若者の力を信じる
大学の総長を務めるようになり、卒業式もかれこれ七回目の出席となります。
大学には総長室というのがあってそこでいつも待機しています。
学長や学園長、それに理事長もお見えになって、あれこれ打ち合わせをしたり、大学の現状について報告を受けます。
来年度の入学は、昨年よりは大幅に増えそうだとの報告を受けて安堵していました。
定刻になると、花園大学の卒業式では、禅寺の儀式と同じように太鼓がなるのであります。
太鼓の音が鳴り響く中を学生達は、会場に集まります。
351名の学生が巣立ってゆくことになりました。
大学の卒業式では、まずはじめに三帰依の歌が流れる中を、総長である私が代表して仏様に焼香し、三拝をします。
その後に、学位記を学長が授与します。
学位記授与に引き続き、学長の式辞がございます。
学長の式辞はいつもとても丁寧な言葉で、学ばせてもらっています。
また式辞を紙に印刷して皆に配ってくれているのも親切であります。
この度大学院を卒業する者6名、大学を卒業する者345名、合計351名にお祝いを述べて式辞は始まりました。
そのあと学長はコロナ禍について触れていました。
「とりわけ皆さんは、 2020 年初頭に始まった新型コロナウイルス感染症がまん延する中で、大学生活を送られました。
大学のキャンパスからは学生の歓喜の声が消えました。
何よりも友に会うことすら不自由になりました。
そうした苦境を乗り越えて、この場に集っておられるみなさんの努力に敬意を表します。」
という言葉がありました。
今回卒業する学生さんたちは、2020年の入学なのでした。
そのあと「ご家族をはじめみなさんを支えてこられた方々にも感謝を込めてお祝い」を述べていました。
そして学長はまず「2022年2月、ロシアのウクライナ侵攻が始まりました」と戦争の話題に転じていました。
今の深刻な世界情勢に触れていました。
かつて、第一次世界大戦が始まったとき、ドイツでもフランスでも若者たちは熱狂して兵隊に志願していったそうです。
はじめは、どちらが勝つにしても、戦争は数週間か、せいぜい数カ月で終わると考えていたというのです。
しかし、戦争は結局四年も続いたのでした。
ロシアのウクライナ侵攻も、誰も一年以上続くとは思わなかったのが、今も終わらないのです。
「毎日のように戦争の中で悲しむ人々の声が世界中に届けられています。
さらに、 2023年10月、イスラエルのガザ地区への侵攻が始まりました。」と述べていました。
第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、 と20世紀は戦争の時代と言われていました。
幸いに日本は1945年以降一度も戦争を経験することなく、 約80年が過ぎようとしているのです。
戦争の世紀は終わったはずだと思ったのが、21 世紀にも戦争が身近な問題として続くということを私たちは思い知らされたのです。
学長は「そして、その戦争が全人類の平和と安寧を脅かすということです」と述べていました。
その結果、「コロナ禍で混乱していたグローバル経済は、ウクライナ戦争で壊滅的な打撃を受けました。
ヒト、モノ、コトがグローバルに動いていたこれまでの経済・社会体制が機能しなくなりました。」
と述べて、そこで
「このようなグローバル経済の次に来る世界では、地域そして社会が極めて重要になってきます。人々の多くは地域に住んでいます。
社会のなかで活動しています。
グローバル人材の育成も必要ですが、 「地域人材の高度化」が最も喫緊の課題です。」
と話を展開していました。
更に学長は本学の建学の精神に触れていました。
「本学の建学の精神は 「禅的仏教精神による人格の陶冶」 です。
その目的は臨済宗の宗祖である臨済禅師が「随処に主と作れば、立処皆な真なり」 と言われるように、 どの様な状況であっても主体的に行動できる、自立性・自律性を養成することです。」
といって、そのあとに
「横田総長は、昨年秋の「禅とこころ」の講義の中で次のようにおっしゃっています。
広辞苑第7版によれば、 自立とは 「他の援助や支配を受けず、 自分の力で判断したり身を立てたりすること、ひとりだち」。
但し、 横田総長は、他の援助を受けても身を立てることができればよいとおっしゃっています。」
と私の講義について触れてくれていました。
人が生きるというのは、なんらかの形で誰かの援助を受けているものだと私は思っています。
そのことを自覚した上で、「一人の人間として、この世に生を受けたことの意味や自己の尊厳を自覚し、「自分の生活も他人の生活も大切にする」という生き方をして欲しいものです。
更に式辞は続きましたが、そのあと私も一言お祝いの言葉を皆さんに伝えました。
学長の式辞が丁寧なので、私はいつも短い大事なことをひとつだけ伝えるようにしています。
先月インドの仏跡巡拝に行ったことに触れて、四大聖地のどの遺跡も数百年も埋もれていて、十九世紀の終わりになってようやく発掘されたものばかりだと伝えました。
インドにおいて仏教は滅んで、そしてイスラムの軍によって寺も仏像も破壊され、もうお釈迦様が本当にいたのかということも分からないほど痕跡がなくなっていたことを伝えました。
そんな有様に接してあらためてお釈迦様が最後に言い残された言葉「すべてのものはうつろいゆく」を思ったのでした。
そしてお釈迦様は、「すべてはうつろいゆく」という言葉のあとに、「怠らず勤めよ」とおっしゃったのでした。
「すべてのものはうつろいゆく、怠らず勤めよ」これが最後の言葉でした。
「うつろいゆくというのは、悪い方にうつろいゆくばかりではありません。
良い方にうつろいゆくこともあります。
長いコロナ禍もこうしておさまってゆくのです。
どのようにうつろいゆくかは、各自の努力にかかっているのです。
この度ご卒業なさる皆様に、このお釈迦様の最期の言葉を贈ります。
「すべてのものはうつろいゆく、怠らず勤めよ」。
今困難な状況にあると感じたような時に思いおこしてください、すべてはうつろいゆく、変化してゆくのです。
あきらめず怠らず勤めてください。必ず道は開けると信じています。」
と伝えて終わりました。
卒業式を終えて理事長、学長などが再び総長室に集まりました。
今回の卒業式はとても雰囲気がよく、みな熱心に式辞や祝辞を聞いてくれていたことが話題になりました。
今回はとてもよかったと話しあっていました。
私はコロナ禍のよい影響かもしれませんと言いました。
今回卒業される学生さんたちは、2020年の入学なので、入学式が行えなかったのでした。
入学しても大学に行けず、なれないリモートの授業という苦労をなさってきたのでした。
卒業式の前に佐々木閑先生と話をしていて、佐々木先生は、このコロナ禍というのは学生さんたちにはよい経験になった一面があるのだと仰っていました。
苦労しながら工夫して学んできたのでした。
入学式もできなかっただけに、今こうして卒業式ができることを尊いことだと自覚されていたのだと私は思ったのでした。
学長が式辞の最後に言った言葉を思いました。
「私は人を信じます。 特に若者の力を信じています。
皆さん、苦難を恐れず、際限のない社会の 「大海」へ漕ぎ出していってください。」という言葉でした。
こんな若者たちが社会の大海に漕ぎ出すのを応援したいと思ったのでした。
横田南嶺