思いがけないしあわせ – 僥倖 –
『広辞苑』には「思いがけないしあわせ。偶然の幸運。」という解説があります。
「僥倖に恵まれる」というと、「おもいがけない幸せに恵まれる」ことを言います。
今月二十一日のこの管長日記に、「人生は重荷を背負って長い旅を行くようなものだけれども、時にその苦を忘れるようなうれしいことがあると」書いたのでありますが、そんなうれしいことが僥倖であります。
思えば、昨年WBC、ワールド・ベースボール・クラシックで日本代表を優勝に導いた栗山英樹監督に出会うことができたのもそんな僥倖だと思いました。
致知出版社の企画で、対談させてもらったのでした。
有り難いご縁でありました。
こんな僥倖は、きっともう二度とないだろうと思っていました。
ところが、先日再びの僥倖に恵まれたのでした。
花園大学の創立記念日で、栗山監督と対談させてもらったのでした。
花園大学は小さな大学ですが、このところ野球部が人気で、百名を超える部員がいるのであります。
昨年は京滋リーグで優勝して全国大会に出て、後楽園で試合をしたほどなのです。
創立記念日の対談は、一昨年大学が創立百五十年を迎えた時に、花園大学の卒業生でもあるソフトバンク社長の宮川潤一さんと対談させてもらったのが始まりでした。
昨年も創立記念日に対談をしようと、仏教学部の特別教授に就任された佐々木閑先生と対談したのでした。
今年は、学長や学園長から、是非栗山監督をお招きできないだろうかとご提案をいただいたのでした。
栗山監督のお忙しいことは重重承知していましたので、私は内心「それは無理だろう」と思いました。
こんな小さな大学に栗山監督をお招きするのは難しいと思ったのでした。
また、創立記念日の翌週には円覚寺で講演もお願いしているところでした。
円覚寺の講演もかなり無理を言ってお引き受けいただいているところを、今度は更に大学からお願いするのは、とても難しいと思ったのでした。
しかし、大学の学長や学園長から頼まれたので、ダメでもともとと思って、栗山監督に打診してみたのでした。
そうしましたら、なんとこころよくお引き受けくださったのでした。
かくして二度目の僥倖に恵まれたのでした。
対談の前の日まで私は修行道場の摂心という修行に専念していました。
それを終えて翌日京都に向かいました。
大学側も、かの有名な栗山監督をお出迎えするというので、みんなピリピリしている雰囲気でした。
対談にあたっては、その方の著書をよく読み込むようにしています。
昨年の対談の折にも『栗山ノート』をはじめ何冊かの本を読んでいました。
その後『栗山ノート2』が出版され、更に今年の三月に『信じ切る力』という本が、講談社から出版されています。
この『信じ切る力』という本が素晴らしいのです。
内容も構成も素晴らしい本です。
私はこの本をもとに対談をしようと決めました。
対談といっても私は大学側として監督をお迎えする立場ですので、栗山監督からいろんな話を聞き出す役に徹しました。
対談に際してのレジュメやパワーポイントなども作成しておきました。
対談は九十分という長い時間ですし、それに学生や一般の方々も大勢聴きに来ていますので、まさに真剣勝負であります。
どの話からどの話に展開して、そして最後どのように終わるか、何日もかけて考えて構成をねりました。
1、 WBC優勝から、昨年の月刊『致知』対談までの振り返り
2、 WBC優勝からの変化について
3、 大谷翔平選手の活躍について。大谷さんの人柄など。
4、『信じ切る』ことについて
臨済宗の祖、臨済禅師も繰り返し説いたのは、 「自らが仏であることを信ぜよ」ということでした。
5、夢は正夢と、前にお目にかかった時に書いてくださいましたが、どうしたら夢は正夢になるのでしょうか?
6、最後に、今の若者に向けてメッセージをお願いします。
という構成を考えました。
またこの対談については大学からYouTubeでも公開される予定なのでご覧いただければと思います。
会場には百名ほどの野球部員や、一般の方々、それに大学の学長や理事長などの要職の方、それに職員の方々などで、大教室も満席でありました。
お互いに初対面ではないので、和やかに対談は始まりました。
昨年のWBC優勝からお互いの対談までを振り返って、私はその後の監督の変化について聞いてみたいと思っていました。
WBC世界一を達成した監督して、とても有名になられました。
テレビなどのメディアにもよくお出になっていました。
また新たな世界をご覧になったのではないかと思ったのでした。
しかし、この答えは、対談の前に読んだ、新著『信じ切る力』にはっきり書かれていました。
なんと「人はこうやってダメになっていくということが明確にわかった」と書かれていたのです。
この言葉には感動しました。
私もかつて先代の管長から「拍手は人をダメにする」と言われたことを思いおこしてお話させてもらったのでした。
対談でも「今回ほど人に褒められたことはなかった」と仰っていました。
でもそれが人を勘違いさせてしまうから恐ろしいのです。
常に自分を見つめて謙虚であること、私はこの言葉にも栗山監督の素晴らしさを思ったのでした。
対談では多くの方が大谷翔平さんのことについても知りたいだろうと思って、大谷さんについてうかがいました。
大谷さんの貴重な映像も見せていただいて、私もこれには感動したのでした。
信じる、信じ切るということについては、私も仏教の立場から五力の話をさせてもらいました。
修行をするには五つの大事な力があるのです。
五力とは「悟りに至らしめるはたらきのある、すぐれた五種の勢力。」で
信(信仰)
勤(精進)
念(強く思うこと)
定(心の安定)
慧(智慧)
の五つです。
栗山監督のお話をうかがっていて、まさにこの五つを具えていらっしゃると感じました。
まず信じる、信じ切るのです。
信じるだけではだめで、そのために努力しないといけません。
精進努力であります。
大谷選手の自信は、誰にも負けない精進努力から来ているとお話を聞いてわかりました。
それから念というのは心に強く思うことです。
『信じ切る力』にも
「強く思う、願い念じる。それが大事なのです。稲盛和夫さんは著書で「カラー映像で見えてくるまで思い続けよ」と書かれていました。
そうして心を静かに落ち着かせること、栗山監督はふだんの暮らしでもお掃除を大事にしたり、古典を勉強したり、心を静かに落ち着かせる努力をなさっています。
それでこそ、智慧という正しい判断、決断ができるのだと思いました。
私は対談にあたって、『信じ切る力』を何度も繰り返し読んで、良い言葉だと思うところには付箋をつけると、付箋でいっぱいになりました。
付箋をつけたところの言葉はノートに書き出して資料を作りました。
そうして付箋でいっぱいになった『信じ切る力』を手にして対談に臨んだところ、なんと栗山監督は私の『はじめての人に送る般若心経』を手にしておられました。
しかも栗山監督も付箋をいっぱいつけておられたのでした。
私の本を読んでくれている、これだけで人はうれしくなるものです。
対談で私の般若心経の本を読んでも「空」ということがよく分からないと仰いました。
空は分かるという対象ではないので、わからないでいいのです。
分かったということこそ「空」から遠ざかるのです。
私は、監督こそ「空」を体現していらっしゃいますと伝えました。
そして『信じ切る力』にある次の言葉を読んで伝えました。
「いい方向に向かうとき、持っている魂という玉が、きれいに磨かれた状態になっていくのです。誰かのために、何かのために、チームのために、ファンのために・・・・・・。そんな感覚で「私」が消えていく。」
と書かれているところを対談で読み上げました。
この「私」が消えていくのが「空」なのですと伝えたのでした。
もっともそうなるには、あらゆること、できる限りのことをし尽くしたからこそであります。
最後に栗山監督は、信じるについて、自分自身を信じることの大切さを説いてくださいました。
それこそまさに我々の宗祖臨済禅師が繰り返し「今の修行者がだめなのは、自分を信じ切れないからだ」と説かれているのに一致して感激しました。
そんな話にたどりついたところでちょうど終わる時間の一分前でした。
最後に学園長の挨拶があって、ぴったり時間どおりに終わることができました。
終わった後のご予定もあるとうかがっていて、時間どおりに終えないといけないとそれには気を使いましたので、ちょうど終わってホッとしたのでした。
大学の総長室で御抹茶を振る舞って監督をお見送りしたのでした。
野球部の監督助監督にも会ってもらうこともできました。
多くの方に喜んでもらえた対談となりました。
私も大学のお役にたてて良かったとしみじみ思いました。
もっともおそばでお話を聞けた私が一番の僥倖に恵まれたと思ったのでした。
さて本日五月三十一日、円覚寺ではその栗山監督のご講演があるのであります。
これまた楽しみなのです。
横田南嶺