開山さまの最期
開山仏光国師のご命日の法要です。
円覚寺の諸行事の中でももっとも大切な行事であります。
午前十時から舎利殿で読経が始まります。
小一時間ほどお経をあげて、舎利殿のある正続院から、行列を組んで佛殿まで参ります。
更に佛殿で読経をします。
お供えをするのが、儀式の中心であります。
導師を務める私が、まずお香を献じて三拝します。
そして開山さまにお昼のご飯と白湯を献じて三拝します。
それからお茶を献じて三拝するのです。
合計九回礼拝しながらお供えをしてゆきます。
それからこのときには、五侍者といって、管長に侍者が五人もつきます。
『禅学大辞典』には次のように解説されています。
一、焼香侍者。山門の行礼において住持の焼香を補佐する役。
二、書状侍者。住持の往復の書簡を司る役。
三、請客侍者。住持の賓客の応接をする役。
四、衣鉢侍者。住持の衣鉢資具を司る役。
五、湯薬侍者。住持の飲食湯薬を司る役。
現今の臨済宗では、侍香・侍状・侍客・侍衣・侍薬と呼ぶ」
と書かれています。
たとえば私がお茶を献じる時には、お茶をお香に熏じで、それぞれ五人の侍者が受け渡しながら、開山さまにお供えをするのです。
侍衣が受け取って、最後に侍香が開山さまにお供えするのです。
仏光国師がお亡くなりになる時の様子を朝比奈宗源老師が、『しっかりやれよ』の中で次のように語っておられます。
少々長いのですが、引用します。
「この円覚寺の開山さんも若いときから病身の方ですが、晩年病にお苦しみになった時、わしは日本に来て八年間苦しんだ、もうすぐ楽になるという意味の事を亡くなる直前におっしゃっております。
禅宗の坊さんであれだけ偉い人でも、人生というのは苦しいところ、だから死は楽しいところとこういうふうにお考えになったようであります。
お寺では毎月一日に茶礼といってみんなでお茶を飲む儀式があるが、開山さんはいつもの通りそれに出られ、二日(弘安九年九月三日の晩にお亡くなりになりましたから、亡くなる前日)には、みんなを集めて、自分の出家した時のことや、日本へ来たときのことなどを話された。
そうしてその晩、居間で、あるいは行きあるいは坐すというんですから、歩いたり坐ったりして、中国風にベッドのようなものを作って上げたのかもしれませんが、詩を詠じたりして夜通しおやすみにならなかった。
みんなにはどういうお気持か分からなかった。
三日のお昼前になって、報謝の詩を作って一同に示された。
一切行無常
五陰空無相
生者皆有苦
無有我我所」
一切の行は無常なり、生者は皆苦あり、五陰(われわれの意志や感情など全部) 空にして相無し(実際はない)我我所あることなし(われもなければわれの所有ということもない)一切が空だというわかりやすい偈をお示し下さった。
そしてさっき言いましたように、今夜快治し去らん、もうじき楽になるだろうとまるで死ぬことを楽しみのように物語りをして居られるうちに壁の向で読経の声がした。
「あの声はなんだ?」
「あなたの延命を祈っているお経です」
といったら、
「わしはこの世に住むべき縁はつきた、今夜は必ず逝く」
とこうおっしゃったが、その通りであったということです。」
と書かれています。
また最後に示された偈についても朝比奈老師は解説してくださっています。
「もう一つ、おかくれになる日の午後の偈に、
諸佛凡夫同是幻
若求実相眼中埃
老僧舎利包天地」
莫向空山撥冷灰と
諸佛凡夫同じくこれ幻(佛も凡夫も同じようにまぼろしだ)、
もし実相を求めば眼中の埃(そこに永遠の何かこちんとしたものがあると考えたならば、眼の中にごみが入ったようなもんで迷いだぞ)、
老僧が舎利は天地を包む(わしの骨は宇宙をつつんでいる。)、
空山に向って冷灰をあばくこと莫れ(焼場の冷えた灰をかき廻してお骨を探したりしてくれるな)という詩があるんです。
これは、私がいつも申上げていますところ、即ち「佛心は宇宙を包んでいる」ということですよ。
私どもの根本の佛心は、生き通しであり、罪やけがれにどうのというようなものでなく、そして宇宙一杯なんです。
ですから開山がこんなことをいったって何も珍しいことじゃない。
まあ開山という方は亡くなるときはこんなふうでした。」
というのであります。
この偈を示されたのが、酉時というのですから、夕刻であります。
更に亥の初ですから、九時頃に、衣をかえて端坐し。筆をとって偈を書かれました。
それが
來亦不前。
去亦不後。
百億毛頭師子現。
百億毛頭師子吼。
という偈です。
そして筆を置いて泊然として逝くと語録には書かれています。
泊然とは「心が静かで欲のないさま」を言います。
筆を置いて静かに息を引き取られたのでした。
龕をとどめること三日、慈容生けるが如しとありますので、棺を三日とどめておいたようですが、その慈悲深いお姿は、まるで生きておれるかのようであったというのです。
朝比奈老師の説かれた「わしは日本に来て八年間苦しんだ、もうすぐ楽になる」というのは、原文では「吾、此の土に臨んで受苦八年、且喜すらくは今夜快怡し去らん」となっています。
「今夜快怡し去らん」という言葉は胸打つものがあります。
快は「こころよい。しこりがとれて気持ちよい。さっぱりする」ことです。
怡は「よろこぶ。心が穏やかになごむ。心を和らげる」ことです。
仏心の世界に帰る心地よさをいうのはもちろんでしょうが、仏光国師は晩年に言葉も通じない異国に来て八年ご苦労されたことを「受苦八年」と表現されているように、その苦労から解放されるという安らかさもあるのかと察します。
実に荘厳なる様子がうかがわれます。
厳粛な最期であり、安らかな最期でもありました。
お亡くなりになったのは九月三日なのですが、円覚寺では一月遅れの十月三日に法要を営んでいます。
横田南嶺