いよいよ
いよいよ臘八も、本日の晩から八日の未明にかけて、ようやく終わりを迎えます。
今年は、八日が成道会であり、そして第二日曜日にあたりますので、日曜説教でもあります。
最近は日曜説教も録画で配信していましたが、成道会の日でもありますので、ライブ配信でお届けします。
午前9時からであります。
また日曜説教のあと、午前十時二十分から佛殿で成道会の法要をおつとめします。
日曜説教が終わった後、坐禅会に出られる方、写経をなさる方、いろいろいらっしゃいますが、そのまま佛殿に移動していただければ、成道会にお参りできます。
一時間ほどかかる儀式です。
途中退席はできません。
また佛殿には暖房がありませんので、寒いことは覚悟してもらわないといけません。
お釈迦様が苦行を終えて山を出て来られる出山像を掲げて法要を営みます。
八日の未明まで橫にならずに摂心をしていた修行僧達も参列して行道します。
修行僧達にとっては今晩から明日の未明までが正念場となります。
さて、臘八示衆の第六夜を読んでみます。
こちらも長い文章なので、意訳して紹介します。
第六夜に修行者たちにお説法しようとしたところに、白隠禅師の侍者がお茶を持ってきました。
これは、お説法や提唱の折にはお茶を持って来るのが習慣となっています。
そこで白隠禅師は、お茶にちなんだ話をなされました。
建仁寺の開山、千光祖師こと栄西禅師が宋の国に修行にゆかれた時のことです。
「偶々暑に中って癉を患う」と書かれています。
「癉」というのは、
❶{動詞}やむ。やみつかれてやせる。
❷{動詞}つかれる。精気が尽きてやせる。
❸{名詞}病気の名。黄疸。▽「疸」に当てた用法。
{名詞}病気の名。おこりの一種。熱病。
と辞書には解説されています。
暑さの為に病気になったところを、ある老翁が、栄西禅師にお茶を飲ませたら、元気になったのです。
そこで栄西禅師は茶の実を持ってきて、宇治にうえたのです。
それからまた明恵上人に差し上げて、明恵上人はお茶を栂尾に植えられたのでした。
白隠禅師は、栄西禅師と明恵上人が茶の祖だと書かれています。
お茶は苦いのが本体だと書かれています。
たしかにお茶は苦いものです。
この苦いのが、心臓を養うのだと説かれています。
心臓がよくなると他の五臓のうちの四つの臓も自ずからよくなるのです。
明恵上人は、お茶は睡眠を除いてくれると仰せになっています。
坐禅修行には眠気はつきものです。
この眠気をはらうのにお茶はよいというのです。
修行する者は、お茶を飲むべきだと白隠禅師は説かれています。
心の臓を養うのは、苦労して修行するのがよいと書かれています。
苦労して修行してこそ、精神も朗然としてきます。
慈明禅師が古人刻苦なる光明必ず盛大なりの語を引いて、苦労して修行することの大切さを説いてくださっています。
苦労しあきらめず、やめずに努力してゆけば、大きな結果が得られるということです。
そこで修行者たちは苦労して修行すべきだと示されているのです。
そのあと「近頃奥州に文溟和尚という者あり。」と文溟和尚の話が出てきます。
この和尚、白隠禅師にお目にかかって修行しようとして、六年もかけていろいろと準備をしてようやく、白隠禅師のもとに来て掛搭しようとされました。
白隠禅師は、たとえ紫の法衣を着るような大和尚だといっても、仏法の眼が開けていなければ、私のところでは小僧と同じだといって、厳しく罵り鍛えたのでした。
いくら罵っても足らないというのです。
これは自我意識をなくすための修行であります。
もしも自分がまだ世間の儀礼を残していて、自分は紫衣の和尚だというような尊大な思いをもっていれば、なんにもならぬぞと言われています。
文溟和尚も、私は仏法を求めて来た新参者の沙弥に過ぎません、どうか慈悲を惜しまず私を指導してくださいと頼みました。
いくら一喝しようと棒で雨のように打とうと何も惜しまず導いてくださいというのです。
そうして白隠禅師のもとで一夏九十日の間、白隠禅師の室内で厳しく棒を喫して修行されたのでした。
そうして向上の大事という、奥深い真理を悟られたのでした。
お別れするときには、これからも長く師弟の儀を取る事を約束されました。
勇猛に修行すると、仏法も成就することになると白隠禅師は説かれました。
お茶について、山本玄峰老師は『無門関提唱』で次のように語ってくれています。
「わしは目が見えんので虫めがねばかりで本を二晩も三晩も読んだことがある。
虎渓(岐阜)におる時分に、本堂の裏の周囲に茣蓙を立て回しておいて、虫めがねで本を見るのじゃ。
小さな豆ランプを入れて、石油を買ってきて山へ隠しておいて、三晩も四晩もつづけて本を読む。
字をちよつとも知らんのじゃから、人は下見、かえり見してするけれども、とても禅堂で本をこうやって見ることはさせん。
講座に行つて本をとつて見ることもできん。
老師が気をつけて本を素読してくれたつて、こつちは字を知らんからわからん。
さあ、字を覚えるのに三日も四日もそういうところへ夜になると入つて覚えた。
そのときに茶を買ってきておいて、ちょつとかじる。いいお茶じやったらほんの三葉か四葉、口へ入れて苦いやつをかじりかじりやると、スーツと目が覚める。
そうして明けの日、作務があればともに作務もした。何でもともどもに働いてやつておったが、そうこたえない。」
というのです。
目の悪かった老師のお若い頃の苦労の話であります。
こういうご苦労を経て、立派な老師になられたのでした。
さて、いよいよ臘八の摂心も終わりを迎えます。
八日にお目にかかれることを楽しみにしています。
横田南嶺