「菩薩」が現れた
その時の感動は今も忘れられません。
そしてなんとその「菩薩」が円覚寺に現れたのでした。
八月一日にお目にかかった折に、是非とも一度円覚寺で若い修行僧たちにお話をして欲しいとお願いしたのでした。
そうしましたら、なんと八月の末の一日、お越しいただいたのでした。
その「菩薩」という方は、坪崎美佐緒さんです。
その日は午後から半日ほど、講座を含めて坪崎さんとご一緒させてもらったのですが、坪崎さんから出る言葉は、うれしい、有り難い、幸せという言葉ばかりなのでした。
坪崎さんの著書『いま、目の前にいる人が大切な人』の「はじめに」に本書をプロデュースされた大久保寬司さんが書かれている言葉があります。
「幸せな人は幸せになる生き方をしている」という言葉です。
坪崎さんという方は、まさにそんな人なのであります。
その日は大久保寬司さんと共にお越しいただきました。
講座は修行僧や若手の和尚さん、普段お寺に出入りしている在家の方数名で、全体二十数名で行われました。
三時間の講座ですが、これが実にアッという間に感じました。
そしてみんな素晴らしい笑顔になるという、まるで魔法にでもかかったような三時間だったのでした。
坪崎さんは、コーチングというお仕事をなさっています。
『いま、目の前にいる人が大切な人』の巻末に、坪崎さんがコーチングに心惹かれた理由として、
「惹かれたのは「その人の中にある可能性」という言葉でした。 私も幼い頃から、人に会う度に必ず感じていました。
それは、その人の中にある「可能性」「素晴らしさ」 「魅力」 「強み」 「長所」「輝き」。
この言葉では表現しきれない気持ちを感じて、 心の中で感動していました。」
と書かれています。
坪崎さんにとってのコーチングとは、「「いま、目の前にいる人に大切に思っていることを伝える」ことができるコミュニケーションです。」ということになるのです。
この言葉通りを実践されているのであります。
坪崎さんの目には、どんな人であれ、その人の可能性、素晴らしさ、魅力、長所、輝きしか入っていないのだと感じました。
どんな講座になるのか私も興味津々でした。
三時間講義をなさるのかと思いきや、実際に坪崎さんがお話になっているのはわずかの時間で、みんなで考えて話しあうのです。
四人ずつのクループに分かれて話し合うのでした。
まずはじめに「なぜコミュニケーションをとるのか」「それを実現するにはどうしたよいか」という質問がなされて、各自で答えてゆくのです。
坪崎さんはコミュニケーションのあり方について、興味深い実演をなさってくれました。
一人の修行僧を自分の子供と見立てて、坪崎さんが母親役になって、言うのです。
言葉としては「お母さん、怒ってないから、言ってごらん」というのです。
しかし、それが実に怖い顔で、そして早口で、更には相手に言う暇も与えず二度繰り返すのです。
これは言葉では「怒っていないから」と言いながら、確実に怒っています。
怒っている、怖いとしか伝わらないのです。
そこで坪崎さんは仰いました。
相手に伝わったことが、自分の伝えたことなのだと。
そしてこの逆は成り立たないというのです。
つまり自分が伝えたことが、相手に伝わったことにはならないのです。
これは注意すべきことであります。
ミラニューロンの説明もありました。
相手の表情を見て、自分もその相手と同じ感情になるのです。
相手が不愉快な表情をしていると、こちらも不愉快な気持ちになるのです。
そこで目の前の人に笑顔になって欲しいと思うなら、まず自分が笑顔になるのです。
目の前の人にどんな表情になってほしいか、それを考えて自分が表情を選ぶのです。
コミュニケーションをとる理由はいろいろ聞かれました。
人間は一人では生きられませんので、集団を作るため、相手をしるため、情報の共有のため、いろいろです。
それから「同心同時」という言葉をいただきました。
同じ心で同じ時を過ごすという意味です。
この言葉を坪崎さんは大事にされているのです。
お互い、この時を、楽しく、そして心地よい時にして過ごしたいものです。
だれしもそう思います。
ではどうしたらよいのか、どんな時が楽しく、心地よいのかを考えました。
楽しい話をきく、おもしろそうな話を聞く、相手を否定しない、どんな人でも受け入れる、誰でもそこに居ていいのだと認める、温度や湿度も大切だ、などなどです。
ではその環境を作るのは誰かと問われました。
それはみんな、一人ひとりだということになってきました。
坪崎さんは、講座の間、あまり多くを語らず、それぞれのグループを回って声をかけたりしてくれているのです。
そんな合間に素晴らしい言葉をいただきました。
そのひとつが「困らせている人は、困っている人」というのです。
どの集団にも困らせている人がいるものです。
それをどうしようもないとか、仕方ないと思いがちなのですが、実はその人自身が困っていると見るのです。
なにがそのようにさせているのか背景を見るのです。
その背景を見ることができれば、その人は変わるというのです。
誰しも自分のことを理解して欲しいのです。
自分の感情を自分でコントロールできるのか、これは難しいものです。
感情というのは簡単にはコントロールできません。
しかし、思考や行動はコントロールできるものです。
この思考を変えてみるのです。
こちらの見方捉え方を変えてみることで、感情もまた大きく変わるのです。
雨が降って、イヤだと思う人もいれば、いいお湿りだと思う人もいます。
受け止め方で変わります。
環境もまた一人ひとりが作るのですから、どのような思考や行動をしたら、楽しい心地よい環境になるのかよいのかを考えてゆきました。
やはり、話し合うこと、聞いてみること、相手を受け止めてみることなどがありました。
感謝の気持ちを持つことなども大事です。
そこである修行僧が発表してくれました。
相手を他人と思わないという言葉がでました。
他人は他人でどうしようもない、他人には何をしても変わらないと思うのではなく、他人のやっていることも自分のやっていることに引き寄せて考えてみるというのです。
これはいいことに気がついてくれたなと思って聞いていました。
私たちはどうしたらよいのか、それは私たちの中から答えが出てくるというのです。
他から教えてもらうのではないのです。
これは素晴らしいことだと感激しました。
自分が仲間にとってどんな存在でありたいかという質問がなされました。
これもいろいろ考えて答えがでていました。
気軽にラフに安心して頼ってもらえるようになりたい、もっと笑顔で優しくなりたい、たくさんの人を応援できるようになりたい、いろいろありました。
こういう答えが、自分がこれから変えてゆくべき、思考であり、行動となるのです。
各自の答えが各自の中から湧いてでてくるのです。
相手のどこを見るかで、どこが見えてくるかが違ってくるという言葉も印象に残りました。
坪崎さんは最後に、「一燈照隅、萬燈照国」という言葉を紹介されて、一人ひとりの笑顔が周りを明るくし、世界全体も輝かせるのだと話してくださいました。
コツとして相手の立場になるということは、相手を主語として考えてみることだと教えてくれました。
相手が怒っていても単に反応するではなく、その怒りの本質と要因に関心をもって、考えていくとかならずその本質が見えてくるというのです。
暴れている人がいても暴れていると見るのではなく、「悲しい」と叫んでいるのかもしれないのです。
どこに原因があるか追求してゆくと必ず相手の素晴らしいものが見えてくるし、見えた瞬間に相手が変わると解説してくださいました。
最後に大久保さんがわずかの時間でしたが大事なことをまとめてくださいました。
坪崎さんはどんないやことがあってもそのことには対峙しないのだそうです。
そのまま流してしまって、どうしてそうなるのかを追求するのだそうです。
しかも相手の立場になって追求してゆくので、怒りや不満が出てこないというのです。
どこまで相手の立場になりきれるかが大事であって、寄り添うというのではまた隔てがあるというのでした。
相手になりきったときに、相手は自分を理解してもらえたと感じるのです。
そこで相手が変わるのです。
なかなか、私たちは、このような事は言葉では理解できても実際には容易ではありません。
でも「こんなとき坪崎さんならどうするだろうか」と思ってみるだけで私たちでも変わることができると大久保さんは教えてくださいました。
なるほど、これならできそうだと思いました。
かくて三時間の講座はアッという間に終わり、修行僧たち皆はとてもいい笑顔になっていたのでした。
まさに「菩薩が現れた」の思いでありました。
横田南嶺