同調の効果、その恐ろしさ
甲野先生の講座は、毎回驚きの連続であります。
今回もどんな発見があるのか、とても楽しみにしていました。
終わってみると、やはりというか、予想以上の驚きと感動でありました。
三時間があっという間に終わったという感じであります。
新しく修行道場に入った者も加わっているので、「一動作一注意」という基本から学び直しました。
これはどういうことかというと、『身体は「わたし」を映す間鏡である』という甲野先生の本には、
「「一動作一注意」とは、「ある動きをするときには一つのことに注意を向けることが大切」という意味です。
たとえば「立つ」という動作でも、指先なら指先という一つに注意を向けて立つ場合と、いくつものことへ注意を向けて立つ場合では、明らかに身体の安定感が変わってきます。」
と書かれています。
実際に、この指先と指先を軽く触れさせて立っていると、横から押しても微動だにしなくなるのです。
これを初めて教わった時は驚きでした。
今回も参加者はそれぞれ二人一組になって実験しました。
今度は指先を合わさずに、指先だけに注意を向けるのです。
指先にだけ注意を向けていると、同じように体は安定して、横から全体重をかけて押しても微動だにしなくなります。
また同じように指先と指先を合わせていても、なにか別のことを考えると体は途端に崩れてしまいます。
これが一動作一注意ということなのです。
さて、今回は更に同調効果ということを習いました。
同調というのは、よくもらい泣きするような時がありますが、あのように同調してしまうのです。
一人の者をAとして、指先に注意を向けて立ってもらうと、とても安定して押しても動きません。
もう一人の者は、そのAにだけ注意を向けて立ってもらうと、やはり身体が安定して押しても動かないのです。
Aに同調するのです。
ところがAが、指先に注意を向けずにだらっとしていると、身体は不安定になってしまいますが、同時にAに注意を向けているもう一人の者も身体は崩れてしまうというのです。
これが同調ということなのです。
更に驚いたことがありました。
Aが一つのことに注意を向けずに、ただだらっとして立っています。
当然身体は不安定なのです。
もう一人の者は、Aを反面教師としてAのようにはならないぞと思って立っていても身体は崩れてしまっているのです。
「あのようになってはいけない」と思っただけで、すでにAに注意を向けてしまっているので、Aに同調しているというのです。
こういうことを、三人一組になって実験したのですが、実にその通りなのです。
ではだらっとした人の影響を受けないようにするにはどうしたらいいかというと、別にところに注意を向けるなりして、Aへの注意を断ってしまうことなのだそうです。
人は誰かに注意を向けただけで影響を受けてしまうということなのです。
これは気をつけないといけないと思いました。
修行道場でも姿勢の崩れてしまっている者がいると、姿勢が崩れているなと思っただけで、もうその悪い姿勢の影響を受けてしまっていることになります。
あの人はこの頃たるんでいるなと思っただけで、すでに影響を受けてしまっているのです。
これは恐ろしいと思いました。
また良い人の影響も受けるので、これは有り難いことであります。
竹を使ってのワークもまたおもしろいものでした。
二人で一本の竹を持っています。両端をそれぞれ持っているのです。
二人がそれぞれ、自分の目的地を決めて歩こうとして、それを三人目の者が竹の真ん中を持って止めようとします。
ふたりで竹を持って進もうとしても目的地がバラバラであれば、簡単に止められるのです。
ところが、その二人のうち一人が明確な目的地をもってそこへ進もうとして、もう一人の者は、その進もうとしている人にだけ注意を向けていると、今度は第三者が止めようとしても全く止められなくなって、どんどん進んでいくことができるのです。
ほんとうに力がいらないのであります。
それから更に一人の者に横になってもらって、それを四人で持ち上げるということを実験しました。
四人が、肩のあたり、腰から膝の辺りに左右それぞれ手を入れて持ち上げます。
それぞれがそれぞれの思いで持ち上げようとすると、持ち上げられなくはないのですが、とても重く感じます。
そこでリーダーを一人決めます。
リーダーは持ち上げるという明確な意志をもって持ち上げようとします。
他の三人は、そのリーダーにだけ注意を向けていると、実にこれが軽々と持ち上がるのです。
ほとんど力を入れていないのに持ち上がるのです。
これもリーダーとなる人の影響を受けるということです。
リーダーがリズム感をよくて軽々と持ち上げると、みなそれに同調して軽々と上がるのです。
たいへんそうに持ち上げるリーダーだと、みんなたいへんそうに同調してしまうということです。
修行道場では重たい木材などを持ち上げることがありますので、これは早速応用できそうだと思いました。
同調は恐ろしいものです。
たとえで甲野先生は、最近の体験を話してくれました。
電車の中で一人大声を出して叫ぶような者がいて、電車の中の全員の注意がその人に向けられて、みんな同調してしまったそうです。
甲野先生はすぐに注意を断って別のことに注意を向けたそうです。
気をつけてみると、その電車の中で若者がイヤホンをつけて音楽を楽しんでいたそうです。
イヤホンをつけて音楽を大きな音量で聴いているので、その大声の人に注意は向かないのです。
その若者は心地よさそうに音楽を聴いていますから、その若者に注意を向けるとよい同調が起きるのだというのでした。
かくして前半は同調についていろんな実験をして学びました。
後半は手首と足首を学びました。
中指と腕をまっすぐのままにしていようと思うとしっかりするということでした。
この「まっすぐのままにしていよう」と思うのがいいので、「まっすぐを保つ」とか「まっすぐに固定する」とか「まっすぐに決める」というと、固定してしまって崩れてしまうのでした。
「まっすぐのまま」というとある程度の曖昧さがあるのですが、それがかえってしっかりとするのだそうです。
保つや固定するというと、かたくなってしまい、かたいと崩れやすいのです。
ままにすると、しっかりするけど柔らかさがあるので、かえって強くなるのです。
更に足の中指を足先とまっすぐのままにすると、実に安定して立てることも学んだのでした。
そのように我々修行道場では集団で生活していますので、今回学んだ同調の効果とその恐ろしさについては大いに参考になることでした。
そしてまた学ぶ楽しさを実感したのでした。
横田南嶺