合掌
合掌してお経を読む、人に逢うと合掌する、合掌して食事をする、合掌してお茶をいただく、いろんな時に合掌をしています。
改めて合掌とは何だろうか、岩波書店の『仏教辞典』を調べてみますと、
「顔や胸の前で両手の掌を合わせること。
インドで古くから行われてきた敬礼法の一種。
インド、スリランカ、ネパールなど南アジア諸国では、世俗の人々が出合ったときには、互いに合掌する。
いわばわが国のお辞儀に相当する。
中国・朝鮮・日本などでは、仏教徒が仏や菩薩に対して礼拝するとき、この礼法を用いる。
中国で著された経典の注釈書によると、両手を合わせることは、精神の散乱を防いで心を一つにするためである、と説明されている。」
と書かれています。
南アジアの諸国では日本でのお辞儀のようになされていて、中国朝鮮日本などでは、佛さまや菩薩に対して礼拝するときに用いるとされているのです。
更に『仏教辞典』には、
「インドでは、右手を清浄、左手を不浄とみなす習俗があり、これを受けて密教では、右手を仏界、左手を衆生界、5本の指を地・水・火・風・空の五大に配し、合掌は仏の五大と衆生の五大の融合を象徴するとし、成仏の相が示されていると解釈する。」
と合掌の意味が書かれています。
かつて私も鴻盟社から『合掌のこころ』という冊子を作ったことがありました。
そこには澤木興道老師の『観音経講話』にある言葉を引用しました。
「西洋人はラジオを発明したり飛行機を発明したりしたが、東洋人はその代りに合掌を発明した。
この合掌を発明するために、東洋人はどれほど長い間瞑想したか分らない。
実に微妙なことで、理屈ではない。
人間、こうやって合掌したら、夫婦喧嘩もおさまるし、のぼせも下る」と説かれています。
沢木老師は言葉も通じない外国に出かけても、「こうやって手を合せると仲よしになる。そこで何処でも掌を合わせて歩き廻った。これは世界共通の敬礼で、こうやって合掌されて腹を立てる者はおらぬ」と合掌して過ごされたと仰せになっています。
今でも食事の時に合掌するのは、よく見られる光景です。
大法輪閣に『合掌と念珠の話』という本があります。
昭和五十五年に刊行された伊藤古鑑先生の本であります。
そこに次のように書かれています。
「つねに、合掌とは礼拝の時にのみ用いる一の形と解釈せられておりましたが、私はそのような狭い意味のものではなく、少なくとも、我々仏教信者にとっては、合掌に依って、その内面生活の全体を表現し得るものと思うのであります。
僅かに五本の手、僅かに両の掌ではありますけれども、そこに、我々の内面生活の全体が表現されるのであります。
合掌のときには、おがみます。ぬかずきます。跪きます。
他のいろいろのことを思わないで、ただ一心にみ仏を礼拝するとき、両の掌は合わされ、五本の手は正しく舒べられて、そこに信の心を孕みます。
相手のあらゆるものの価値を見出して、そのものの尊さを知ることが出来るのであります。
ものの尊さ、有り難さを知ることが出来るところに、純真の宗教的信仰を体験することが出来るのではありますまいか。」
更に
「合掌は両の掌を合わせることで、ただ単に、身業の一部分に表われた形に過ぎないものであります。
故に、形だけを引き離して、冷やかな眼で以って論じたならば、別に深い、尊い、有り難いものではありません。
けれども、そこに合掌するものの全生命を打ち込んで、 一心不乱になって合掌するときには、これほど、尊いものはありません。
これほど、有り難い心になれるものはありません。
仏教信者の全生命は、単なる合掌という形に依ってのみ表現せられ、それに依って、充分に、仏教信者であるということが解るのであります。
合掌の原理として、むずかしいことを説くよりも、如実に、み仏を礼拝すれば良いのであります。
一心不乱になって、自己の全生命を打ち込んで合掌礼拝すれば、それで充分に合掌の原理は説明されているのであります。
仏教信者が、ほんとうに、心をこめて、み仏をおがみ、合掌の姿になっている時には、もはや、おがむという心もありません。
おがむ自身もなければ、またおがまれる本尊の如来もありません。
ただ単に、合掌の中に、何もかも、全体がこもってしまっているのであります。」
と説かれているのは禅の立場から見事に合掌の尊さを表しています。
伊藤先生は花園大学の教授も務められた方でいらっしゃいます。
一心に合掌する姿は尊いものであります。
合掌は、本人のみならず、その姿を見る人にも仏心を呼び起こしてくれるものです。
坂村真民先生に「真美子の合掌」という詩があります。
真民先生の三女の真美子さんの幼い頃を詠った詩です。
だまってみていると
ほとけさまに
ごはんをあげて
ひとりしずかに
おがんでいる
わたしがみていることを
ひょいとしって
はずかしがって
にっこりした
その顔のよさ
(『坂村真民詩集百選』より)
このように子どもが無心に合掌する姿もまた尊いものです。
横田南嶺