話を聞いて奮起しないといけません。
横田南嶺