禅を感じる
今回で第六十一回となる講演会であります。
ただ今回は、臨済会の創立七十五周年記念企画ということで、いつもの講演会とは趣を異にしていました。
例年ですと、臨済宗の老師様の講演と、もうひとかた在家の方の講演とが行われているものです。
私も、一度講演させてもらったことがありました。
今回は、七十五周年記念ということで、講演は臨済会会長の松竹寛山老師のご講演と、臨済会の和尚様方による「寸劇 僧堂の一日」と、最後は大般若法要という内容なのであります。
松竹老師は、「僧堂の修行について」と題して講演なされました。
私は、この老師のご講演を拝聴するのが今回一番の楽しみでありました。
残念ながら時間は三十分しかなかったのですが、とても深い内容でありました。
三十分だったとは思えないような内容で、深い感動と満足感に包まれました。
松竹老師とは、お互いに修行時代から懇意にしてもらっています。
老師は昭和六十一年の秋に平林寺の僧堂にお入りになり、私は昭和六十二年の春に僧堂に入りましたので、ほぼ同期なのであります。
最近は、松竹老師が禅文化研究所の理事長であり、私が所長なので、毎月一緒に禅文化研究所の仕事をさせてもらっています。
松竹老師の実直なお人柄にはいつも尊敬申し上げているのであります。
今回のご講演も、老師のお人柄がにじみ出ているお話でありました。
老師は、修行道場、僧堂とはどういうところなのか、そのあらましをお話になったあとに、ご自身の体験を静かに語ってくださいました。
老師は長崎のお生まれで、吃音に悩まれていたそうなのです。
その吃音を治すために、腹式呼吸や音読や、メンタルトレーニングなどあらゆる方法を試されたそうです。
しかし、そのどれもが効果がなく、意識しすぎてますます悪循環に陥っていたと仰いました。
そして何もかもがいやになった頃に、坐禅に出会ったのでした。
老師は、「今思えば、なにをやってもうまくゆかなった日々も意味があると感じる」と語ってくださいました。
ご自身の深い体験がもとになっているだけに、心に響く言葉でありました。
それから坐禅修行の実際を丁寧に説いてくださいました。
しっかり坐禅して禅定が熟してくると、「しっとり、ゆったり、どっしり」とした雰囲気が出ると仰いました。
この「しっとり、ゆったり、どっしり」という言葉も老師のご体験から来ている言葉だと感じました。
そんな禅定の姿が大事なのだというのです。
そして禅定から出る機転、気働きが智慧なのだと解説してくださいました。
禅定から智慧が出てくるのです。
老師のところでは、禅定を練るために、第一にお経の声を鍛え、それから第二に合掌叉手低頭という基本動作の修練、そして第三に坐禅で姿勢と呼吸を調えることを説かれています。
合掌、叉手、低頭では、実際に会場の皆と共に実習してくださいました。
一、二、三と声をかけながら丁寧に両手を合わせ、頭をさげ、そして叉手をするのであります。
こうした基本の動作を丁寧に行うと自ずと身心が調うのです。
そして実際にイスで坐禅を行いました。
老師は、白隠禅師の内観の法を簡単に教えてくださいました。
気海丹田腰脚足心と声に出して実際にお腹、腰、足と足の裏を意識してゆきます。
まずそれぞれを手でさすってみることをしました。
お腹をさすり、腰やお尻のあたりをさすり、そして太もも、すね、ふくらはぎをさすり、最後の足の裏は、床に足の裏をこするようにしました。
このように体を実際に自分でさすってみるだけで、意識がなされるものです。
それまで話を聞いていましたので、頭や目や耳だけで生きている感じでしたが、しっかりとお腹、足と足の裏を意識することができます。
そうして老師の先導で、「ムー」と声に出しながら坐ったのでした。
お話も聞けて、基本動作も習えて、更に坐禅、内観の実習もできたのです。
これが三十分の中に入っているのですから、老師はご準備にかなり工夫を費やされたと感じ入りました。
それから、休憩のあと、寸劇でありました。
僧堂の一日を若手の和尚様方がとても上手に再現してくれていました。
普段は裏方ではたらいてくださっている和尚様方が、こうして舞台で活躍されるのを拝見するのはうれしいものです。
みていますと、私の円覚寺の修行道場で修行した者も三名参加してくださっていまいた。
三人をみていると、まるで我が子の演劇をみている親のような気持ちでありました。
劇の解説が誰かのナレーションによるのではなく、興慶寺の和尚と月洲寺の和尚が僧堂の暮らしを振り返る形で語り合ってくれていました。
これが自然で聞きやすくなっていました。
その寸劇が終わりそうになると、私に臨済会の方からお声がかかり、大般若の支度をするようにとのことでした。
私も今回、この大般若の法要に参列することになっていたのでした。
大般若法要とはどんなものか、当日いただいたパンフレットには次のように書かれていました。
「大般若法要とは、 唐代の玄奘三蔵が訳出した『大般若波羅蜜多経』という全600巻の経典を転読という独特の方法で厳修します。
その儀式は経本を古式に依って繰り出し「降伏一切大魔最勝成就」と全身全霊をかけて声を出し、魔除けと共に、『大般若波羅蜜多経』の教えである 『空』 の教えを全身で顕す御祈祷です。
また五穀豊穣や国家安寧、衆生の幸せをひたすらに御祈祷致します。
臨済宗の法要の中で、 特に迫力があり、普段穏やかな僧侶が真剣かつ、 裂帛の気合を込めて行じる姿をご覧いただきます。」
と書かれています。
その法要の大導師は、臨済会顧問であり、建長寺派管長である吉田正道老師でありました。
それに随喜しましたのは、向嶽寺派管長の宮本大峰老師と建長寺専門道場師家の酒井泰玄老師と会長である平林寺の松竹老師、それに私とであります。
各派の管長、僧堂師家が出頭するものです。
それに臨済会の和尚様方が出頭されました。
普段ですと仏さまに向かって祈祷し、みなさんに背を向けて法要を勤めますが、今回はなんと舞台の上で、みなさんに向かって法要を行ったのでした。
終わった後に、吉田老師は、ご自身、みんなに向かってお経をあげたのは初めてだと仰っていました。
そしてこれは皆さんが仏であることを表しているのだとお話くださっていました。
銘々一人一人が仏である、そのことを自覚出来れば右往左往、迷うことはないのだと、禅の真髄を説いてくださいました。
そのお言葉にも感動しました。
かくして法要も無事終わりました。
老師方それぞれひとことを求められましたので、私は皆さんと一緒に学べたことの感謝だけを伝えました。
いつもは「禅をきく講演会」ですが、今回は実にからだで禅を感じる会になったと思ったのでした。
横田南嶺