禅文化研究所六十周年
昨年の七月に私は禅文化研究所の所長に就任して、まず第一に掲げた目標が、六十周年の式典を行うことでした。
そこで、それに合わせて記念出版として、駒澤大学の小川隆先生に『禅宗語録入門読本』を刊行していただくようにしました。
周年事業には、禅文化賞の表彰もございます。
今回は功労賞をお二方に差し上げることになりました。
昨年以来準備してきたことがおかげさまで盛大に実現できました。
思えば十年前の五十周年記念の時には、私は研究所の理事として参加していました。
その時には、方広寺派管長の大井際断老師と、気仙沼地福寺の片山秀光和尚に禅文化賞を差し上げたのでした。
その折りに所長は西村恵信先生であり、理事長は佐々木道一老師でありました。
記念講演を務められたのは、竹村牧男先生でありました。
今回は禅文化賞には、西村恵信先生と駒澤大学の石井修道先生に差し上げました。
記念行事は、京都市内のホテルを借りて行いました。
まずは禅文化研究所が設立され、そして今日まで継続できたのは、多くの方々のおかげでありますので、創立者功労者、物故者にお経をあげて供養いたしました。
導師は理事長の松竹寛山老師がおつとめになりました。
そのあと松竹理事長の挨拶がありました。
松竹理事長は原稿をお作りになられ懇切丁寧に、この会にお集まりくださった皆様への御礼と、研究所設立の趣旨などをお話くださっていました。
その次に所長である私が挨拶をしました。
ところが、私もあらかじめ原稿を書いて用意していましたが、そのほとんど同じことを松竹理事長がお話くださったので、困ってしまいました。
とっさに重複しているところはすべて削除して、その場で考えて少し話を付け加えました。
はじめにお集まりの皆様に謝辞をのべて、あとの研究所についてのことは既に理事長が述べられたので、次のことを申し上げました。
「こうして禅文化研究所が六十年続きましたのは、歴代の所長理事長はじめ職員、賛助くださる皆様のおかげであります。
ここに改めて厚く御礼申し上げます。
六十年となる研究所は、実は私と歳を同じくしております。
人間でいえば還暦であります。
人間でありますと、そろそろ体のいろいろのところに不具合が生じてくる頃であります。
また研究所は公益財団法人となって、十二年経ちます。
その間私も理事として研究所に関わってきました。
このたび皆様にお配りした「禅文化研究所六〇年の歩み」という冊子に、西村先生は公益財団法人となるにあたって、すでに「研究所の台所はまさに火の海であり、運用資金は底をついている」と書かれています。
この六十周年までよく持ちこたえたというのが、私の実感なのです。
改めてこの法人の目的を見ますと、約款には、
「この法人は、禅を思想・歴史・文化及び実践の各方面から総合的に研究して、禅及び禅文化の本質とその現代的意義を究明し、その成果を普及して世界の精神文化に貢献することを目的とする。」と書かれています。
この崇高な目的を今一度かみしめたいと思います。
そしてその事業は「禅及び禅文化並びに日本文化の学問的研究 禅及び禅文化並びに日本文化の研究者並びに実践者の養成」なのです。
この目的と事業を一歩一歩進めるべく、六十周年から新たに歩んで参ります。
どうぞ皆様には変わらぬご支援、ご指導をお願い申し上げます」
と申し上げました。
そのあとお二方の先生に禅文化賞を謹呈しました。
賞状を差し上げるのは所長の役目でありました。
そして記念講演を芳澤勝弘先生に行ってもらいました。
「白隠禅師に学ぶ」と題して九十分のご講演でした。
芳澤先生もまた禅文化研究所に深く関わってこられた先生であります。
白隠禅師の半身達磨についてお話くださいました。
その内容の素晴らしいことはいうまでもありません。
長年の先生の調査研究の成果を披瀝してくださいました。
私は、そのはじめに語られたことと終わりに語られたことが深く印象に残りました。
はじめに芳澤先生は、学生の頃に達磨寺こと法輪寺に下宿されていて禅文化研究所の夏季講座に参加された話をなされました。
講師は建仁寺の竹田益州老師と、梅原猛先生だったそうです。
まだ梅原先生もお若かった頃とのことです。
該博な知識をもって語られた梅原先生の話は、今は記憶にないそうですが、竹田益州老師の臨済録提唱が心に残っている、と芳澤先生は話していました。
益州老師は、臨済録の序文を読まれたそうなのですが、その漢文を素読される様子と、ご自身の生い立ちなどをお話されたことが深く心に残っていると仰っていました。
こんな話にも禅の本質が説かれていると思いました。
白隠禅師の話を終えて芳澤先生は、横山文綱和尚の話をしてくださいました。
研究所の設立は昭和三十九年なのですが、その設立時に季刊『禅文化』はすでに30号と31号の合併号が出されているのです。
設立の九年前に、禅文化研究会が作られていたというのです。
横山文綱和尚が中心となっておられたという話でした。
枯淡で如法綿密な暮らしをしながら参禅も続けられていたそうなのですが、四十九歳、胃がんでお亡くなりになったのでした。
亡くなるときには坐禅をして坐脱なさったという話でした。
そんな先人の話を伺うと身が引き締まります。
その後祝賀会が開催されました。
祝辞は花園学園の学園長栗原正雄師と小川隆先生にお願いしました。
小川先生は、禅文化研究所とのご縁を丁寧にお話くださいました。
多くの方々に禅文化研究所の意義を感じてもらえる会になったと思います。
研究所の職員の皆さんにはよくやってくださいました。
無事周年事業を終えて私もホッとしたところです。
横田南嶺