仏光国師の漢詩
漢詩は次の三つであります。
乾坤 孤筇を卓つるに地無し。
喜得す人空 法亦空なることを
珍重す 大元三尺の剣。
電光影裏 春風を斬る。
という詩です。
それから
世路艱危、故人に別る。
相看て手を握って頻りなることを知らず。
今朝宿鷺亭前の客。
明日扶桑国裏の雲。
という詩と、
そして
諸仏凡夫同に是れ幻。
若し実相を求むれば眼中の埃。
老僧が舎利 天地を包む。
空山に向かって冷灰を撥くこと莫れ。
という詩であります。
はじめの漢詩は、仏光国師の偈の中でももっともよく知られたものであります。
臨剣の偈とか、臨刃の頌とか言われています。
この漢詩については、朝比奈宗源老師が『しっかりやれよ』(筑摩書房)に解説されていますので、そちらを参照してみましょう。
「開山も元が侵略して来たものですから、真如寺を出て南に逃れ、今の福建省の雁山の能仁寺という寺に避難しておられた。
ところがその寺へもやがて元の兵が乱入したらしい。
すると寺の者たちは皆逃げてしまったが、師、一榻に兀坐―開山一人だけ坐禅して動かなかった。
そこで元の兵隊がこの坊主横着な奴だと思ってでしょう、白刃をもって開山の首を斬ろうとした。
その時神色すこしも動ぜず、為に偈を説いていわく
――そしたら少しもおどろかないで、この偈を説かれたというんです。
乾坤無地卓孤筇
これは大そう痛快な詩です。
天地の間に杖一本立てる所もない。
喜得人空法亦空
人空の人というのは主観、法というのは客観界、私から見れば皆さん方を含めてこうして私を取り巻くあらゆるものが法であります。
嬉しいことにはその法もなければ、これがこれだというものもない。
これは私がいつも言う悟りの境地ですよ。そういう境地から見れば、
珍重大元三尺剣
珍重というのは、ご苦労さんということです。
ああ、大元の兵隊さん、三尺の大だんびらを振り上げてわしの首を斬るというが、それは、
電光影裏斬春風
お前さんたちがぴかぴかする刃を振り回して、わしの首を斬ることは、ちょうど春風の中で剣舞するようなものであって、ごくろう千万であると、こういう意味で、実に小気味のよい詩であります。」
という意味であります。
最近になって駒澤大学の小川隆先生から「珍重」は「さらば」という別れの言葉と教わりました。
そうしますと、「さらば、大元三尺の剣が私の首を斬ろうとも、あたかも稲光のする間に、春の風を切るようなものだ」という意味になります。
こちらの方が臨場感があってよろしいように感じます。
この漢詩について、朝比奈老師は、
「まぁ、開山という人は、前にはお母さまに仕えて娘のように優しくしていたかと思えば、こういう場合に臨めば毅然としてですね、叱咤して三軍を退けるような気概のあった人で、ここらが、私が開山を好きな所であるし、後に日本に来て、北条時宗の師匠になっても、日本の武士たちとぴったり呼吸の合った所以だと思います。
ともかくこれは、詩そのものが一つの歴史であり、時と人とがぴしゃりと嵌る所に嵌った、 たぐい稀な作品です。」
と称賛されています。
仏光国師は、ご自身の修行をすませて三十歳の頃から、三十六歳にお母様がお亡くなりになるまで、おそばに仕えて孝養を尽くされたのでした。
そんなお優しい一面もあれば、元軍に囲まれても微動だにしないという峻烈な一面もあるということなのです。
次の詩についても朝比奈老師の解説を参照しましょう。
「「衆に辞す」 ですから、皆にお別れを告げるのがこの詩であります。
世路艱危別故人
これは今日の韻からいうとちょっと韻を別にしておりますが、昔は通韻といいまして、共通して使ったと見えます。
まさに自分の国は亡びてしまおうとしているこの時勢にです、なじみ深い人たちとここでお別れをするというのです。
相看握手不知頻
手を握って、覚えず強く握って、しきりなるを知らずですね。
まあこれは説明はいりますまい。
今朝宿鷺亭前客
宿鷺亭とはその時開山が居られた天童山にあった建物です、いまこうして宿鷺亭の前にいるが、明日は日本の空の一片の雲となるであろう。
こういう軽い表現が詩というものには好もしいですね。」
というところです。
更に朝比奈老師は、
「実によい詩であります。
この時のことを伝記にはこう書いてあります。
僧行士俗涙を垂れて別れざるはなし
坊さんも、 坊さんでない人も、みな涙を流して開山の出立を見送られた。
こうして日本においでになるのであります。」
と称えておられます。
最後の詩は、遺偈といっていい漢詩であります。
諸仏凡夫同に是れ幻。
仏様といおうと迷っている人といおうと同じように幻にすぎない。
若し実相を求むれば眼中の埃。
何か少しでも真実となるものを求めようと思っても、そんなものは目の中の埃のようなもの。
老僧が舎利 天地を包む。
私の骨はこの天地いっぱいにある。
空山に向かって冷灰を撥くこと莫れ。
焼いた後の灰をかき回して骨を拾うようなことをしてくれるな
という意味であります。
良寛さんは「形見とて何か残さん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみぢ葉」という歌を残しました。
仏光国師は「自分の骨はちっぽけなものではなく、この天地いっぱいを包んでいるのだから、骨を拾うようなことをするな」と言われたのでした。
こんな詩について語り、そして怨親平等についてお話させてもらったのでした。
横田南嶺