僧は何のプロなのか
お話いただいたのは、神宮寺における葬式の取り組みというテーマでした。
はじめに谷川さんは、前回の講座で僧侶としての理想の姿をもつことが大切だと話したのでしたが、その考えは甘かったと反省していると仰いました。
栗山英樹さんが、「夢は正夢」と仰っていますが、夢は現実にしなければ意味がない、「なる」と本気で決めれば、自分でやりきってゆくのだというのです。
そして僧侶の本分は何かと、問いかけてくれました。
『広辞苑』を調べると、「本分」というのは「その人の守るべき本来の分限。」
と解説されています。
そこには道元禅師の正法眼蔵『坐禅箴』にある「住持より諸僧ともに坐禅するを本分の事とせり」という用例がありました。
また「人やものに本来そなわっているもの。本来の性質。」という意味もあります。
子供の本分というと遊ぶことでしょうし、学生の本分はというと勉強することでしょう、では大人の本分はというと、働くことなのか、家庭や子供を養うことなのか、はたまた年をとることなのか、考えさせられます。
谷川さんは、僧侶の本分とは、僧侶に与えられた社会の中での役割分担であると解説してくれていました。
道元禅師が説かれたように「住持より諸僧ともに坐禅するを本分の事とせり」とありますように、本来禅僧は、坐禅をするのが本分だというこの一番おおもとを忘れてなりません。
そのうえで、社会において果たすべき役割がありましょう。
僧はなにのプロなのか、谷川さんは一生かけて考えるべきことだと仰いました。
井出悦郎さんの『これからの供養のかたち』という本には、葬儀社から僧侶への不満として「プロ意識が高くない」「受けて視点が希薄」「約束の時間や最低限のマナーを守らない」などがあげられているそうです。
「宗派では儀礼や坐禅を教えるが、人々の苦に応えていくこととの結びつけが共育されていない」という指摘もありました。
そこで谷川さんは、「私の本分は人の苦しみに向き合うことだ」と仰せになりました。
そこで谷川さんが具体的に日々お力を入れておられるのが、葬儀なのであります。
僧侶の必要性ということで、ある調査では、必要と答えたのが44パーセントで、いた方がいいというのは35パーセントだそうです。
実に約八割が、まだ葬儀において僧侶の必要性を感じてくれているのです。
では僧侶に求めるものは何かというと、
「故人のとむらい」「家族や遺族に寄り添う」「お経や聖句の意味」「お布施などの金額を明確に」という四つがあげられていました。
故人の弔いということでは、谷川さんは宗派伝来の葬儀の儀式で十分なのだと仰いました。
わたしはこの儀式の力を信じているというのです。
ただ何をしているのか分かりづらいのです。
僧侶が真剣に戒名や引導を考えていることを遺族に伝えることも大切だと指摘されていました。
宗派伝来の儀式で故人の弔いは達成できているというのが谷川さんのお考えであります。
それから「家族や遺族に寄り添う」ということがありますが、これは欠けている場合が多いように感じます。
谷川さんは「お葬式のしおり」というパンフレットを作り、遺族に安心して葬儀が行えるように実によく寄り添っておられます。
葬儀社を介さずに、直接遺族と打ち合わせを細かく行い、更に故人がどんな人だったのか、聞き取りをして、一件一件のお葬式に故人のビデオを作成されています。
それを葬儀の折に流して、スクリーンに家族の写真や家族の言葉を映し出すのです。
そうすると葬儀や別れに対する向き合い方が変わるというのです。
そこで最近行われた葬儀での実例を示してくださいました。
九十二歳の男性の葬儀に作ったビデオと、九十三歳の女性の葬儀に作ったビデオでした。
どちらも拝見していると、私たち直接その人を知らなくても涙を誘われますから、遺族やご縁のあった人がご覧になるとどんなにか心に響くのかと想像しました。
それから「お経や聖句の意味」を知りたいというのもあるので、谷川さんはとなえるお経の意味、内容をこれも画像で映し出すようになされているのだそうです。
そして最後に「金額を明瞭に」ということです。
こちらは難しい問題で、いろんな意見の分かれるところですが、谷川さんのお寺では金額をすべて明示していらっしゃいます。
そのように葬儀に関しては、僧侶に求められるものは工夫しだいですべて解決できると仰いました。
やはりそれぞれの努力が大事なのです。
最後に谷川さんは吉野弘さんの「生命は」という詩を紹介してくれました。
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
という一節です。
生命は「その中に欠如を抱きそれを他者から満たしてもらうのだ」という言葉を紹介して、自分自身の足らないところを多くの方に助けられているのだと話してくれていました。
そしてマックス・ウェーバーのいう「精神なき専門家」にならないように精神の支柱をもっていたいと仰っていました。
谷川さんの熱意あふれるご講義に修行僧たちも私も感激していました。
もっとも感激だけではだめで、私は何のプロなのか問い続けないといけません。
谷川さんのお寺神宮寺には、この九月二十八日の土曜日に法話に参ります。
イス坐禅と法話の会を開いてくださるのです。
イス坐禅は満席なのですが、法話の会はまだまだ空席が多いらしいのです。
神宮寺に行ってみたい、谷川さんに会ってみたいという方は、ついでに私の法話もありますのでおすすめします。
九月二十八日午前十一時からであります。
横田南嶺