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臨済宗大本山 円覚寺

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2024.04.09
今日の言葉

布袋さんの笑顔

床の間の掛け軸を折に触れて掛け替えていますが、最近、誠拙禅師の布袋和尚の画を掛けました。

この布袋のなんともいえないお顔がいいものです。

みているだけで楽しくなってきます。

さてこの布袋和尚とは、いったいどんな人なのでしょうか?

早速『広辞苑』でまず調べてみます。

すると「後梁の禅僧。

明州奉化(浙江省)の人。

名は契此(かいし)、号は長汀子。

四明山に住み、容貌は福々しく、体軀は肥大で腹を露出し、常に袋を担って喜捨を求め歩いた。

世人は弥勒の化身と尊び、その円満の相は好画材として多く描かれ、日本では七福神の一神とする。(~917)」

と書かれています。

「後梁」というのは「南朝の梁滅亡後、その子孫を皇帝として西魏が長江中流域に建てた国」をいう場合もありますが、

これは「五代の最初の国。

節度使朱全忠が唐を滅ぼして建国。

都は開封(東都)と洛陽(西都)。

2世で後唐の李存勗(りそんきょく)に滅ぼされた」という国で、907年から923年までの間の国です。

さて七福神というと、これもまた気になります。

七福神巡りというのは、いろんな地方にございます。

布袋さんはこの「七福神」のお一人でもあります。

七福神を『広辞苑』で調べると、

「七柱の福徳の神。

大黒天・蛭子(えびす)・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋」であります。

このうち、大黒天、毘沙門天、弁財天はインドの神様であります。

それぞれ『広辞苑』には、
「大黒天」とは、「密教では自在天の化身で、仏教の守護神」という意味と、「七福神の一つ。頭巾をかぶり、左肩に大きな袋を負い、右手に打出の小槌を持ち、米俵を踏まえる。日本の大国主命(おおくにぬしのみこと)と習合して民間信仰に浸透、「えびす」とともに台所などに祀られるに至る」

と解説されています。

「毘沙門天」とは「四天王・十二天の一つ。須弥山の中腹北方に住し、夜叉・羅刹を率いて北方世界を守護し、また財宝を守るとされる神」です。

「弁才天・弁財天」は、「音楽・弁才・財福などをつかさどる女神。

妙音天・美音天ともいう。

二臂あるいは八臂で、琵琶を持つ姿、武器を持つ姿などに表される。

もとインドの河神で、のち学問・芸術の守護神となり、吉祥天とともにインドで最も尊崇された女神」なのであります。

以上がインドの神様です。

「福禄寿」「寿老人」「布袋」は中国です。

「福禄寿」は「短身、長頭で、ひげが多く、経巻を結びつけた杖を携え、多く鶴を従える。福禄人。中国では南極星の化身という。」

「寿老人」は「中国、宋の元祐(1086~1093)年中の人。

長頭の老人で杖をたずさえ、杖の頭に巻物をつけ、うちわを持ち、鹿をつれていたという。

日本では七福神の一神。長寿を授けるという。南極老人」と解説されています。

そして布袋和尚が中国の人物であります。

恵比須さんだけは日本の神様です。

『広辞苑』には、

「七福神の一つ。もと西宮神社の祭神蛭子命(ひるこのみこと)。

海上・漁業の神、また商売繁昌の神として信仰される。

風折烏帽子(かざおりえぼし)をかぶり、鯛を釣り上げる姿に描く。

3歳まで足が立たなかったと伝えられ、歪んだ形や不正常なさまの形容に用い、また、福の神にあやかることを願って或る語に冠し用いたともいう」

という解説であります。

七福神は、インド、中国、日本の神様がひとつの船に乗っているのですから、なんとも微笑ましいものです。

さて、布袋和尚についてもう少し詳しく調べてみます。

『禅学大辞典』には、

「明州(浙江省寧波府奉化県の人。

姓氏は詳らかでなく契此と自称していた。

身体は小身で額にしわがあり腹が出っぱって、言語つねなく、その寝臥は処にしたがい、常に一枚をもって布嚢をにない鄽肆に入って物を乞い、少しばかりを分って囊中に入れた。

また、この嚢中には身にまとうものをすべて貯えた。

時人は、彼を称して長汀子、または布袋和尚といった。

かつて雪中に寝臥した時のこと、雪がその身をぬらさなかった。

また吉凶・晴雨を予知して当らぬことはなかったという。

後梁、貞明二年(916)三月三日 明州奉化県岳林寺東廊下にて示寂。

また、唐代天復年中(901 903)に奉川に寂すともいう。

遺偈は「彌勒眞彌勒、分身千百億、時時示時人、時人自不識」という。

世人は弥勒の化身といい、江浙の間に、その像を画いて伝えるものが多く、黄檗山万福寺では、弥勒菩薩の像として天王殿に布袋像を奉安している。

日本ではこれを七福神の一とす。」

という解説なのであります。

布袋銭を乞うという問答が記されています。

意訳しますと、ある僧が布袋和尚の前を歩いていました。

布袋和尚が後ろから背中をぽんと叩きました。

僧は振り返りました。

布袋和尚は、一文錢を恵んでくれと言いました。

僧は、なにか言い得たらあげようと言います。

布袋和尚は袋を降ろして、叉手して立ちました。

この叉手して立つところで、仏法をみごとに言い表しているのです。

「布袋落魄」という言葉もあります。「布袋の落ちぶれ姿」という意味です。

『禅学大辞典』には「布袋は弥勒の化身といわれたが、光り輝く佛の姿ではなく、常に一枚をもって布囊と破れ蓆をにない、落ちぶれた姿で市に出ては物を乞うた伝説的人物。

禅ではこれを自由無礙な天生の禅人としてその行跡を讃える。」

と書かれています。

『十牛図』の最後にも禅の修行を成し遂げた理想の姿として布袋和尚が出てきます。

禅文化研究所発行山田無文老師の『十牛図』には次のように書かれています。

「あまり荘厳な悟りきった顔をしていると、みんながこわがるから、修行のできたような顔もせず、学問のあるような面もせん。

まるで、顔に土を塗り、灰をかぶったような、大バカになってニタリニタリと笑っておるのだ。

その顔は、それは何とも言えん。

「笑い腮に満つ」だ。腮のはずれるほど笑う。

そういう笑いに触れたものがみんな善心に帰って、仏性を自覚するのである。

説教をせんでも、提唱をせんでも、この坊主の顔を見るというと、みんなが救われてしまう。」

「何も仙人や神通力をもった人たちの秘伝を使わなくとも、花咲爺さんにならいでも、こうやってニコリニコリと笑うだけで、心のすさんだ人たちをして、ことごとく人生に光を発見せしめるというのである。

奇蹟を説くのではない。ただ笑うだけだ。

ただ一緒に酒を飲むだけだ。一緒に歌を歌うだけだ。

一家心中をしようと思っていた奥さんが、この和尚と会ったばかりに生き甲斐を感じている。」

「何を説教するでもなく、意見をするでもなく、講釈をするでもないが、この和尚が民衆の中に入って、ニコーッと笑うだけで、つきあうものがみんな、枯木に花が咲いたように人生に生き甲斐を感じて来るのである。」

という風に説かれています。

この布袋和尚の笑顔こそが、禅の究極を示しているのであります。

 
横田南嶺

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