大詩人を想う
私なども中学高校の頃から、その詩を学んだものです。
後に自分がそんな詩人に直接会うことになろうとは夢にも思ってはいませんでした。
自分などとは全く別世界の方だと思っていたのでした。
現代詩というと、鮎川信夫、田村隆一という名を思います。
谷川俊太郎さんも、大岡信さんと共に現代詩を代表する方でありました。
『二十億光年の孤独』というのを読んだ記憶があります。
しかし、この詩集は、谷川俊太郎さんがまだまだ二十一歳の時、1952年に出版されたものです。
私などが生まれる前の詩集であります。
「二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした」
という言葉が印象に残っています。
印象に残っていますが、自分などはとても想像もできない世界だと思ったのでありました。
私には現代詩という世界はとても分かるものではないと思って過ごしてきました。
それが、高校生の頃に、松原泰道先生とのご縁から、坂村真民先生の詩を知ることになりました。
二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を
そそいでいこう
というように、真民先生の詩は、とても平易でわかりやすく、言葉も美しく、私はこの真民先生の詩に親しむようになっていったのでした。
またこんな真民先生の詩をもとにして松原泰道先生が法話なされたのもとても新鮮でありました。
今から七年前の円覚寺の夏期講座に谷川俊太郎さんにお越しいただいたのでした。
とても緊張して出迎えたことを覚えています。
当時もう八十を超えていらっしゃいましたが、とてもお元気で、Tシャツ姿でお一人で電車に乗ってこられたのでした。
飾らぬお姿に感動したものでした。
あらかじめ、坂村真民記念館の西澤孝一館長から、できれば、谷川俊太郎さんが、坂村真民のことを知っているか聞いてみてほしいと頼まれていました。
これは私も興味のあることなので、是非うかがってみようと思っていました。
控え室でいろいろお話していて私が、恐る恐る聞いてみました。
坂村真民という詩人のことを知っていますかと。
すると谷川さんは、「ああ、知っている」と答えてくれました。
どうしてご存じなのですかとうかがうと、「いつもあなたの話で聞いている」と仰ったのでした。
私が驚いて、「ええ、先生は私の話を聞いたことがあるのですか」と聞くと、毎年東慶寺で聞いているよということでした。
谷川さんは東慶寺のお檀家で、私はその頃毎年東慶寺の施餓鬼で法話をしていたのでした。
毎回のように坂村真民先生の詩を紹介しているので、それでご存じだったというのです。
そんな大詩人が、私のような者の拙い話を聞いておられたとは恐縮したものでした。
それでも私の話がご縁となって、現代詩を代表する詩人が、真民先生のことを知ってくれていたというのはうれしいことでありました。
私もそう多くはありませんが、谷川俊太郎さんの詩を引用させてもらうことがあります。
たとえば無常ということを説明するときに、谷川さんの「鋏」という詩から、引用しています。
「鋏」という詩の中で、
「けれどこれはまた、
錆びつつあるものである、
鈍りつつあるものである、
古くさくなりつつあるものである。」
という言葉があります。
まさに目の前にある鋏が、今錆びつつあり、鈍りつつあると見る詩人の感性には心打たれます。
しばらく使っているうちに、錆びてきたり、切れ味が悪くなるのを感じるのが普通だと思いますが、詩人は今錆びつつ、鈍りつつあるというのです。
これこそが無常であることをよく言い表しています。
また「急ぐ」という詩の一節もよく使わせてもらっています。
こんなに急いでいいのだろうか
田植えする人々の上を
時速二百キロで通り過ぎ
私には彼らの手が見えない
心を思いやる暇がない
新幹線を詠った詩であります。
今や二百キロどころではないのです。
「彼らの手が見えない」などという暇もないのです。
それから「国境なき医師団に寄せる」という詩の最後、
国境は傷
大地を切り裂く傷
ヒトを手当てし
世界を手当てし
明日を望む人々がいる
という言葉を引用させてもらうこともあります。
チベットのダライ・ラマ猊下が『愛と信念の言葉』という本の中で、
砂に一本の線を
引いたとたんに
私たちの頭には
「こちら」と
「あちら」の
感覚が生まれます。
この感覚が育っていくと
本当の姿が
見えにくくなります。
と仰せになっています。
実にもとは一本の線に過ぎなかったのが、争いのもとになっていくのであります。
空の世界は、この線引きをしない、区別のない、分け隔てのない世界であります。
谷川俊太郎さんとお話していたときに、どういうことからか、私は真民先生の詩の一節を紹介したのでした。
それが
「鳥になります」という詩でした。
こんど生れたら
鳥になります
なぜなら
鳥には
国境が
ないからです
人間では
とてもできないから
鳥になります
という一節を紹介したのでした。
谷川さんは、「良い詩だ」と言ってくださったのを覚えています。
円覚寺の大方丈で、ご自身の詩を朗読されていた在りし日のお姿を思い起こします。
大詩人に会うことができたというのは、私の人生の喜びであります。
また谷川俊太郎さんの詩集を読んでみたいと思います。
谷川俊太郎さんのご冥福をお祈りします。
横田南嶺