何をやっても仏道
漢和辞典によると、「治生」は
①セイをおさむ
暮らしを立てる。
生業を上手にやりくりする。
という意味です。
「産業」は
①生きるための仕事。生業。なりわい。
②土地建物などの不動産。
③[日本]物品を生産する仕事の総称。
という意味であります。
『宗門葛藤集』には、この言葉が公案として載っています。
第一二七則に「治生産業」とあります。
『法華』に曰く、「治生産業、皆な実相と相違背せず」。
禅文化研究所の『宗門葛藤集』にある道前宗閑老師の現代語訳には、
「『法華経』に云う、「一切の現実生活がそのままに、生滅にあずからない真如実相と寸分違わない」と書かれています。
更に注釈には
「治生産業」について、『碧巌録』三十三則本則評唱に、雲門と陳操との問答に見える句。
智顗『妙法蓮華経玄義』に、「一切世間の治生産業は皆な実相と相違背せず」(大正三三・七八九上)とあるに依る。
もと、『法華経』法師功徳品第十九に依ったもの。」
と解説されています。
「法華」に曰くとありますが、実際には、この同じ言葉はありません。
『法華経』法師功徳品第十九では、次のように書かれています。
「諸の所説の法其の義趣に随って、皆実相と相違背せじ。
若し俗間の経書・治世の語言・資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん。」
と書かれています。
訳すると次のようになります。
春秋社の『現代語訳 法華経』から、正木晃先生の訳文を引用します。
「どんな教えを説いても、その意義をちゃんと理解しているので、真理にそむくことはないでしょう。
俗世間にまつわる著作や言行録について、政治経済にまつわる理論や目的について、生きていくための仕事などについて、どれを説いても、なにひとつとして正法にそむくことはないでしょう。」
というのです。
では、更に碧巌録の第三十三則の評唱を参照しましょう。
こちらは、岩波書店の『現代語訳 碧巌録』にある末木文美士先生の現代語訳です。
「陳操尚書は、裴休や李コウと同じ頃の人である。
僧が来るのを見ると、いつでもまず、食事を振る舞って、銭三百文を施したが、きっと相手を試すものであった。
ある日雲門がやって来たので、会うやいなや問うた、
「儒学の書物はおくとして、三乗十二分教には講経僧がおります。
禅坊主の行脚とはどのようなものですか」。
雲門「尚書は幾人の人に尋ねてきましたか」。
陳操「ただ今お前さんに問うているのです」。
雲門「ただ今はさておいて、教えとはどのようなものでしょうか」。
陳操「巻物に仕立てた経巻です」。
雲門「これは文字に書かれた言葉です。教えとはどのようなものでしょうか」。
陳操「口で言おうとすると、言葉がない。
心に思い浮かべようとすると、思いが結ばない」。
雲門「口で言おうとすると言葉がないのは、言葉と向かい合っているからです。
心に思い浮かべようとすると思いが結ばないのは、妄想と向かい合っているからです。
教えとはどのようなものでしょうか」。
陳操は黙ってしまった。
雲門「尚書は『法華経』を読んでおられるということですが、本当ですか」。
陳操 「本当です」。
雲門「『法華経』に言っています、 『あらゆる世渡りや労働は真実の姿に背くものではない」と。
さて、非非想天からただ今幾人の人が(人間界に)退いているのでしょうか」。
陳操はまた黙ってしまった。
雲門「尚書はおろそかにしてはなりません。
一人前の僧は三経五論を投げ捨て、禅道場に入ります。
十年二十年してもまだどうにもなりません。
尚書もどうしてものにできましょうか」。
陳操は礼拝して言った、「私が誤っておりました」。」
と説かれています。
この後半のところを山田無文老師は次のように提唱しておられます。
禅文化研究所の無文老師の提唱から引用します。
「そこで、さらに突っ込んで雲門が言われるのに、「そうでござります」
「あなたは常に法華経を読んでござると聞いたが、さようか」
「法華経の中に、『一切の治生産業、皆な実相と相違背せず』とあるが、米を作るのも機を織るのも、商売するのも労働をするのも、毎日の生活がそのまま実相に背いておらん。
在家のままで社会生活をしておる、そのままが真理に背かん。大乗仏教というものはそういうものだ。こう法華経の中にはあるが、それならば修行は何もいらんはずである。
仏教の教理から言えば、天上界の非想非々想処天、有頂天の高いところに今なお煩悩、妄想を取ろうと修行をしておる修行者があるという。
しかし、『一切の治生産業、皆な実相と相違背せず』と言うなら、そんな修行をせんでも、皆な社会におって百姓なり商売なりをしておったらよさそうなものじゃ。
その非想非々想処天から降りて来て、あなたと一緒に生活している人がいくたりありますか。
あなたの毎日の生活は、羅漢の修行を経たものと同じでござるかナ」
陳操、黙ったままだ。
そこで、雲門、こう言われて、
「まア、大臣、そう慌てなさんナ。われわれ専門の雲水が、その三経五論を捨てて禅堂に入って、十年二十年と坐禅をしても、なかなか仏法というものは手に入らんものじゃ。
あなたが少々、儒教の本や法華経を読んだり、睦州和尚について参禅をしたって、そんなことで仏法が分かってたまりますかい。
そんなつまらんことをして雲水をいじめなさんナ」
こう言われて陳操、
「とんだ失礼いたしました。私の心得違いでございました」
と、雲門には頭を下げてしまったというのである。」
というのであります。
こういう『法華経』の教えが、禅の教えに大きな影響を与えたものと分かります。
馬祖禅師は、
「一切の衆生は永遠の昔よりこのかた、法性三昧より出ることなく、常に法性三昧の中にあって服を着たり、飯を食ったり、おしゃべりしたりしている。
(即ち衆生の) 六根の運用(はたらき)やあらゆる行為が全て法性である」
と説かれました。
私たちの営みのすべては皆仏のはたらきなのです。
そこで、何をやってもそれが仏道だという教えになっていったのです。
それで今でも修行道場では、ご飯を炊くのも、お掃除するのも、畑を耕すのも皆仏道だとして、修行しているのであります。
横田南嶺