よくはたらく
思えば九月の日曜説教の頃は、まだ暑かったのでした。
九月はお彼岸を迎えても暑い日が続いて、今年の秋は来るのだろうかと不安に思ったりもしたのでした。
しかしやはり季節はめぐります。
十月十三日は、よく晴れて、心地よい秋の風が吹いて、暑からず寒からずの好時節となりました。
こんな良い日は一年の中でもそうたくさんはありません。
有り難い日だと思って日曜説教をおつとめしました。
日曜日は、いろんな用事がたくさん入るようになってしまい、その日も日曜説教の前に、来客の応接がありました。
またその日は修行道場の布薩の日でもありましたので、早朝から布薩もおつとめしていたのでした。
来客の方の応接をすませると、もう日曜説教の始まる二分前となっていました。
そこでようやく大方丈に向かいました。
方丈に入って驚きました。
実に大勢の方々がお集まりになっていました。
こんなに大勢の方が集まってくださるのは、コロナ禍以来初めてだと思いました。
なんとも有り難いことであります。
この頃は、わざわざ円覚寺までお越しいただかなくても、YouTubeでご自宅でも聞くことの出来る時代なのですが、やはりこのお寺という環境がよろしいのだと思います。
遠近、さまざまなところから様々な方が集まってくださっているのです。
毎度毎度、今日ここでお互いにめぐり会うことのできたご縁の不思議に感謝して手を合わせますと申し上げていますが、その思いは一層強く感じたのであります。
とてもとてもお一人お一人ご挨拶もできないのですが、それぞれの思いを抱いて話を聞いてくださっているのです。
近年お身内を亡くされ、そんな悲しみの中から、YouTubeの法話でご縁ができて、円覚寺の日曜説教に通ってくださる方もいらっしゃいます。
いろんな思いを持っておられるのです。
人それぞれ、生まれも育ちも顔も姿も、考え方も異なりますが、ただひとつ共通していることは、死であります。
やがて死を迎えるのであります。
どんな人も皆例外なく死を迎えます。
これは避けることのできない事実であります。
十月の日曜説教では、死をみつめて生きるというテーマでお話しました。
会場のみなさんに配布した資料には、
「わき目をふらず 華をつみ集むる かかる人をば 死はともない去る まこと 睡りにおちたる 村をおし漂(なが)す 暴流(おおみず)のごとく(法句経四七)
虚空(そら)にあるも 海にあるも はた 山間(やまはざ)の窟(あな)に入るも およそ この世に 死の力の およびえぬところはあらず(法句経一二八)」
という法句経の言葉を二つと、
「生は寄なり、死は帰なり」『淮南子』
「人は天地の本源から生まれて暫くこの仮の世に身を寄せるに過ぎないが、死はこの仮の世を去ってもとの本源に帰ることである」『広辞苑』
という中国の古典の言葉と、
「私たちは仏心という広い心の海に浮かぶ泡の如き存在である。生まれたからといって仏心の大海は増えず、死んだからといって、仏心の大海は減らず。私どもは皆仏心の一滴である。一滴の水を離れて大海はなく、幻の如きはかない命がそのまま永劫不滅の仏心の大生命である。人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息を引き取る。生まれる前も仏心、生きている間も仏心、死んでからも仏心、仏心とは一秒時も離れていない。」という朝比奈宗源老師の言葉を印刷して用意しました。
法話を終えたあとは引き続き、白駒妃登美先生のご一行と歓談させてもらいました。
白駒先生にはかつて円覚寺の夏期講座でご講演いただいたこともあります。
白駒先生の『誰も知らない偉人伝』という角川文庫の本には、私が巻末に解説を書かせてもらったこともあります。
三十名ほどの方々としばし懇談させてもらいました。
話題がないと困るかと思って、円覚寺の開山無学祖元禅師の漢詩をいくつか資料として用意しておきました。
みなさんは円覚寺のこともよくご存じで「怨親平等」について質問もありましたので、いろいろとお話させてもらいました。
岩波書店の『仏教辞典』には、「怨親平等」は、
「戦場などで死んだ敵味方の死者の霊を供養し、恩讐(おんしゅう)を越えて平等に極楽往生させること。」
と解説されています。
また更に『仏教辞典』には、
「死者への慈悲に加えて、死霊の御霊(ごりょう)化を恐れ、念仏による慰霊をはかったものと解されている。
さらに文永・弘安の役の蒙古軍撃退ののちに敵味方の霊を弔ったことは、民族や国の対立を超えることを意味し、島原の乱のあとで敵(切支丹(きりしたん))味方の霊を弔ったのは、宗教の相違をも超えることをめざしていたわけである。」
と解説されています。
その通りなのです。
中村元先生は、「靖国問題と宗教」(ジュリスト一九八五・一一・一〇)という文章で次のように書かれています。
「戦争についての日本の伝統的精神は、戦後には敵味方す
べての冥福を祈るということであった。
これを「怨親平等」(おんしんびょうどう)という。」
と書かれています。
更に「武士は戦場では斬り合いをする。
命のやりとりで、逡巡は許されない。
しかし戦が終ると、一切の怨みを忘れて敵を弔う。
二人の武士が向い会って果たし合いをしたときに、勝者は敗者の屍骸に合掌して立ち去るのが常であった。
戦争のあとでも同様であった。
武将は味方の将士の亡魂を弔ったばかりでなく、敵軍の将士の冥福をも祈っている。
「怨親平等」の精神によるのである。
生きて、敵味方に分れて戦っているときには対立があるが、死んでしまえば対立を超えるのである。
元寇のあとの法要では、わが軍の将士の霊を弔うのみならず、元軍の将士の霊の冥福を祈っている。
島原の乱のあとでは、殺された切支丹側の人々の冥福をさえも念じて、怨親平等の法要が行われている。
われわれの祖先は、国と国との対立を超え、異なった宗教の間の相克を超えて、敵味方の冥福を祈ったのである。」
と説かれているのであります。
この「元寇のあとの法要では、わが軍の将士の霊を弔うのみならず、元軍の将士の霊の冥福を祈った」のが円覚寺なのであります。
そんな話をして、午後からはZen2,0の企画で、外国の方々の為の英語のセミナーを催していました。
会の始まりは工藤煉山さんの尺八の演奏でした。
それから通訳の方にお願いして、私がイス坐禅の指導をして、そのあと長年円覚寺に通ってくれているベンジャミンさんが聞き手になってくれて、いろいろと参加者も交えて話をしました。
そして独園寺の藤尾聡允和尚による「動禅」のご指導と写経がございました。
これも午後三時間ほどのセミナーでしたが、ご参加くださったみなさんには喜んでもらいました。
かくして日曜説教の日も朝から晩までよくはたらいたのでありました。
横田南嶺